暗澹たる気持ちとは、正にこのことを言うのだ。口に含んだ泥を吐き出しながら、グリーンは思案した。

「くそヤロウ、」

嗚呼、と悲嘆に暮れるような溜め息を強引に飲み下し、悪態を代替に据える。そして冷静に、事態を把握しようと目と脳を凝らした。――飛礫となって降り注ぐ金属とコンクリート、ばらばらに壊れたジムの仕掛け。崩壊せんとする、トキワジム。リーグを目前に構えるカントー最強のジムは、今現在崩れ落ちる最中だった。設備や強度も一流を誇るジムが、だ。さてこのような事態を、一体誰が想定しただろう。誰も、想定していなかった。エリート揃いのジムトレーナーは勿論、リーダーであるグリーンも、こんな危険を察知してなどいなかった。
 グリーンはピジョットを呼び出すと、その羽根で辺りを一掃させる。風起こしの域を越えた突風は、瓦礫に埋もれるジムの見通しを晴らした。砂塵や破片が目を刺す危険を退けたことで、グリーンは俯せていた濃紺の床から起き上がった。そして、ひび割れた地の上にすっと立つ。未だガラガラと音を立てるジムで、グリーンは尚その主人として堂々とした構えを見せた。挑戦者を悠然と迎え撃つ、強者としてのジムリーダーの風格だ。
廃墟に近づいていくジムで、なぜそのような態度を見せるのか。それはグリーンがそのジムの主人である故に、――犯人を捕縛しなければならないからだった。
 ピジョットによって開けた視界の奥。辛うじて輪郭を認識出来るそこには、ひとつの人影があった。退かぬ粉塵によって外見などは定かには認識できないが、疑うことはない。グリーンを残しトレーナーは退避したそこにある存在。即ち、このジムを攻撃した者――犯人だ。

「挑戦者か?」

 グリーンは皮肉っぽく笑う。挑戦も何も建物自体を崩されたジムでのその台詞は、余裕を装った挑発の示しだった。
犯人は、人間だ。だが人間の力だけでこのような破壊が生み出せるわけがない。カイリューの破壊光線にも揺るがぬよう作られたこのジムを破壊するポケモン、――それを操る持ち主。そのポケモントレーナーこそが、この事件の犯人なのだ。そしてそれがトレーナーという存在である以上、グリーンには迎え撃つ道理があった。ポケモンバトルによって相手を打ち負かし、捕らえようというのだ。

「トキワジムリーダーのグリーンだ。……ほら、かかってこいよ」

 ジムを無惨な目に遭わされて、平静でいられる彼ではない。不愉快さと激烈とした怒りを孕んだ眼差しでグリーンは犯人を射た。

 そして犯人と見える人影はその眼差しを捉え、――動いた。

 ズゥン、と轟く様な地鳴り。直後に稲妻のような電撃が一帯を迸る。雷を呼び出した様子はない。だというのに、威力はそれ以上の体を見せる。その膨大な電量の摩擦は業火を招き、空気を焼く。天変地異かと見紛う様な猛攻に――グリーンは、目を見開いた。
その技の異常な威力に刮目したのでは無い。
その技に、見覚えがあったのだ。
 雷神の雷をも思わせる電撃。並大抵のトレーナーやポケモンには及びもつかない、技の威力とキレ。
グリーンは、これを操る人物を知っている。
 その人影は、攻撃に乗じてグリーンの目前に表れた。

「……何してるの、グリーン」

 抜けるような白い肌に、黒髪がさわりと靡く。犯人と見えた人影――レッドは、無表情に帽子に手をやった。

「レッ、ド!!」
「……バトル、するんだろ?」

 ジム襲撃の犯人は、レッドだった。シロガネ山にいるはずの、最強のトレーナー。彼の仕業だというならばこの被害にも頷ける。しかし、頷いたところで納得には程遠かった。なぜレッドが、こんな真似を。事実に動揺したグリーンは一歩後退る。
 だがそんなグリーンを余所に、レッドは攻撃の手を止めようとはしなかった。帽子を目深にかぶり直すと、ハーフグローブに包まれた右手をすいとひきあげる。それを合図に稲妻が――電撃を纏ったピカチュウが軽やかに宙を舞った。

「くっ、」

 動揺しながらも、グリーンはそれに応ぜざるをえない。今出しているピジョットでは、ピカチュウの攻撃に一溜まりもない。グリーンは俊巡する間もなく性急にピジョットをボールへ戻すと、代わってウインディを繰り出した。
 咆哮と共に炎を吐いたウインディの背に回る。電撃と猛火が激しくぶつかり合い、爆ぜた。

「何でだ!」

 グリーンは爆音の中叫ぶ。

「何でこんなことしたんだ!レッド!!」

 幼なじみの誼と、それ以上の密かな好意を持っていた。だからジムの休みを懸命に取っては、シロガネ山へ足を運んだ。だというのに、それは迷惑だったのか。実は心中穏やかではなく、ジムを潰してしまいたいほどに俺を嫌っていたのか。グリーンは犯人の動機に思いを馳せると、胸がずくりと痛んだ。犯人の正体以上に動揺を招くような推察だった。

「………」
「どうなんだよ!レッド!」
「………」

 鋭い電撃に、ウインディの炎が若干劣勢となる。その瞬間に小柄なピカチュウはくるりと横に逃れ、電光石火でウインディの懐に潜り込んだ。はっと気付いた時には既に遅い。ドスンと鈍い音がして、ウインディが苦しげに呻く。レッドのピカチュウは瞬時に離脱を計ると、レッドの傍らに舞い戻った。
 目にも止まらぬ速攻。ウインディを励ますように軽く叩いて、グリーンは苦い顔でレッドを見やる。

「……俺は」

 すると、レッドはゆるゆると口を開いた。

「トキワジムを、壊したい。更地に戻して、再興も出来ないようにする。責任も問われて、グリーンがジムに戻れないくらいに」

肩へと登ってきたピカチュウの頭を掻いてやりながら、レッドはなんてことない口調で蕩々と話した。絶句したように口を開くグリーンに、ふと焦点を合わせる。そして

「……そうしたら、グリーンは毎日俺のところに来られる」

――微笑んだ。無表情な彼には希少な、穏やかに可憐な花咲くような笑顔を、称えてみせた。

「……ジムなんかがあるから、グリーンは俺に会いに来ない。なら、ジムを無くしてしまえばいい」
「レッ……」
「だから、ジム、壊させて。……バトルしよう、ジムリーダー」

 再び、ピカチュウが駆ける。瓦礫の不安定な足場を巧みに利用しながら、ウィンディへと詰め寄る。稲妻を模した様な尾が鈍く輝く。アイアンテール。断ち切るような潔さで振り下ろされた。
――それを、ウインディは炎を纏ながら立ち打った。技を放つポケモンのその身を燃やすほどの烈火に、ピカチュウが苦しげに眼を揺らした。

「………!!」
「そうか、なら丁度いい」

 ダメージを受けるピカチュウに、無言のまま目を見開くレッド。変わってグリーンは先程までの苦悶の表情からは見違えるように、鮮やかで不敵な笑みを浮かべた。

「俺も、いちいちジム休むのは面倒だと思ってたんだ。だから、いい機会だ――お前の手足でも折って、山に戻れない様にしてやるよ」

 そうしたら、毎日会えるだろ?グリーンは最善の方法を見つけたかのように笑う。

「なぁ、好きだぜ。レッド」
「…………俺も」

 それを合図に、二人はさっと飛び退いた。代わりに飛び出たのは、闘志の漲る二匹のポケモン。パートナーの情熱を受けて、エネルギーに溢れている。
 一段と凄まじい爆裂音が、トキワに響き渡った。





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