俺は視力が低かった。
物心持ったときから、俺の見る世界はぼやぼやとしたものだった。明確な輪郭を持たず、霞に溶けていくような不安定な形をしていた。ほぼゼロ距離まで詰め寄れば、なんとか物をはっきりと見ることは出来た。だが、あらゆるものにゼロ距離まで詰め寄ることは不可能だ。やはり殆んどの場合、俺の視界はぼやけたものだった。
 他の人と俺の見ている情景が違うものだと分かったとき、母さんは慌てふためいていた。治療を試みようとしたり、眼鏡やコンタクトレンズを勧めてきた。でも俺はそれらを用いなかった。目がよく見えなくても、困ることはなかったから。俺はこの視力が常識のように当然のものだと思って生きていた。だから限られた視界の中でも普通に生活出来る能力を持っていた。食事も豆一つ一つ掴めるし、読み書きも滞り無い。そもそも、風景に関した会話で齟齬が生じるまで、誰も俺の視力のことに気付かなかったくらいだ。多分、今でも母さん以外の人は俺の視力に気付いていないだろうと感じる。

「おいレッド、どこ見てんだよ」

 俺に向かってため息を吐いたグリーン。グリーンもご多分に漏れず、俺の視力には気付いていない。

「………ん」
「人が大事な話するっつー時に、よそ見してんなよ」

よそ見をしていたわけじゃない。グリーンが背景と同化してるから、上手く視界に収められないだけだ。
 グリーンがはぁと溜息を吐く。どうやらイライラしてるみたいだった。…いや、緊張?分からない。
突然話があると言って俺をマサラタウンまで呼び出したグリーン。何だか会ったときから、その周りの空気は忙しなく動いていた。

「なぁレッド」
「………何」
「今から俺が言うこと、笑うなよ」
「?…うん」

グリーンがごくりと息を呑む音がした。

「俺と、付き合ってほしい」

 どうやら緊張のほうだったらしい。グリーンのその一言の瞬間、辺りの空気がぴんと張り詰めた。

何だろう、笑える話だ、と思った。以前から、グリーンが俺に向ける視線とか気配が変わったものだとは思っていた。ライバルだと豪語する割に、敵愾心とか対抗心とかが感じらなかった。どこか力が抜けていた。その癖して熱がこもっていた。成る程、恋愛的なものだったのか。
本当に、笑える話だ。
あれだけ競うように身近にいたのに俺の視力に気付いていない。それでいて、好きだなんて告白をした。グリーン、俺よりも何も見えてないんじゃないか。視力のことにも気付いていない。俺のこと見えていないのに、俺のどこが好きだっていうんだ。

「グリーンは……俺のこと、見えてないよ」
「見えてない?」
「俺のこと、ちゃんと見えてない。だから、俺はグリーンに応えない」

 グリーンは、きっと何かの気の迷いだ。冷静になってみれば愚考だったと分かるだろう。適当にあしらって忘れよう。その方が互いのためだと俺は思った。
帽子を目深にかぶり直す。さすがにグリーンは分かっているだろう、この仕草は会話を切るときの合図だった。

「見えてないって言うなら、お前はどうなんだよ。」
「……え」

けどグリーンは合図を見ぬふりをした。そのぼやけた像が少し明確になる。急にこちらに近づいてきた。

「見えてないってお前は言うけどな、お前だってそうだろ。レッド、お前俺のことちゃんと見たことあるか?その目で俺を見ようとしたことないだろ」

驚いた。グリーンは、俺の視界に気付いていた。視力ということにまで及びは付かないが、分かっていた。俺が、グリーンを見ていないことを。

「俺がお前を見えてないって言うなら、お前も俺を見てない。……レッド、好きなんだ。お前に、俺をちゃんと見てほしい。目を見て話さねーと、通じないこともあるんだ」

グリーンの足元がじりと鳴る。マサラの芝生を強く踏みしめている。意気込んでいるんだ、強い思いを訴えている。
 俺は、視力が低くても構わないと思っていた。そんなものが無くても問題なかった。表面を見ることは出来なくても、感じることで深遠を見ることが出来ると思っていた。形に意味はないと思っていた。でもそれは勘違いだった。真っ直ぐに見つめ合い向き合うことにも、意味があるらしい。
本当に視力が悪かったのは、グリーンとどちらだ。俺だ。

「………いいよ」



 俺はゼロ距離まで詰め寄らないと、はっきりと見ることが出来ない。でもいいよ、見てほしいって言うなら、見てやる。グリーンも俺を見ていたんなら、これでフェアだ。これでちゃんと通じるんだろ。

初めて見たグリーンの瞳は、綺麗な緑色だった。





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