千景 | ナノ




「お前はそこで待っていろ」

見張りらしき隊士を気絶させると、千景は名前に待機命令をして一人屯所の奥に進んでいく。なるべく千景が見える範囲に居たかったが、千景自身がそう言うのなら仕方無いと名前はその場に留まった。

「誰かと思えば鬼の大将さんじゃねえか、随分と暇みてえだな」

すると、名前の心配を余所に副長の土方が屯所から出てきて、千景はそこで足を止めた。名前はいつでも刀を抜けるように、柄に手をかける。

「嫁を迎えに来るのは当然のこと、雪村千鶴を渡してもらおうか」

「残念ながら雪村は渡せねえな、お引き取り願おうか」
「ならば力ずくで」

千景と土方、刀を抜いたのはほぼ同時で、刀と刀が交わる音がすぐに響いた。名前は離れた場所で千景を見守る、土方の技量は知らないが一対一なら千景に分があるはずだ。

刀の音と、地を踏む音、息が詰まるような緊張感と臨場感、名前は千景が刀を操るのを見るのが好きだ。力で圧倒する千景の刀は、それでいてとても綺麗だからだ。尋常ならぬ動きと、千景の人間ならざる瞳と髪が、まるでこの世の出来事では無いように思えてくるのだ。

「君は、風間の仲間?」

背後からの殺気と声に、名前は後ろを取られたのを瞬時に理解し、距離を取る為に前方に跳ぶ、自分が動いたのと同時に刀が振り下ろされる音がすぐ後ろでした。

「ふうん、小さいからそこそこ身軽みたいだね」

気づくのがもう少し遅ければ、死んでいたかもしれない。薄く笑みを浮かべて、自分の後ろに立っていた沖田総司は、二撃目を振りかざす。名前はその人物が沖田であると分かると、内心舌打ちをした。運悪く、前に会った人物ばかりが出てくる。

「君見たことある気がするんだけど、気のせいかな?」
「……」

「あれ、僕無視されてる?」

口調とは裏腹に刀の一振り一振りは名前を確実に捉えようとしている、それを防ぎながら名前は自分の事が知られないように奥歯を噛みしめた。

「風間、てめえまた千鶴目当てか!」
「お?なんだ昼間から喧嘩か」
「よーし俺等も加勢するか」

騒ぎを聞きつけて屯所から隊士が数人出てきたようだ、三人とも風間を取り囲むようにして刀を構えだす。

「ふん、たかが人間が三人増えたところで雑魚に変わりはない」
「やってみなきゃわかんねーだろ!」

周りよりも一回り小さい少年が風間に刀を振り下ろしたのを皮切りに、残りの二人が槍と刀で参戦し始める。

「ほら余所見してたら危ないよ」

風間が気にかかりつつも、目の前の沖田を相手に気を抜いたら命取りだ。中々相手に攻撃を食らわせる事が出来ないのに苛立つが、それは沖田も同じようで、徐々に刀の早さが上がってくる。

「段々防ぎきれなくなってきてんじゃねーか?鬼さんよぉ」
「あんまり俺等を舐めんじゃねーぞ!」

さすがの千景も四対一では辛いはずだ、名前は視界に千景を捉えながら気が気ではない。

どうやら後から来た三人も相当やり手のようで、千景が段々と押され気味になっている。四人の息のあった攻撃の繰り出し方は、千景でなかったら一瞬でやられているはずだ。

二人が前から攻撃を仕掛け、一人が横から刀を振りかざす。千景の動きが徐々に乱れ始め、完全に押されている。

「後ろが空いたぜ」

土方が攻撃を防いだ千景の背後に回り込んだ。

「千景様!」

思わず名前は千景の元に走り出した、沖田の刀を無理に横に流し、無我夢中で走り土方の攻撃を何とか受け止めた。が、土方は舌打ちをして、すぐに名前に二撃目を放つ。

「あそこで待っていろと言ったはずだ」

背中越しに千景が名前に声を投げかける、名前は千景が怪我を負わなかった事にひとまず安堵し、千景に言葉を返す。

「申し訳ありません、ですが千景様が怪我を負うのは」

「俺は傷を受けても治りが早い、お前は違うだろう」
「そうそう、人の心配するより自分の心配しなきゃ」

「……!」

土方の攻撃を流した後、横から沖田の刀が突くように出される。対応が遅れた名前は咄嗟に後ろに下がるものの、沖田が狙ってか偶然か付けていた面に刀が当たり、二つに割れた面が名前の顔から地面に落ちた。

顔を伏せるものの、目の前の土方と視線が交わってしまった。驚いたように目を見開く土方に、耳の奥から警告を告げるように心臓が高鳴る音がした。

「お前…」
「見たことあると思ったら…前と印象が随分違うね」

見られてしまった、よりによってこの二人に。名前は自分の運の悪さを呪いたくなった、後から来た三人も土方と沖田の反応にのぞき込むように視線を向けてきている。

「まさか女の子を相手にしてるなんてね」
「てめえ、やっぱり風間の仲間だったのか」
「なんだなんだ、二人とも知り合いか?」

もう誤魔化すのは無理なようだ、千景も刀を止め、どういう事だと言わんばかりに視線を向けてくる。

「知り合いってわけじゃないんだけどね、前にも屯所に来たんだよ千鶴ちゃんの弟子になりたいとか言って」
「千鶴の弟子?なんだあそりゃ、どういう事だ」
「理由なんざどうでも良いだろうが、どっちにしろこいつは敵だったみてえだからな」

興味ありげな三人とは対照に土方は殺気を絶やさず、刀を構えている。

「なあそうだろ風間、てめえの命令で千鶴に取り入ろうとしたんだろう」

土方の言葉を受けて、名前はまったく違う方向に話が行っており、あわてて訂正しようと千景のいる方へ振り返る。

「違います、千景様 私は…!」
「…そういう事か」

何処から説明すれば良いか混乱する名前を後目に、千景は静かにそう言うと刀を鞘に収めた。

「興醒めだ」

千景はもう何も見えていないかのように、背中を向け歩み始めた。その背中を名前は軽い眩暈を起こしている目で追いかける。それは、千景の声が冷たく、瞳は自分を拒絶するかのような、そんな瞳だったからだ。

名前は一瞬その場に立ち尽くすものの、慌てて千景を追いかける。今の千景の瞳が見間違いであったと自分に言い聞かせるが、歩けてはいるものの足の震えが止まらない

「風間!待ちやがれ!」

立ち去ろうとする千景の背後から、一人が刀を振りかざした、名前は止めようと刀を抜くが、それよりも早く千景が一瞬で刀を抜いた。

ガキン、と刀と刀の交わる音が一段と大きく響いた。千景が放った一撃は今までとは比べられないほどに重く、先に斬りかかった方が衝撃で後方へと跳ばされた。

「平助!」

跳ばされた隊士に駆け寄る他の隊士達の声がしたが、千景はそれを気にとめるでもなく、すぐに刀を納め姿を消した。

「千景様」

鬼の力を使われては、名前は着いていく事が出来ない。走って屯所から出るが、当たりに千景の姿は見えなかった。

途端に名前の体が恐怖に襲われる

あれほど怒りの籠もった千景の攻撃は始めて見た、隊士に向けられた瞳は自分に向けられたもの同様に、強い拒絶と憎悪で揺らいでいた。

千景は沖田の言葉をどう捉えたのだろうか、名前には千景がどうして立ち去ったのか分からなかった。確かに千鶴と接触したのは知られてしまったが、あれほどまでとは思わなかったのだ、怒りというより拒絶だった、まるで自分がいない者として扱われているような。

名前は震える足を必死で動かし、屯所に行くまでに辿った道を走り出した。

***

「千景様!」

名前はどれ程時間が経ったかわからないほど走り続け、人気が無くなってきた場所でようやく千景を見つけた。千景の屋敷までの道順を辿り、ちょうど森の入り口に千景はいた。この森を越えれば人が目に付かない場所に千景達が住む屋敷がある。

名前は前を歩く千景を呼ぶが、もう体力は限界に来ていた。

「何故追いかけてきた」

呼び止めようとする名前を振り返らず、千景は低く声を発した。

「俺を追いかけずとも、新撰組に留まっていればいいものを」

普段とは違う低く冷たい声に、名前は自分の声が上擦るのを感じた。こんなに千景に恐怖を抱くのは初めてだ。

「それは…どういう意味ですか?」

名前は震える声で訪ねるが、理由を聞くのが怖くてたまらなかった。

「貴様も人間だったという事だ」

状況がうまく飲み込めない名前に、千景は冷たい視線を向け、刀を鞘から抜き名前の首に当て行った。冷たい刀の温度が体に浸透するように、名前は自分の体温が冷めていくを感じた

「千景さま…?」
「貴様は俺を裏切り、新撰組に寝返った」
千景は感情を抑えるように、柄を握った。目の前にいる震えている少女を斬ることなど、容易いのだ。

「そんな…!違います、私は」
「何を今更言い訳をする…雪村の弟子になりたいとは貴様の考えている事は理解に苦しむが、いや…それはただの口実か、雑魚が群れたがるのは俺には分からぬ事だが」

「待ってください、何を根拠にそんな事を」
「此処最近態度が妙だと思ったが、それならば納得がいく 出て行きたくて仕方が無かったのだろう?」

名前はそうではないと否定したいのに、それ以上言葉が出なかった。こんなに食い違ってしまう事、何より千景にこんな顔をさせているのが自分だと思うと、喉が詰まって息をするのも苦しい。

千景はそれ以上言葉を発しなくなった名前が、肯定したのだと見なし、無言で刀をしまった。

名前は背を向けて歩き出した千景の背中を追いかけることが出来なかった、ただ千景の残した言葉だけが頭の中に響いていた。
そこから動く事も出来ずに、次第に視界が濁り始めるが、手すら動かせない。今まで流れなかったのが不思議なくらいに、涙が溢れ始めた。

これまでの出来事がまるで嘘のようで、けれど千景の姿はもう見えなくて、名前は自分に起きた事が理解出来ず、絶え間なく涙だけが流れ続ける。

もうすぐ、日が落ちる時間だった。