あれ、人減った? そんな十代の呟きに、そんなバカなことがあるかと万丈目が反論した。当然だ、ここは小島の学園であるのだ。平日のど真ん中に人が減るなど、そんなことがあってはならない。
 しかし、四時限目が開始されようとするこの時間。大講堂の人口密度は、いつもより少しばかり低いような気がした。

「でも、この授業って、もっと人が多くなかったか?」
「そういえば、空席が目立つわね。全員がサボっているわけでもないだろうし」
「そんなまさか。全員がアニキなわけじゃないんスから」
「俺だってそんなにサボってねぇよ、翔」
「でも寝てるじゃないっスか」

翔の反論に、そんなことねぇよと十代は声を張る。そんな二人など気にも止めずに、明日香は小首を傾げた。

「いったい、みんなどうしちゃったのかしら」
「気のせいじゃないのか。まだ始業まで数分ある。来ていないだけだろう」
「そうだといいんだけど……」

一方で万丈目は、すたすたと自分の席まで歩いていってしまう。十代が指摘したことが気にもなったし、同時に万丈目の言うことが正しいとも思った。
 結局のところ、今気にしても仕方が無いのかもしれない。明日香は、未だもめている十代と翔に、私も自分の席へ行くと告げて、挨拶代わりに片手を上げた。
 ももえとジュンコの間に腰を下ろす。明日香さん聞いてくださいよ、と途端元気に話し出したももえに呆れの笑みをこぼしながら、あれ、と明日香は思った。
 視界が広いような気がした。そういえば、明日香の前の席には、背の高い男子生徒がいた。確かジュンコの斜め前には、明るい髪色をした女子生徒がいて、周囲の生徒と、高い声で私語を繰り返していた。少し離れた席にいた男子生徒は、十代や三沢と仲が良かった。その男子の隣にいた女子生徒は気さくで、何度か雑談を交わしたことがあった。そのどれもが、今日は空席であった。
 前の席の彼は、今日はどうしたのかしら。明日香がジュンコに問うと、彼女もなにも聞いていないようで、不思議そうな顔をした。

「珍しいですね、彼がいないだなんて」
「もしかして明日香さん、彼のこと気になるんですかー!?」
「え、そうなんですか明日香さん! 十代のことはどうするんですか!?」
「ち、違うわよ! それにジュンコ、どうして今、十代の名前が出てくるのよ!」

なんで必死なんですか明日香さん、とまた彼女たちに茶化されて、明日香から冷静な判断力が抜け落ちる。否定することに必死で、いつの間にか明日香の中から、生徒の減少についての疑問は、始業のチャイムまで、すっかり忘れさられてしまうのであった。





「やっぱり減ったよな、どう考えても」
「……みたいっスね」

机に顎を置きながら十代は言い、それに答えるのは、隣の席に座る翔であった。授業開始から数分過ぎた講堂で、彼らはぼそぼそと繰り返す。

「こうして後ろから見ると一目瞭然っスね。ブルーもイエローもレッドも、どこも全体的に少ないよ」
「そういえば、俺今日、三沢見てねぇな」
「あ、僕も見てない」

教師が教本片手に講義をする声と、黒板にチョークで書きつける音。それから、シャープペンシルが紙の上を走る音が鼓膜を揺する。しかし、それらは全て放棄して、十代は腕の中に顔を埋めて机に伏せった。

「三沢がサボるとは考えにくいよな……」
「そうっスよね。でも、三沢くんは神出鬼没なとこあるから……って、おーい、アニキー?」

伏せたまま反応が無くなった十代の肩を叩く。帰ってきたのは、講堂には不釣り合いな、微かな寝息であった。いくらなんでも早いよアニキ……と、翔は思うが口には出さない。

「やっぱり寝るんじゃないっスか……」

つまるところ、十代の優先事項というのは、デュエル関連と、自身の欲求なのであった。





 長針は頂上を越え、昼休みである。
 掲示板のところに、人だかりが出来ていた。なにかあったのだろうかと、十代は背筋を伸ばす。その人ごみの中に見知った黒い背中を見つけたので、十代は身を低くして人をかき分けると、その背中を二、三度叩いた。

「よお、万丈目」
「なんだ、十代か。今はひとりか、珍しいな」
「翔と剣山が、また口喧嘩はじめてさ。逃げてきたんだよ」
「貴様の舎弟だろ、なんとかしてやれ」
「いや、無理だろ。だって、毎日だぜ? それより、なんの騒ぎだよ、これ」

あれだ、と、首の動きで万丈目が掲示板を示した。十代は目を凝らして、そこに張り出された、A4サイズの白い紙を見る。ちらちらと、他の生徒たちの頭が視界を邪魔したが、器用に顔を動かして、そこに書かれた文字を読んだ。

「えーっと、自由時間短縮のお知らせ……?」
「門限が早まるそうだ。午後七時以降は外出が禁止になるらしい」
「七時!? 七時って、遊戯さんの補講が終わってすぐじゃん! 嘘だろ、中学生でももっと遊んでるぜ、今どき!」
「昨日、師匠が言っていたアレだ。ブルー寮の生徒が行方不明になっていると。今朝になって、また大量の行方不明者が出たそうだ。さっきの授業で、人数が少なかったのもこれだろう。これ以上犠牲者を増やさないために、陽が落ちてからの行動を制限するらしい」
「行方不明? 今日いなかったやつら全員がか!?」
「なんでも、森に行ったきり、戻ってこなかったそうだ」

何故そんなに大量の生徒が、門限が過ぎてから森に向かったんだ、と万丈目が続けるが、十代はそれどころではなかった。門限が過ぎてから森に向かったのは、十代も同じであったからだ。
 嫌な予感がした。以前のような曖昧なものでなく、もっと明確な形を成したなにかだ。
 昨晩、十代は、行方不明になった生徒たちと同様に森へ向かった。そこでいったいなにを見た。そう、そこにいたのは、得体の知れない青年だった。

「まさか、あいつが……?」
「なんだ、心当たりがあるのか?」

答えようとして顔を上げ、そこで十代の動きが止まった。ある一点に視線が奪われる。
 十代の目の前には大きな窓があって、そこからアカデミアの、対面する校舎が見えた。通常教室が並ぶのではなく、特別教室が主な棟だ。そこの屋上に、遊戯がいた。時おり見える横顔は穏やかに微笑んで、誰かとの談笑に興じている。しかし、問題はその相手、だった。
 遊戯の隣にいたのは、あの青年であったのだ。彼の表情はやはり変わらないが、ぽつりぽつりと、遊戯に返答している様子である。たまらなくなって、十代は走りだした。呼び止める万丈目に返答することすら、億劫に感じた。





 空気を掻くようにして先に進む。足がもつれて転びかけたが、壁に上手く手をつくことで、なんとか転ぶには至らない。階段を飛ばし、乱暴に角を曲がる。肩がぶつかって、悲鳴と共に荷物を落とした名も知らぬ後輩に、ああ悪い! とどこか投げやりな謝罪を送る。それでも彼は足を止めない。ひたすらに、対角線上にあった屋上を目指した。
 大きな扉を、ほとんどぶつかるようにして開ける。ばん、と粗暴な音が響いて、それから十代の両の目には、痛いほどの太陽光が射し込んだ。
 はあはあと、肩を使って息をする。そんな十代を振り返って、ひどく驚いたような顔をしていたのは、武藤遊戯その人だった。

「十、代くん? どうしたの?」
「遊戯さん!」

大股で彼に歩み寄り、遊戯の無事を確認する。事態が飲み込めずに目を瞬かせている遊戯を傍目に、十代は周囲を見渡した。
 穏やかな、昼下がりの光景ばかりが広がっていた。風の吹き抜ける音がする。天気は晴天だ。

「あれ……?」
「えっと……、十代くん?」
「急にすみません、遊戯さん。でも、無事でよかった」
「なんの話? いったい、なにがあったの?」

どこから話せばいいのかわかりませんけど、と十代は前置きをして、簡単なあらましを語った。数日前から不思議な青年を目撃していること。その彼が遊戯の隣にいたので慌てて来たのだということ。そして頻発している行方不明事件に、彼が関わっているだろうということ。
 遊戯の両の目が細められる。行方不明者のことは、と、特別大きいでもないのによく通る声が、十代の言葉を引き継ぐ。

「職員会議で僕も聞いた。たぶん、あの森が関係しているんだろうね。今日の授業が終わったら、僕も調べてみようと思う。今のこの状況は普通じゃない」
「俺も行きます! それに遊戯さんを危険な目に合わせるわけには……!」
「それは僕のセリフ。僕や先生方に任せて、君は寮で待機していて。それに」

一転して、彼は微笑んだ。幼い顔立ちが、ふわりと揺れる。

「少なくとも、今回の事件の犯人は、遊星くんではないよ」
「ゆうせい……?」

一瞬誰のことを言っているのかわからなかった。しかし数秒して、その名が、かの青年を示しているのだと気がつく。そこではじめて、十代は青年の名を知った。まるで化け物かなにかのように思っていたから、名前があることすら不思議であった。

「でも、俺見たんです! 森の中で、遊星ってやつがなにかしていたのを!」
「遊星くんは、誰かに危害を加えるだなんて、そんなことはしないよ。だって、彼は」

その場にそぐわぬ、呑気なチャイムの音が遊戯の言葉を遮った。十代の思考回路は遮断される。その音の意味を、すっかり見失っていた。

「あ、れ……? 今の音って……」
「十代くん」

恐る恐る、といった風に十代は遊戯の方に視線を戻す。相変わらずの柔らかな表情で、遊戯は自身の腕時計を指し示した。

「もう一時だよ」

つまり、先のチャイムは昼休みの終了と、午後の授業の開始を示していた。さっ、と十代の顔が青くなる。
 アカデミアでは、午後の授業の多くがデュエルの実技だ。実技担当のクロノス教諭は厳しいことで有名で、また同時に、十代はそのクロノスに、入学当初から目をつけられているのである。初期の陰険な雰囲気無くなったとはいえ、問題児扱いは今でも変わらない
 単位を取り消されてはたまらない。やっべぇ! という言葉と共に、十代は踵を返した。

「ごめんなさい遊戯さん! 俺もう行きます! えっと、午後の講義、楽しみにしてます! 絶対行きます!」
「うん、クロノス先生に怒られないようにね。またあとで」
「はい!」

返事を返す頃には、彼は扉をまた乱暴に開けて、屋上を飛び出していた。来たときもそのようだったから、彼はこの昼休み、すいぶんと走りまわっていたことになる。若いなー、と遊戯は歳甲斐もなく思う。
 十代を微笑ましく思ったまま、彼の視線は上へと向かった。
 校舎の周囲に建てられた方尖柱。その頂上付近に、人影があった。

「十代くんは、君を疑っているみたいだけど。このままでいいの? 遊星くん」

遊星は、風の中に髪を遊ばせたまま、じっと森のほうを眺めていた。藍色の瞳は、空や海よりもずっと澄んだ色をしている。
 長い沈黙があった。それは遊星の肯定であり、否定でもある。
 そんな遊星を傍らに、そして先ほどの十代を思い浮かべながら、遊戯は笑った。

「若いって、いいね」



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -