「俺、もうすぐ死ぬんだ」
レッドはそう言って笑った。ベッドを覆う白いシーツを手繰って、柔らかな布団を引き寄せて。美しい雲に埋もれてしまうように、自身の迎える死をうっとりと口にする。
その姿はとても神妙な生を孕み、きらきらと輝いて見えた。夜を緻密に紡いだような黒髪がさらさらと流れる。生命の奔流から分岐したような赤い瞳が、音もなく瞬く。俺の前で穏やかな微笑みを浮かべるレッドは、美しく生きていた。今から死に臨むと断言する人間には、あまりに相応しくない。なめらかな生を称えた姿だった。
「お前、死ぬのか」
彼とはあまりに遠くにあると思える、死。だがすでに隣にいるという、死。その存在を俺は上手く嚥下出来なかった。
だって彼は、こんなにも生きている。
死を前にしていると自白しているのに、そこには怯えも悲しみもない。あるのは、彼持ち前の平静とした感情と表情。俺を捉えたルビーの瞳は、優しくも力強い命に輝いている。
俺にはレッドが死んでしまうとは思えなかった。
「……死ぬよ。でも、悲しまないで、グリーン」
レッドは透けるように白い指先をそっと持ち上げる。霞に触れるかのような頼りのない丁寧さで、俺の頬をすうと撫ぜた。細い指は、確かに暖かかった。
「俺が死んだら…俺を、あそこに埋めて。そうしたら、夜を数える。三千を越えた夜に、俺は会いに行くよ。グリーンに、会いに行く……」
約束を口にしたレッドの瞳から、涙が零れ落ちた。穏やかに笑いながら溢れた雫は、泣いたようには見えなかった。涙が流れたというよりは、ただ偶然、瞳から宝石が零れ落ちただけのように見えた。俺はその宝石を無駄にならないように、と掬い上げる。指に乗せた途端、宝石はじわりと楕円を失った。俺はその源を覗き込んだ。
「レッド」
真紅の眼は俺を映さなかった。涙を流したそれは、そこで役目を終えたようだった。星が豊かに瞬く夜、レッドは死んでいた。
確かに、死んだのだ。
俺はその瞳をそっと覆うと、伏せてやった。
腰に付けたボールをひとつ放り、ピジョットを呼び出す。
真っ白いシーツにレッドをくるんで、抱き抱える。そしてピジョットに跨がり、俺は浮遊した。ひとこと指示をしてやれば優秀な相棒は迷いなく羽ばたく。レッドが言っていた、『あそこ』。シロガネ山に向けて羽ばたいた。
やがて辿り着いた頂上は、星に手の届きそうな開けた所だった。俺はピジョットの頭を一撫でし労って、ボールへ戻す。
そして、穴を掘った。
レッドを眠らせるための、深い穴を掘った。雪の下に沈黙する土は固く冷たかったが、俺はひたすらに掘り続けた。ひとしきり掘り進めて、夢中になって穴を掘った。そうして作られた穴は、やがてどうにか人を飲み込めるくらいの大きさになった。
俺はそこにレッドを横たえた。確かに死を迎えた白い肌に触れる。体温は無い。俺は、そっと土を被せてやった。
そして俺は、そこに腰を下ろす。
レッドが言っていた、三千の夜。それを数えることにしたのだ。
彼は三千の夜を越えた後、会いに来ると約束した。約束は一方的では契られない。俺もその約束を守るために、夜を数えることにしたのだ。
数え始めた夜。
それは存外に、鉛のようだった。
ある時は、しんしんと降り積もる雪。ある時は凍てつくような吹雪。ある時は身を抉るような霰。ある時は虚しいほど重く垂れ込める曇天。
初めのうちは、ひとつひとつ律儀に夜を数えた。だがいつからか、数百を越えた時点で数えるのが面倒になった。夜は焦らすようにゆっくりと、どろどろと過ぎていくばかりだったからだ。俺は数えることを放棄し、ただ待つことにした。
そうして、どれくらい経っただろう。
「……何やってるの」
俺以外に訪れることの無かったシロガネ山に、人の声がした。背後を振り替えると、一人の少年が立っている。
太陽の木漏れ日を集めたような柔らかな茶色の髪。肌に透かして見える血管ような、朱色の瞳。俺が知るレッドとは異なる色彩。
けれど俺は、疑わなかった。
「お前を待ってたんだ」
あの夜のように星が豊かに瞬く。こんな美しい夜を、いつ以来に見ただろう。俺たちはその下で微笑みあった。
三千を越えた夜は、今だった。
100616
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