「遊戯さんの講義は補講扱いで、希望者のみで開講するみたいよ」
「へぇ。通常授業ってわけにはいかないんだな」
「三日間だけだしね」

翌日は平日であった。
 十代と明日香は校舎内のホールにある階段に腰掛け、雑談に興じていた。もっぱら、話題は昨日訪れた、武藤遊戯のことである。もっとも、それは彼らだけではなく、学園全体においても言えることであった。
 ドローパンをちぎって食べる明日香よりも下の段に十代がいて、その隣には翔と剣山。少し離れた位置には万丈目と三沢がいた。

「希望者といっても、応募が殺到することは目に見えているから、抽選にすると言っていたわ」
「え、抽選なの!? いやだな、僕そういうの弱いのに……」
「やる前から諦めてんじゃねぇよ、翔! そんなんじゃ、運気も逃げてくぜ!」
「アニキは引きが強いからさ……」

笑って肩を叩く十代とは裏腹に、翔の表情は暗い。追いうちをかけるかのように、万丈目が言葉を紡いだ。

「確かに、レッドとイエローはとくに狭き門かもな」
「どういう意味だ?」

十代が問う。知らんのか、と万丈目が続けた。

「遊戯さんの講義を受けられるのは150人。うち100名がブルー寮の生徒。イエローは残りの30。更にレッドはあまりの20だ」
「なんだよ、そのひどすぎる内わけ!」
「ブルーの優待は今にはじまったことでもないだろう。俺様も、今頃はその優待枠に入っていたはずだったのに……っ、そうだ十代、元はと言えば貴様のせいで!」
「いででで! でも、万丈目大好きじゃんか、レッド寮のこと」
「誰が、いつ、そんな、ことを、言った!」

右から万丈目に責め立てられ、左では翔が縋りついている。アニキー、僕が30人の枠になんて入れるわけないよーと、涙ながらに訴えた。うるせーなーお前らー、と口先では言うものの、本心では満更でもないことは、彼の笑顔が物語っていた。
 そういえば、と不意に十代は明日香を見上げる。

「ブルー寮に、転入生かなんかが入って来なかったか?」
「え? いいえ、私は何も聞いてないけど」

彼の視線は、そのまま三沢へと向けられる。

「イエローの方は?」
「俺も、そんな話は聞いたことないな」
「そっかあ」

昨日見かけたあの青年が気にかかっていた。彼をこのまま放っておいたらいけないような、不吉な予感。たとえ杞憂だとしても、青年の正体だけは、なんとしてでも確かめたかった。
 もしかしたら、ブルー寮やイエロー寮に転入生が来ていて、それを自分が知らないだけかもしれないとも思ったが、そうではなかったらしい。
 ではやはり、あの青年の正体は明確ではないということだ。いったい、誰なのだろう。

「どうして、そんなことを聞くの?」
「ああ、ちょっと……変な奴を見かけてさ」
「先生に言ってみたら?」
「まあ、考えすぎかもしれないし、様子を見てからな」

もし、何事もないのであるならそれでいいのだ。あまり表だった騒ぎにはしたくはないから、なんでもないことのように笑みを向けた。
 あっすりーん! と一転して、ひどく陽気な声が響いた。姿を見ずとも、その主は明確である。殊更に、明日香の表情が険しいものへと変化した。

「……兄さん、お願いだから、人の多いところでそう呼ぶのはやめて」
「なんでだい明日香。あすりんなんて、明日香にぴったりのかわいい響きじゃないか!」
「目立つからよ!」
「目立つようにしているんだよ、明日香に悪い虫がつかないようにね!」

上の階から歩いて来て、自然な立ち振る舞いで明日香の横に座ったのは、明日香の兄である、吹雪であった。兄の返答に、明日香はため息をこぼし額に手をあてる。異論は多々ある様子であったが、それ故に言葉が出てこないようだった。しかし、そのやり取りもいつものことである。
 今さら指摘することではないし、これが吹雪の通常であることは周知の事実である。明日香の心労を察しながらも、十代があえてそこに触れることはない。

「吹雪さんも、遊戯さんの講義に出るんだろ?」
「もちろんさ。こんな機会は、またとないだろうからね。十代くんもそうだろう?」
「あったりまえだろ! まあ、抽選に当たらないといけないみたいなんだけどさー」
「十代くんならきっと大丈夫だよ。なんたってこの、ブリザードプリンスがついているんだからね!」

根拠のわからない自身を掲げる吹雪に、十代は苦笑いで返答する。吹雪とはそこそこの期間を共にしているのだが、相変わらず、どんなリアクションを返したらいいのかわからないときがあるのだ。冷静沈着である丸藤亮と、日ごろどんなやりとりをしていたのか、気になるところである。
 受付用紙にはもう記入した? と聞く吹雪に、十代たちは顔を見合わせ首を振った。しかし明日香は、当然という風に澄ました表情をしている。

「さっきブルー寮の方の受付が終わったところだから、イエローとレッドもそろそろじゃないかな」
「マジかよ! 翔、剣山、行こうぜ!」
「あ、もう、すぐ置いてくんだから! アニキ! 待ってってばー!」
「受付用紙は逃げないザウルス!」

十代に続いて、翔、剣山と走りだす。出遅れてはたまらないといった様子で万丈目と三沢も立ち上がるのを見て、吹雪は笑みをこぼした。

「あ、そうそう」

しかし、今思い出した、という風な吹雪の声に、全員の動きが止まる。

「君たち、夜の外出には気をつけてね」

もちろん明日香は特に、と念を押す。明日香は、過保護だなんだと不満を口にする前に、その表情には疑問が浮かんだ。それは残りの面々も同様である。吹雪が明日香のことを異常なまでに気にかけているのはいつものことだが、それにしては注意の内容が今さらすぎはしないだろうか。

「兄さん、それ、どういう意味?」
「昨日、ブルー寮の生徒が外出したきり、戻って来ていないそうだよ。近頃のアカデミアはどうにも物騒だからね。門限はきちんと守るようにね」
「怖いわね……。ええ、気をつけるわ。あなたたちもよ、十代」

真剣に受け止める明日香とは違って、十代の意識は既に、遊戯の講義の方へと向けられているらしかった。厳しく言う明日香に対して、あーはいはいと、彼の返事はずいぶんとおざなりだ。普段から、門限だのなんだのということは、さほど意識もしていないのだろう。
 行こうぜ、と十代は走りだす。翔たちもそれに続いて行き、おそらくは誰も、そう深く受け止めてはいないのだろう。明日香は深く息を吐いた。





 結局、遊戯の講義の席を勝ち得たのは、オベリスクブルー以外では、十代と翔だけであった。やったぜこれで遊戯さんの講義が受けられる、と無邪気にはしゃぐ十代に、万丈目と三沢が左右から恨み事をぶつけたのは当然のことであったのだろう。しかし一方で、あまりの奇跡に感涙し、神にまで感謝を述べる翔には、剣山の嫉妬の眼が向けられることはなかった。
 十代の高揚感は、講義が終わって、寮のベッドに入っても収まることをしらない。同じ講義を受け、同じ興奮を味わった翔にすら、またそれ? と呆れられる始末だ。
 十代は、座ってひたすら話を聞いてるだけの授業は嫌いだ。その十代が、居眠りすらせずに、瞳を輝かせて遊戯の話を聞いていたのだ。それだけでも、彼の感動と興奮がうかがい知れるだろう。実際、多くの強者を倒してきた遊戯の講義は、誰もが身を乗り出して聞きたくなるような、アカデミアの生徒を虜にするには十分すぎる内容を孕んでいた。

「明日も遊戯さんの話が聞けるんだぜ、幸せだー!」
「明日はデモデュエルをして、遊戯さんが指導を入れてくれるらしいっス。楽しみだけど、あの武藤遊戯さんの前でデュエルするなんて、緊張しちゃうよ」
「なにそれ、俺すっげぇやりてぇんだけど!」

早く明日の講義にならねぇかなー! と普段の彼からは決して聞けないような言葉が飛び出す。毎日このようであれば、アカデミアの教師たちも苦労はないだろう。
 布団に入って悶える十代は、ふと、耳に触れた愛嬌のある声に顔をあげた。みると、ハネクリボーが十代のまわりをしきりに浮遊していて、なにやら、自分を呼んでいる様子である。

「なんだ、どうしたんだ、相棒」

何もない空間に話しかける十代を怪訝な様子で見る翔など気にもとめず、その小さな姿に話しかける。すると、ハネクリボ―は十代を招くような素振りをしたあと、寮の外へと飛び出して行ってしまった。

「あ、おい待てよ! どこ行くんだよ!」
「え、なに、どうしたのさ、アニキー!」

明日香さんと吹雪さんに言われたこと、もう忘れたんスかー! 翔が十代の背中にそう叫ぶも、彼は振り返らずに、ドアを開けて出て行ってしまう。聞いていないのももちろんそうであるし、吹雪の注意もとっくに抜け落ちているのだろう。
 翔は、仕方が無いなと息をつく。今さら彼を追うのも無謀であるから、翔はひとり先に、さっさと布団にもぐるのであった。





 ハネクリボ―を追って辿りついたのは、校舎裏の森であった。当然、門限の過ぎた時間では人の気配もなく、外灯もないため、非常に気味が悪い。無意識のうちに、十代は自身の肩を抱いていた。

「おーい、相棒ー! どこにいるんだよ、帰ろうぜー!」

何故か、大きな声で叫ぶのにも恐怖を感じて、十代の声は自然と囁くようなものになる。風に葉がこすれる音、木々から鳥の飛び立つ音、全てが不気味なものに感じられた。
 ハネクリボーを見失って、どれくらいが経っただろうか。自身の感覚だけを頼りに、ゆっくりと森の奥へと足を進める。恐怖に耐えかね、俺はもう帰るぞーと、そう口にしようとしたところで、急に視界がひらけた。
 井戸のような、大きな穴が目の前に現れた。十代はその場所を知っている。生徒間ではカードの墓場と呼ばれ、レベルの低いカードや、雑魚などと称されるカードが、その穴には捨てられていた。ざわざわと、穴の中から精霊たちの声が聞こえる。万丈目がそこのカードでデッキを組み、見事勝利をおさめてからは、カードを捨てる者も減ったのだが、どうやらまだ、カードを捨てる無粋な輩が存在するらしい。
 しかし、十代には、その精霊たちの声をひとつひとつ拾う余裕はなかった。穴の傍に、青年が立て膝をついてしゃがんでいたのだ。十代が港で見かけた、あの青年だった。彼はじっと、穴の中を覗いている。

「……あんた、そこでなにしてんだ」

渇ききった口で、そう問いかける。
 彼は、生徒でなければ単なる来訪者だと思っていた。けれども、来訪者だとしたら、こんな時間に、こんな場所にいるわけがない。十代は鋭く彼を睨みつけた。
 落ち着き払った動きで、青年は顔をあげ、立ち上がる。睨む十代に臆さずに、深い青の瞳が十代のそれをじっと射抜く。彼の口が、静かに動く。

「お前が言っていたのは、この人か?」

その言葉が十代に向けられていないのは明白だ。そして、彼の言葉に返事を返したのは、いつの間にか十代の後ろにいた、ハネクリボーだった。

(クリクリー!)
「相棒! お前どこ行ってたんだよ!」
(クリー?)
「クリー? じゃなくてさ……。てかあんた、こいつの姿が見えるのか!?」

振り返ったとき、そこに青年はいなかった。またしても、彼の姿は忽然と姿を消したのだ。十代は幾度も眼を瞬かせるが、そこに、二度と青年が現れることはなかった。
 木々の間に風の通り抜ける音が、先ほどにもまして大きく聞こえた。得体のしれない恐怖が、十代の足もとから這いあがってくる。彼は即座に背を向けると、逃げるようにして、レッド寮までの道を辿ったのであった。





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