時は大正。
浪漫の香り満ち満ちて、人々の心いまだ情けを知る…。
これは時代を駆け抜けて結ばれた、とある二人の物語。





 第一話





「いってきます!」

元気な声と共に、家の外へ飛び出すひとりの少女。
鴇色の矢絣の小袖、海老茶の袴にハーフブーツ。
少し癖のある黒髪に、瑠璃のリボンがよく映えた。
目元が涼やかな顔立ちは、皆が美人と答えられるものだ。
士族の娘であり、女学生でもある食満留子は、今日も颯爽と自転車に跨る。

「留さん、おはよう。もう行くの?」

そんな彼女に声をかけたのは、お隣に住む善法寺伊作。
歌舞伎の女形役者で、留の弟分で幼馴染だ。
女性を思わせるような柔らかな容姿で、性格も女性的かつ大人しい。
おかげで幼い頃からじゃじゃ馬な留に振り回されている。

「伊作、今起きたの?もう少し早く起きたら剣術の稽古をつけてあげたのに」
「ひえっ!い、いいよそんな…。それより早く学校に行った方がいいんじゃない?」
「あ、そうね。それじゃ、いってきまーす!」
「い、いってらっしゃい…」

と、こんな風に今も振り回されている伊作。
けれど伊作は、存外そんな留に振り回されるのは別に苦でもないである。
なぜかって?
それは伊作が留を見送る顔を見れば一目瞭然のこと。
しかしまぁ、その手のことな関してはてんで鈍い留が気がつくはずもないけれど…。


花も恥じらうはずの齢十七。
いまだ恋らしい恋を知らぬ、ある意味真の乙女であった。





「わぁ…!桜綺麗だ…」

さくら、さくら、辺り一面花ざかり。
今日は晴天、空気も澄んで、こころなしか桜の香り。
今日はなんだか、いいことが起きそうな予感がする。
留は目を閉じ、心地の良い気分に身を任せた。

桜の真下で、だ。




 ブオオッ! ビトッ



強い風が吹いた瞬間、顔に感じた違和感に、留は目を見開く。
顔には立派な一匹の毛虫が…。

「っ、きゃあああ!!」

驚きと動揺の余り、ハンドル操作を誤り転倒。
ガッシャーン!と盛大に音が鳴り響く。
自転車は倒れて、タイヤがカララ、カララと空回り。
黄金色のベルはチリリンと涼し気な音を立て。
地面に打ち付けた足と腰はズキズキ痛い。

「いた…!」

折角いい気分だったのに!台無しよもう!
留は心の中で悪態をつきながら、痛む腰をさすった。



ふと、笑い声が留の耳に入る。まるで堪えようとして堪えきれなかったような…。

「…チリリン チリリンと出てくるは」

そして低く、心地よいとも言える声が歌を歌う。




 自転車乗りの時間借り
 曲のりじょうずとなまいきに
 両の手はなしたシャレ男
 あっちへ いっちゃ危ないよ
 こっちへ いっちゃ危ないよ

 ああ 危ないといってるまに
 それ おっこちた




「こんな歌を知っているか?」

声が聞こえた方へ振り向く。
そこには茶褐色の軍服を纏い、腰にサーベルを帯びた恐らく留より年上の青年がいた。
肩章から、青年の階級が少尉だと分かった。
少し長い固そうな黒髪が後ろで小さく結ばれて、顔立ちは精悍で、中々の男前であった。

「女だてらに乗れもしないのに自転車などといきがるな、という意味だ」

カツリ、とブーツを鳴らして、留に近寄る青年。

「それに桜の下に毛虫はつきものだしな。手を貸すか?」

差し出された白の手袋を嵌めた大きな手。
笑われた、と漸く理解した留はその手を突っぱねる。

「けっこう!手など借りなくてもこれぐらい」

と、直ぐ様立ち上がり、自転車を起こす。
するとまた、その青年は今度は遠慮なく笑い出す。見れば自転車は、ハンドルだけが留の手元にあり、ベルが寂しそうに音を鳴らす。
これには、さすがの留もめげそうになってしまった。


しかし次第に、そのめげそうな気持ちは笑い続ける青年への怒りに取って代わる。

「す、すまん。笑うつもりはないんだが、止まらなくて…」

などと一応述べるものの、一向に笑いが止む気配がない。
留はとうとう我慢の限界に達してしまう。

「…私が止めてさしあげます」
「くっくく、どうやって?」

留は青年の正面に立ち、

「…こうやって!」

ビッタン!という音が鳴る。
留が左手でその青年の横っ面を引っぱたいた音だ。
まさか打たれるとは思わなかったであろう青年は、驚きで目を丸くして留を見る。

「は……」


口で言うより手のが早い…。

男勝りで喧嘩っ早い留らしいやり方だ。
しかしどこかでまずいという気持ちもあるのだろう。
青年が何か言う前に早口で思う所をまくし立てた。

「せ、西欧の流儀です!婦人を笑うなんてえちけっとに反するのを知りません?」

青年は相変わらず目を丸くして、留を見ていた。
そこには怒りが浮かんでいないことに、留は小さく安堵する。
もっとも、喧嘩を売られても負ける気はまったくなかったが。

「あ…あなたの様な人がいるから日本女性の地位は向上しないんだわ!失礼!」

まるで捨て台詞に言い切り、留は今度こそ自転車に跨り漕ぎ始めた。
その後ろ姿は、動揺してるのかしていないのか、少し危なっかしく見えたけれど。





一方の青年は、特に怒った様子は見せず、留が行った方をじっと見つめていた。
怒りはない。むしろ、あまりの出来事に笑いすらこみ上げるくらいだ。

「しかしなんだ、あのハイカラ女学生…」

なんというか、およそ女らしいとは言えない少女だったな。
顔はかなり美人と言えるのに、怒りからかつり上がった目元はお世辞にも女らしいとは…。
でもまあ、自分がからかったことで怒ったのだから、ある意味可愛いらしかったが。

ふと、視界の端に瑠璃が映る。
見るとそこには、あの女学生がしていた瑠璃色のリボンが落ちていた。
そういえば、先の後ろ姿は髪が妙に広がっていたような…。
青年は、少しの思案の後にそれを拾う。

「…多分、また会えそうだな」

青年はそのリボンを握り締め、桜吹雪の向こうへ姿を消した。




キコキコとなる自転車を、一生懸命漕ぎながら、留は先程のことを思い出す。

(なんだなんだ?あの男は?ふん、帝国陸軍少尉…?男前…ん…?)

笑い声を思い出し、留は頭を振るった。
ええい、忘れろ、忌まわしい記憶だ!

(…でもなんだろう…。また会いそうな気がする…)

そこまで考えて、留ははっとし、更に強く頭を振るった。
もう会うことなんてない、そう強く念じながら。



















まさかこれが運命の出会いだなんて、留にも青年にも知る由はなかった。




後書き:はいからさんパロ、多分記念すべき第一話でした〜。
えーと。取りあえず最初の方は原作に合わせてます。
後半は怒涛の改変になると思われますだ。
うちの少尉はあんな感じです。そこ!別人とか言わないで(泣


あ、因みにリボンを拾うシーンで、少尉にリボンにキスさせようと思って止めました。
あんまりにもキザかなぁ…と思いまして。

prev next