それにしても不思議な話だ。ここ数日怪しいとふんでいた青年と、こうしてアカデミア救済のために肩を並べている。数刻前まで、そんなことは思ってもみなかった。 井戸を降りて、横に伸びる空洞を歩いていた。いつ誰が、なんのために掘った穴なのかなどは、遊星にもわからないらしい。 それは、ずいぶんと長く掘られていた。100メートルほど進んだところで、ようやく視界が開ける。そこはドーム状に広がった、ホールのような部屋になっていた。人の立ち入るような場所ではないのだが、その部屋の壁には、数メートル置きに燭台が設けられている。マッチをアカデミアから持ってきているという遊星が、ロウソクに順番に火を灯した。 「ここはいったい、なんの部屋なんだ……」 大きさがあるわりに、その空間は殺風景だった。部屋の中心が窪んでいて、丸く平地になっているが、それ以外に特筆すべきところはない。 「少し前まで、アカデミアでは、闇のデュエルの研究が秘密裏にされていたと聞いています」 「ああ、けっこう最近の話だ。大徳寺先生と、数名の生徒が関わっていたらしい。……まさか、ここって」 「その、研究室の残骸かもしれません」 確かめる術がないので、それは憶測の域を出ない。しかし、そうだとしても、なんら不自然ではないのだ。廃寮までも使っていたということだったから、こうした枯れ井戸を利用していてもおかしくはないだろう。 十代が入学する前に、ここでの研究は区切りがついたのか、もはや人の使った名残は残っていなかった。証拠となるものも、既に処分されている頃だろう。 「それより、みんなはいったいどこにいるんだ? ここにいるのは間違いないんだろう?」 振り返りながら十代は問いかけ、遊星はそれに頷く。 壁から離れていてください、と遊星は告げた。その言葉の意図は十代にはさっぱりわからなかったが、言われた通りに、部屋の中心へと移動する。すると遊星はその部屋の天井を見上げ、声を張り上げた。 「そこにいるんだろう、姿を見せたらどうだ! お前たちの望み、この俺が叶えてやる!」 遊星にならって、きょとんと天井を見上げていた十代であったが、ごぽごぽと不吉な音をたてるそれに、顔を引きつらせ、うっ、と呻いた。 天井、壁、小石と砂の隙間から、先ほどの肉塊のような、ジェルのような物体がしみ出してきたのだ。音をたてながらそれらは天井を、壁を覆い、あっという間に部屋全体を包みこんだ。 ぐるりと周囲を覆ったそれに、十代は世話しなく、あちこちに視線を巡らせていたが、ある一点で視線が全て奪われる。言葉が出るより先に、十代はそれに駆け寄っていた。 「翔! 万丈目! 明日香!」 「十代さん、危ない!」 ジェルの中に、級友たちの姿が見えたのだ。翔たちだけではなく、それらの中には、消えた生徒や教師たちが閉じ込められている。彼らは堅く目を閉じたまま、苦しそうに呻いていた。 助け出そうと手を伸ばした十代を、遊星が制止する。あと僅かで触れられるという位置で、十代の身体はジェルから引き離された。彼は一言、遊星に文句でも言ってやろうと息を吸ったが、十代を取り込もうとうごめいているジェルを見てしまって、そんな気も一気に失せてしまった。 「うお、気持ちわる……っ! 助かったぜ、遊星」 「こいつはまだ、無差別に人間を取り込もうとしている。うかつに近づくと危険です」 「でも、それじゃあどうやって明日香たちを助ければいいんだよ……!」 「精霊たちの怒りを、なんとかしてしずめなければなりません。そのために、十代さん」 遊星の澄んだ瞳が、まっすぐに十代に向いていた。そして彼は言う。 「俺と、デュエルしてください」 「君と、俺が……? 俺は別にかまわないけど、それでこいつらの怒りはおさまるのか?」 「彼らは、弱いからと、デッキにも入れてもらえずに、捨てられたカードたちです。彼らはデュエルをしたがっている。彼らをデッキに入れて、一度でもデュエルをしてやれば、彼らの気持ちは静まるでしょう」 正直、半信半疑だった。けれど、そっと心を落ちつけて耳を澄ましてやれば、幾重にも重なった精霊たちの声が聞きとれた。やはりひとつひとつの声を拾うのは難しい。だが、怒りの声の中で、寂しさに喘いでいるのが、十代にもよくわかった。 本当は、彼らも誰かのデッキの中で戦っているはずだった。しかしそれすら叶わずに、何ヶ月、何年も、この古井戸の中に打ち捨てられていたのだ。悔しかっただろう。悲しかっただろう。それが、たった一度のデュエルで満たされるなら、デュエルを渋る理由もない気がした。 「そういうことなら、喜んで協力するぜ、遊星! 俺とデュエルだ!」 「ありがとうございます!」 「二人だけなんてずるいよ。僕も仲間に入れてほしいな」 肩をびくりと揺らし、同時に声の方へと振り向いた。優しい、穏やかな声。 ジェルの一部が引き剥がされる。ぱきぱきと崩れ落ちたそこに、僅かな道が出来た。そこから現れた人影。二人の視線の先には、武藤遊戯がいた。 「遊戯さん! どうやってここへ!?」 「十代くんのあとをこっそり追ってきたんだよ。ごめんね、遊星くん。盗み聞きするようなマネをして」 「いいえ、かまいません。遊戯さんの手も、ぜひお借りしたいと思っていましたから」 遊戯の傍らには、ブラックマジシャンガールがいた。彼女が、あのジェルを退けたのだろう。主人である遊戯に、ありがとうと、例を述べられた彼女は、愛らしく微笑んでデッキの中へと帰っていった。 「ってことは、俺と遊星、遊戯さんの、変則デュエルになるってことですね」 「いや、二対二の、タッグデュエルをやろう」 遊戯はそう言うが、ここにいるのは三人だけだ。いったいどういうことだと、十代と遊星が訝しむ先で、遊戯は静かに目を閉じた。 遊戯の額に、ウィジャト眼が浮かんだ。それは黄金に輝き、部屋全体をまばゆく照らす。強烈な光の中で、十代と遊星は、腕で視界を守りながら懸命にその光景を見つめていた。 遊戯の伸びた影が、ふたつに分裂した。ひとつはもちろん、遊戯のものだ。残るもうひとつは。 次の瞬間、光はおさまり、視界はもとの薄暗さを取り戻す。しかし十代は、目の前の現象が信じられずに、何度も何度も瞬きを繰り返した。 「遊戯さんが、二人……!?」 まるで鏡に写したかのように、もうひとりの遊戯が、そこに存在していた。 影から生まれたもう一人の遊戯は、遊戯よりも、きついまなじりを持っていた。勝気に微笑むその様は、なんとも頼もしい。そしてその彼は、何事もないように遊戯に言うのだ。 「久しぶりだな、相棒」 「うん、本当に。まさか、また君に会えるだなんて、僕も思ってなかったよ」 「ここには異質な力が充満しているし、この精霊の集合体の出現で、力のバランスが崩れたんだろう。良い状態ではないだろうが、デュエルと聞いたら黙ってはいられないぜ」 「君らしいというか、なんというか」 ただただ平凡に、二人の遊戯は言葉を交わす。その辺りの通りで旧知の友に再会したかのような会話であったが、十代と遊星には、理解の追いつかぬ話であった。 和やかな雰囲気のなか、遊星が、まるでわからないといった風に眉を寄せている。それは十代も同じであったが、ふと、万丈目だったか明日香だったかが言っていたことを思い出して、あ、と声をあげた。 「そういえば、聞いたことがある。遊戯さんは、その身に、古代の名もなきファラオの魂を宿しているって」 「じゃあ、先ほど現れた彼が……?」 にわかには信じられないと、そう言いたげな視線を、もうひとりの遊戯の方へと向ける。それに気がついた闇人格の遊戯は、余裕ありげに、自信たっぷりに微笑んだ。その表情を見ていると、どんなに非現実な出来事も、妙な説得力を帯びてくるのだ。二人はすっかり、疑いの言葉を向けることを忘れてしまった。もっとも、今置かれているこの状況もずいぶんなのだから、遊戯のことを指摘するのも今さらなのだが。 闇人格の方の遊戯が頭上を見上げた。そして遊星と同じように、そこにいる精霊の集合体に向けて声をあげた。 「そういうことだ。俺たち四人でデュエルをしたい。お前たちの力を貸してくれ」 すると、ジェルからわき出るように、幾枚ものカードが現れ、地面へと降り注いだ。そのどれもが、レベルが低かったり、効果の持たぬカードだったりした。だが、攻撃力が低いことが、ノーマルモンスターであることが、イコール、弱いということではないのだ。 そのうちの一枚を、闇人格の遊戯は拾い上げる。 「今は細かいことはなしだ。さっそく、デッキを組もうぜ。そして、俺たちとデュエルだ」 十代と遊星の答えは決まっている。彼らは互いに頷きあうと、はい! と、それはそれは威勢のいい返事を響かせた。 なんだろう、これは。 戦いのさなか、十代の心は高揚感に包まれていた。緊張感は確かにある。だが、それよりも、耐えられないような興奮がこのデュエルにはあった。わくわくするような、そんな感動を抑えられない。 普段使っているデッキとは別物とはいえ、やはり遊戯は強かった。そしてそれは闇人格の遊戯も、また、十代の隣にいる遊星も同じであった。 遊戯たちは、上手く低レベルモンスターを並べて、上級モンスターをそろえてくる。普段使うデッキの軽量版、とでもいえばいいだろうか。 遊星は、シンクロ召喚という、十代が見たことも聞いたこともない召喚方法で強力なモンスターを並べた。そのたびに十代は歓声をあげたくなった。すっげぇ! なあ今のどうやったんだ! 他にはどんなモンスターがあるんだ! しかし、今この場でそれを言い出して遊星に詰め寄るわけにはいかない。欲求と理性が十代のなかでひしめきあって、やはりそれらは興奮となって、彼の心を震わせた。 楽しかったのだ。十代が攻撃をかざせば、遊戯がカウンターの手をうってくる。うわ、やべ! と思ったところで、遊星がフォローの一手を向けるのだ。そして遊星のそのカードは、今度は闇人格の遊戯がさらに一枚上の手で防いでくる。しかしその戦術は、既に十代が見越していたものであった。 ぎりぎりの駆け引きが続く。それらが楽しくて仕方ない。デュエルが長引けば長引くほど、負けたくないという意思に捉われる。追いつめられる。だが、それが不思議と心地良かった。ばくばくと、いつまでも心臓がうるさく鼓動していた。 幾度の攻防が続いた果て。遊星の攻撃が、遊戯たちの戦術の隙間を掻い潜って、彼らに向かった。遊星の頬が、少しばかり吊りあがっているように見えた。この攻撃が通れば、遊戯たちのライフはゼロだ。 「ナイスだ、遊星!」 「遊戯さん、このデュエル、俺たちの勝ちです!」 だがしかし。ふたりの遊戯は動じなかった。それを見て怪訝に顔を歪ませたのも束の間、闇人格の遊戯は、ふと笑った。 「そいつはどうかな?」 リバースカードオープン! 遊戯が宣言と共に、デュエルディスクに手をかざす。 しかし、次の瞬間。 フィールドにあったカードとモンスターたちは全て、淡い光に包まれた。そして、はぜるように消失したのだ。遊戯のカードの効果ではない。突然のことに、彼らは茫然と呆けていた。 ホタルのような光が、いくつもいくつも浮かんでは、空へと昇っていった。十代が手を伸ばしてそれに触れてみると、温かい。そして、ありがとうと、その光は確かにそう言っていた。 「この光……、精霊たちか」 十代は呟くように言う。 彼らはフィールドから、デッキから抜け出て、上へ上へと向かっていった。いつの間にか、部屋を包んでいたあのジェルは無くなっていた。 「なんだよ、いいとこだったのにな」 十代の、明るい悪態には、遊星が答える。 「きっと、満足したんでしょう。いいデュエルだった。この決着はぜひ、自分たちのデッキでと、彼らは言っていました」 「自分のデッキで、か。そうだよな、確かに、決着つけるなら自分のデッキじゃないと、納得できないもんな。ああ、でも、すっげぇ楽しかったー!」 遊戯さん、ありがとうございました! と、十代は振り返りながら叫んだ。俺もう本当に感動して、ぜひ今度また俺のデッキで、などと、十代はいろいろ続けようとしていたのだが、それらはものの見事に喉の奥へと引っ込んでしまった。十代の視線の先には、もう、あの闇人格の遊戯がいなかったのだ。 「あれ……?」 「もうひとりの僕なら、もう行ってしまったよ。彼はもともと、ここに存在してはいけない人だったからね」 「よく、わからないですけど……」 「うん、僕にもよくわからないんだ」 遊戯は笑うが、その笑みはどこか寂しそうに揺れる。今度戦うときは僕ひとりだけだと思うけどいいかな? と誤魔化すように遊戯は言い、とんでもないです! と慌てて十代は両手を振った。 十代さん! 勢い良く呼ばれ、十代は振り返る。その瞬間、強く両の手を握られた。ぱちぱちと、ただ瞬く。 藍の瞳を緩やかに細めた遊星が、目の前で十代の手を握っていた。 「ありがとうございました!」 「は、え……?」 「これで、アカデミアの生徒たちは帰ってくるでしょう。精霊たちも、デュエルを楽しむことが出来たはずです。きっと、俺ひとりではなにもできなかった。十代さんと遊戯さんのおかげです! なんてお礼を言ったらいいか……!」 「礼なんていらねぇよ。それに、俺は遊星に謝らなきゃいけない。勝手に、お前が犯人だなんて決めつけて」 「かまいません。それに俺はもともと……。ああ、十代さん、遊戯さん、あなたたちに会えてよかった。これで俺も、もとの時代に帰れます」 はて、と、十代がそう思ったところで、遊星は静かに目を閉じた。そして、彼の身体も、精霊同様に、眩く発光する。 星屑に包まれているようだった。きらきらと、光の粒が頭上から降り注ぐ。それらに目を瞬かせているうち、十代の目の前に、巨大な影が出現していた。 気がついたとき、遊星の姿はそこにはなかった。しかし、彼の目の前には、美しい翼を持った白銀の竜が出現していたのである。竜は翼を広げ、咆哮を響かせる。十代はその竜を知っていた。遊星が使ったエースモンスター、スターダストドラゴンだ。十代はそこで、全て合点がいった。 「ああ、なんだ。遊星、お前も精霊だったのか」 だから遊星の存在は十代と遊戯しか知らなかったのだ。級友たちは、彼の姿を見たことがなかった。当然だ。見ることが出来なかったのだから。 彼はきっと、精霊たちの嘆き悲しむ声を聞いてここへやって来たに違いない。責任感の強い彼は、精霊も、生徒たちも、皆を救おうと、ひとり戦っていたのだ。 「遊星くんはね、未来の世界から来たんだよ」 言ったのは、遊戯だった。そういえば、彼は最初から、遊星の素性を知ったような素振りだった。 「いつから知っていたんですか、遊戯さん。俺にも教えてくれたらいいのに」 「言おうとしたよ。でも君があまりにも猪突猛進だったからさ」 遊戯は遊星に、もとい、スターダストドラゴンに歩み寄る。遊戯が手を差し伸べると、スターダストはそれに応じ、頭を下げた。竜の頬に、遊戯の手が触れる。 「お疲れ様、遊星くん。ありがとう」 すると、スターダストドラゴンはもう一度吠えて、それはまるで、十代や遊戯に、礼を述べているようだった。 スターダストは翼を広げる。飛び立つと、その身体は光の粒子になった。さらさらと流れるように光がこぼれ、風が通り過ぎるように、スターダストはいなくなる。おそらくは、自分の時代へ帰ったのだろう。 不思議で、どこか神秘的な光景に、しばし彼らは立ち尽くしていた。 「ねぇ、それで!? それからどうなったの!?」 「遊戯とはどうしたの?」 「みんなには会えたの?」 「ねぇ、遊星は? 遊星は今どこにいるの?」 子どもたちの無邪気な質問攻めに、十代は、はいはい、と苦笑いを溢した。 昔話をしてほしいと、そうせがまれて話しはじめたとき、十代の前にいたのは、小さな女の子ただひとりだった。だが、今はどうだろう。約10名の子どもたちが、夢中になって、十代の話に耳を傾けていた。 「残念だけど、続きはまた今度な」 えー! と、子どもたちは不満の声をあげる。だが、十代にも予定があった。ごめんな、と両手を合わせる。 十代がいるのは、異国の教会だった。その教会には年老いた神父がおり、また、身寄りのない子どもたちを保護する、孤児院の役割を果たしていた。 アカデミアを卒業した十代は、見聞を深めるため、世界各国を旅していた。この教会に立ち寄ったのは、アカデミアの校長である鮫島から、依頼があったためである。神父に預かりものを届けるだけであったのだが、子どもたちに捕まり、アカデミアでの思い出話をせがまれていたのであった。 外ではすっかり日が暮れている。十代は夜更かしはいとわないが、子どもたちはそうもいかないだろう。 また明日も来ていいかと神父に聞くと、ぜひに、という返答だった。続きは必ず明日聞かせると約束をして、十代は教会をあとにした。 「ずいぶんと楽しそうに話していたね」 人気の少ない通りで、十代に宿った精霊、ユベルが声をかけた。 「ああ、楽しかったよ」 「けれどね、十代」 ユベルはふわりと浮かんで、そして十代の目の前に現れる。彼、もしくは彼女は、にやりと、嫌味のような笑みを見せた。 「嘘、は、よくないね」 一瞬、十代は足を止めた。彼の表情からは、感情などはうかがえない。 すぐに彼は歩みを再開した。何も言わない彼にも、ユベルは容赦なく言葉を浴びせる。 「武藤遊戯がアカデミアに来ただなんて、そんな過去はないね。あのような事件もなかったよ。不動遊星に至っては論外だし、彼は正真正銘の人間だ」 ユベルの言った通りであった。十代の送った学園生活に、そのような出来事はなかった。 非現実が盛り込まれたあの話は、十代の作り話である。しかし、その事実を知りうるのは十代と、ユベルだけだ。あの話を聞いた子どもたちにはそれが事実で、真実であった。 へら、と不意に十代は笑った。 「遊星の設定は、ちょっと無理があったかな? ああ、嘘だよ、全部」 でもさ、と彼は続ける。 「誰もが幸せなハッピーエンドなら、いいんじゃないの? 嘘だって」 十代は楽しそうに笑う。 それは彼の、しばらく見ることのなかった、無邪気なイタズラ心だった。 |