夜目は利かない。でも『視る』ことは出来る。千里眼という通称の異常な魔眼。それを保有し使用していた僕は、底知れぬ暗闇に恐怖を覚えたことはなく、忍び寄る影に怯えたことはなかった。たとえば手持ちのポケモン、野生のポケモン、屋敷のお手伝いさん、自然のいたずら、不審者侵入者。どんな存在でも、この目があれば確認することが出来た。目を瞑っていても、どんな場所にいても。だから僕は、得体の知れないものへ警戒を張るということとは無縁だった。

そのため、今回もあまり気にしていなかった。平静通り『視る』ことが出来たし、また何よりその対象が見知った存在だったためだ。

 鉋に似た薄い音。滑る障子が、よく知った彼を引き入れる。こんな夜分に、挨拶もなく訪問とは、彼らしくない。そうは思ったものの、僕は褥についたままだった。何分、眠かったのだ。
畳の目を一つ一つ数えるかのように、彼は僕へと歩み寄る。極力音を立てないように、それでも無音にはなりきれない。どうやら四つんばいでいたらしい彼は、やがて僕の布団の横へと到達した。
 僕は、彼が何らかのアクションをとると思った。
 だが、彼は僕の麓でぴくりともしなかった。
ただじっと、月明かりも朧な暗闇の中で僕を見つめているようだった。――一体なんだっていうのだろう。何か用があるのなら、声をかけてくれればいい。もし驚かしにかからかいに来たのなら早くしてほしい。バトル経験の高そうな睡魔が瞼に陣取ってはいるけれど、誰かがいるのに熟睡できるほど僕は図太くもない。自分と眠気との拮抗は辛かった。
 すると、彼は意志が届いたのではあるまいけれど、ぴくりと動いた。
布団の擦れる音。ほんの微かな衣擦れ、そして軽く畳が撓む。耳元につかれたらしい腕。なんだい、何をしようっていうんだい?やはり悪戯かな、僕はそう夢現つに思案する。
けれど、呑気な意識はそこまでだった。

僕は咄嗟に身を起こす。

「……どうしたの、ゴールド君」

薄闇の中で金色の目が瞬いた。

「あれ、起きてたんですね。マツバさん」
「眠気はいっぱいだったんだけどね、今ので吹き飛んじゃったみたいだ」

それを聞いてかゴールド君は残念、とばかりに口を三日月にして笑った。その口の中心には、僕が咄嗟にあてがった人差し指がそっと添えられている。
――僕の唇に唇を落とそうとする行為を、止めた際のものだ。

「こんな夜中にどうしたっていうんだい、ゴールド君……。何か、急用?」
「どうでしょう」
「じゃあ悪戯?ならもう少しかわいいものがいいよ」
「悪戯に見えましたか?」
「大人をからかおうとするものにも見えたかな」
「残念、どれもハズレです」

 ゴールド君は身を起こした僕に合わせてぺたんと正座をしていたが、ゆるりと目を細めると足を崩した。
そして僕と布団の上に這い上がる。添えられた人差し指を離すように縋るように、ゴールド君の手が触れる。ねだるような目で僕を見上げて、――言った。

「セックスしにきました」

呼吸さえも静まる一瞬。

「………………………………………ゴールド君、」
「はい」
「やっぱりからかいにきたんだね、」
「ハズレって言ったじゃないですか……本気ですよ。あぁ、主導権は、いりません。だから俺とセックスしてください、マツバさん」

しなだれかかるように寄り添ってくるゴールド君は、慣れた遊女みたいに優雅な仕草で僕の肩に手をかけた。何故か思わずどきりとするような手付きだった。
だが、だからと言って彼の冗談を真には受けたりしない。

「落ち着くんだ、ゴールド君。セックス…君もそういう年頃だね、分かるよ。でも間違えちゃいけないな。そういうのは好きな人とするべきだし、大体僕は、男だ。」
「ふぅん?……マツバさん、以外と小心なんですね」
「なっ、」
「マツバさんが男で年上でノーマルなヘテロなのは分かっています。けれどそんなことは大した問題じゃないです」

動揺したじろいだ僕を、ゴールド君は平坦な声と安らぐような笑みであしらった。

「今まで色んな人をお誘いしてきました」
「……え」
「そうですね、…リーグだとワタルさんは普通にセックスしてくれて、カリンさんも相手してくれました。他の四天王の方は駄目でしたけど。後はジムリーダーで、ジョウトでは」
「待って待って、」
「、はい?」

それ以上を聞く勇気は無いかった。ワタルとカリン、確かにあそこの二人はやりかねない。ワタルのバイは結構周知だし、カリンは色んな意味で大人の女性だから。仕方ない。彼らならゴールド君の冗談みたいな誘いに平然と乗りそうだ。しかし、他のジムリーダーがどうだったか、そんな話は聞きたくなかった。なんだか聞いてはいけない気がした。
そしてここで、ふと思う。

「…ゴールド君、君は誰彼かまわずにこういうことをしてるの」

ゴールド君は首を軽く傾げた。

「はい。言ったじゃないですか、マツバさんが一般的性癖の男性であることは関係ありません。お誘いして、セックスしてくれるか。俺にとってはそれだけです」

誰でも誘うのなんて、当たり前のことだ。とばかりに、ゴールド君は不思議そうに僕を見つめていた。

 とんだ、―――途方もなくとんだ、悪戯だ。そう思った。

 そしてその悪戯は、僕には効果抜群だった。だって驚きのあまり、もううんともすんとも反応を返すことが出来ない。
何せ、僕はこんな彼を初めて見たのだ。
 目測を誤っていたとも、自分の『目』に存外頼り過ぎていたのだとも言える。先程、僕の部屋に忍び込んできたのは、確かにゴールド君だと思っていた。だが、目の前にいる彼は、何だ。姿形は確かに見知った彼だ。けれど鼓膜を震わす声色や、指先ひとつひとつの仕草が、未知の域のものだった。エンジュにいる芸妓さんよりも悪戯っぽく、大人の女よりも慣れたくたびれ方をしている。この若い年にあるまじき廃れ方だ。
そして、僕からひたと離されないその目。暗い鬱金には、いつもの彼の色は見て取れない。ポケモンに向ける慈愛や、静かながらも波立つ闘志の輝きはそこにいない。あるのは、濁った生気。それと深い――暗闇。見透せない、見通したことのない暗闇があるだけだった。
そんなものに、僕は会ったことが無かった。僕は初めて、暗闇に恐怖というものを視た。

「俺とセックスしてくれますか、マツバさん」

 その視たことのない存在に、勿論と言っていい程僕は返事を返せなかった。

 そして、そこに意志は無くとも。無言は肯定ととられるのは、――中々に当然のことだった。





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