まどろみに沈んでいた十代を浮上させたのは、悲鳴にも似た甲高い声だった。

「アニキ! アニキアニキアニキアニキー!!」
「ぐえっ!」

布団の上にのしかかられて、十代は悲惨な声をあげる。不意打ちであったのも功を奏して、その身体は壮大なダメージを背負っていた。そんなことは全く目に入らないようで、十代の身体に乗った彼は、そのまま連呼を続けた。

「起きてよアニキ! 起きて起きてってば! 大変なんスよアニキー!」
「うるっせえな翔! 今日は貴重な休みなの! 俺は寝るの!」
「授業中だっていつも寝てるじゃないか! とにかく起きてよアニキー!」

翔が布団を揺するので、意地になってそれらを掴む。すると、荒い扉の音が、次なる訪問者を告げた。

「アニキ! 起きるドン!」

瞬間、十代は跳ね起きる。布団ごと翔を転がして、慌てて背筋を伸ばし顔をあげた。

「起きた! もう起きたから! だからお前はこっちに来るなよ剣山!」

翔が十代に乗りかかっているのを見れば、剣山も競ってそれに続こうとするだろう。小柄な翔ならまだしも、体格のいい剣山に跨られてはたまったものではない。
 なにをそんなに慌ててるザウルス? と疑問を口にする剣山に、十代は苦笑いを返す。一方、ベッドの端に転がされた翔といえば、十代が剣山の声で起きたのが不服であるように、不機嫌に目を細めていた。

「で、何しに来たんだよ、ふたりそろって」

すると、彼らは互いを睨みつけ、各々勝手に喋りはじめた。曰く、自分たちはそろって来たわけではなく、来てみたら偶然こいつがいただけ、ということらしい。どうでもいいわ、と十代は思った。聞きたいのはそちらではない。あー! と声をあげて耳を塞ぐ。

「そんなことよりアニキ!」
「大変なんだドン!」
「だから、なんだよ!?」
「あの伝説のデュエリスト」
「武藤遊戯さんが」
「このアカデミアに」
「特別講師として」
「赴任して来るんスよ!!」
「……は? 遊戯、さん……?」

彼らの口から飛び出した思いもよらぬ言葉に、十代は茫然と、吐息のような声音で呟いた。
 一瞬では理解できなかった。武藤遊戯とはつまりあの伝説の? 自分にハネクリボ―を託した、もっとも尊敬するデュエリスト。それがまさか、こんな小島の、自分の通う学校、などに……。
 十代はとっさに、翔の胸倉を掴み上げた。

「なんで早く言ってくんねぇんだよ!」
「い、言おうとしたけど、アニキ寝てたじゃないっスか!」
「え、遊戯さんが来るのか? マジで? いつ? なんで!?」

がくがくと十代が揺さぶるので、翔は喋ることすら叶わない。見かねた剣山が、十代の手を止めにかかる。

「創設者の海馬社長が遊戯さんの知り合いということで、三日間だけ、特別講師をしてもらえることになったらしいドン。今日の昼の船で到着する予定ザウルス」
「今日!? またずいぶん急だな」
「生徒の混乱を防ぐために、ぎりぎりまで伏せられていたんだって。それにしてもひどいよアニキ! 苦しかったんだからね!」

涙目で翔は訴える。動揺が先走り、手加減などすっかり忘れているのだ。剣山が止めてくれたことだけが救いだった。
 悪い悪いと、本当にそう思っているかどうかなどは定かでない様子で十代は言う。しかし、やはり十代の意識は遊戯の来訪へと向けられているようだ。もともと、十代の優先事項というのはデュエル関連に偏っている。

「こうしちゃいられねぇ! 剣山、翔! 港に行こうぜ!」

あれほど起床を渋っていたのが嘘のように、十代は布団から抜け出すと、ジャージを脱ぎ捨て、制服を引っ張り出した。普段は気になど止めないのに、服の皺やら髪の寝ぐせなどを、鏡を見て入念にチェックする。
 十代の傍らで、剣山と翔は顔を見合わせる。

「港? 何しに行くドン?」
「決まってんだろ! 遊戯さんのお出迎えだ!」
「えー! 今港はすごい人だよ、とても割り込めないよ」
「だったら尚更行かなきゃだめだろ! ほら、早く行くぞ!」
「あ! 待ってよアニキー!」

答えも聞かずに、十代は飛び出して行く。反対しても無駄だろうことは、翔と剣山にもわかっていたから、結局いつものように、赤い背を追いかけて行くのだった。




 港は、噂を聞きつけた生徒たちで溢れかえっていた。あまりの数に、十代の位置からでは、海面すら見えない始末だ。

「すっげぇ人だな!」

赤青黄色と、色とりどりの制服が風になびいている。今日は休日であるのだが、全寮から生徒が集結しているのだろう。遊戯の人気がうかがい知れた。
 しかし、これでは出迎えどころか、一目見ることすら難しそうだ。懸命に背筋を伸ばしてみるものの、所詮は無駄なあがきであった。人をかき分けようとすれば、横から入るなと突き飛ばされる具合だ。

「みんな、遊戯さんを見たくて必死なんスね」
「でも、遊戯さんに気を取られて周りの人への気遣いを忘れるのはどうかと思うね!」
「アニキにだけは言われたくないセリフだと思うドン……」
「なんだよ剣山、それ、どういう意味……」

拳を上げて牽制したところで、十代の視線は一点にとらわれた。十代から見て、左手に張り出した崖の上だ。喧騒も忘れ、口を開いたまま、そこから目が離せなくなる。
 青い服をまとった青年がいた。青い服とはいっても、ブルー寮のそれとは違う。この学園では異質な容貌だった。跳ねた髪も、精悍な顔つきも、何もかもが、この場所には不釣り合いに思えた。
 青年は海を見つめていた。他の生徒のように騒ぎ立てるのではなく、ただじっと。そして彼は、十代の視線に気がついてこちらを向く。静かに瞳が動いて、能面な彼の顔が十代のそれと合致する。あ、と十代は吐息を漏らす。
 そこで、強く腕を引かれた。

「アニキ!!」
「え、ああ、翔、なに?」
「なに? じゃないっスよ! ボーっとしちゃって。どうしたんスか?」
「いや、あそこに、見たことないやつが……」

指をさし、再び青年に目を向けようとして、気がつく。青年がいない。

「え、どこっスか?」
「あれ? いや……もう、どっか行っちまったみたいだ」
「ふーん……? それよりアニキ」
「なに?」
「遊戯さんの船が見えたって」
「だーから早く言えつってんだろ、そういうことは!!」
「だから、さっきからアニキが聞いてないだけだってば!!」

一艘の船が、アカデミアを目指して運行していた。わっ、とわき上がる歓声。背筋を伸ばし、手を振って、見えてもいない遊戯を待ちわびている。こぞって身を乗り出したため、十代の身体は強く前に押された。
 船は桟橋に沿うように停止する。駆け出して行きそうな生徒たちを、教員や警備員が必死にガードしていた。
 船から降りてくる人影があった。小柄な体躯と、柔和な瞳。堂々と立ち、アカデミアを見上げたのは、まさに武藤遊戯その人だった。
 割れんばかりの歓声が遊戯を出迎えた。無理もない。彼は有名人を超えて、もはや伝説の人なのだから。デュエルをする者なら、誰しもが憧れるといっても過言ではないのかもしれない。
 しかし、遊戯はこういった歓迎に慣れているわけではない。彼は驚いたように一度息を呑むと、困ったように苦笑をこぼした。
 ざわざわと、歓声が困惑を帯びたのはそのときだった。

「ゆ、う、ぎ、さーーん!!」

人波が無理にかき分けられて、倒れこむように十代が顔を覗かせた。彼は人に押されるまま、そして自分でも人波をかき分けて、遊戯の目の前へとやって来たのだった。最後尾からここまでやってくる努力はさすがのものであった。
 最前列にいたらしい万丈目を押し倒したまま、十代はへらと笑う。

「お久しぶりです、遊戯さん!」
「十代! 貴様なにをしている! 邪魔だ! どけ!」
「いいじゃないかよ、万丈目ー。友達だろ?」
「友達じゃない!」

万丈目は必死に十代をどかそうとするのだが、十代はきらきらと輝く瞳で遊戯を見上げたまま、微動だにしない。
 とっさのことに目を丸めていた遊戯から、呆れの吐息がこぼれた。

「君たち、大丈夫?」
「全っ然、大丈夫です!」
「十代、貴様が答えるな!!」
「そんなことより、ハネクリボ―、ありがとうございました!」

万丈目の言葉など、とうに十代には聞こえていなかった。目の前に立つ憧れの人に、ただただ目を奪われている。幼子がテレビの向こうのヒーローに憧れるような、そんな、無垢で熱い視線だった。
 ハネクリボ―? と遊戯は反芻する。そして、ああ、あのときの! と嬉しそうに口調を弾ませた。

「アカデミア、無事に合格していたんだね。おめでとう」
「ありがとうございます! 遊戯さんのラッキーカードのおかげです」
「じゃあ、僕の目に狂いはなかったわけだ」

穏やかに笑う遊戯は、まず十代を助け起こし、次に万丈目に手を伸ばす。その手を取った万丈目は、もう手は洗わない、とひとり、歓喜にうち震えていた。

「三日間、特別講義をやらせてもらうから、もしよかったら受けにきてね。少しでも参考になればいいな」
「行きます! 是非! 行かせてください!」
「じゃあ、待ってるね、十代くん」

そして遊戯は、彼に焦がれる生徒たちの方へと振り返った。

「みなさんも、三日間という短い間ですが、よろしくお願いします」

歓声。そして港を取り巻く拍手。それらに囲まれながら遊戯は笑い、そして、十代は感動に身を震わせていた。

(クリクリー)

相棒であるハネクリボ―が十代を呼んだのは、そんな歓声のさなかだった。ハネクリボ―は精霊の姿となって、十代の前に現れる。

「どうした、相棒?」

囁くように聞けば、ハネクリボ―は鳴きながら、灯台の方を、小さな手で指し示した。その方向を目線で追う。瞬間、十代の瞳は驚愕に見開かれた。
 あの青年がいたのだ。今度はしっかりと、正面からとらえることができる。青い瞳はこちらを見据え、頬には奇妙な痣のようなものがはしっていた。青年は変わらぬ表情で、こちらを見つめているのである。ただじっと。その視線は確かに、十代のそれに重なった。
 誰なんだ、あいつ。予感のようなものであっただろうか。十代は青年に、得体の知れないなにかを感じていた。
 ざわざわとしたノイズが十代の鼓膜に響く。おそらくそれらは、精霊たちの声の集合体であった。デュエルモンスターズの精霊たちが、なにか異変を知らせているのだ。頭上を見上げる。ひとつひとつの声は拾えない。けれど確かに、それらの声は、アカデミアに何かが起こることを暗示している。そして、次に視線を戻したときにはもう、青年の姿は消え失せていた。

「いったい、何が起きるっていうんだよ……」

遊戯の赴任に沸き立つアカデミアに、なにか黒い影が迫っているような、そんな気がした。







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