人々の叫び声が木霊する。
戦火が空を赤く染め、硝煙と血の匂いが体中絡み付く。
互いの家の生き残りを賭けた、要の戦。
そんなもの、今の俺にはどうでも良かった。
仕えてる城が滅びようが滅ぶまいが関わり合いなどない。
今、俺の思考を支配するのは肩に担いだ人間だけ。

「死ぬな文次郎…!」

ただ一人、愛しいと思えた人間だけ。



 巡り逢ひて



偶然だった。
混乱を極める戦場の中、俺と文次郎はまみえた。
…敵同士として。
いつかは、こうなると覚悟していた。
だから躊躇はなかった。
互いに迷いなく刃を交えた。
あの学び舎にいた頃、毎日のように繰り広げていた喧嘩とは違う。
正真正銘本気の戦い。

その時俺は、目の前の文次郎しか視界に入っていなくて。
だから気づかなかった。
火縄銃が俺を狙っていたことに。

その事実に気がついたのは、俺を地面に叩きつけた文次郎が、ゆっくりと地面に倒れるのを見た時だった。
倒れた体から広がる赤に、俺は頭が真っ白になって。
敵対する城の忍びだとか、そんなものは吹っ飛んだ。
構わず文次郎を担いで戦線を勝手に離脱した。



戦場から大分離れた森の中。
いい頃合いの木の幹にその体を寄りかからせる。
傷口を見ようと装束を破こうとする手を、誰かが掴んで止めた。
他でもない、文次郎が。

「なにするんだ!早く止血しないと…!」
「いい。自分の体は自分で分かる。……もう、いいんだ」

その諦めにも似た、らしくない声音にハッとする。
縋るように文次郎と視線を交わせば、ゆっくりと首を横に振られた。
体全身から、ゆるゆると力が抜ける。
それが何を意味するか、分からない程俺は愚かではなかった。

「敵の忍びを庇うとは、俺も忍び失格だな…」

僅かに荒い呼吸の合間に、文次郎がポツリポツリと言葉を漏らす。
俺は震えそうになる声を必死で抑え、文次郎の言葉に応えた。

「…っ本当、だな。鍛錬が足りねぇんじゃないか」
「ははっ。違いねぇ」

雰囲気はまるで、忍術学園にいた頃のような穏やかさだった。
そんな筈はないのに。
あれから何年も経って、遠くからは戦禍の音が聞こえるのに。
文次郎の穏やかな表情が、そう錯覚させる。
だんだん俺は感情の抑えがきかなくなった。

「……なんでっ…」
「…ん?」
「お前っ、死ぬ時は俺が殺すって、言ったじゃねぇか!そんなのにっ、なんで俺を庇って死ぬんだよ…!」

喉の奥から絞り出したよう、情けない声が出てしまう。
目頭が熱くなって、今にもなにかこぼれそうだ。
いや現に堪えきれなくなって、こぼれてしまった。
一度決壊した涙は後から後から流れていく。
そんな俺の涙を、武骨な手が掬った。

「泣くな、留三郎。むしろ俺は本望だ。お前を庇えて死ねるからな」
「そんなの…俺はどうすればいいんだよっ…」
「…すまない」

本当にすまなそうに笑う文次郎に、涙腺が刺激されてまた溢れる。
涙が伝う頬が、文次郎の両手で包まれる。
視線を合わさせられ、意味を理解する。

多分初めて、俺は自分から唇を重ねた。
ただ触れるだけの、幼い接吻。
微かに涙と血の味がした。

ほんの数秒だけの、短い時。
ゆっくりと離して伏せた瞼を開ける。
俺の涙が文次郎の頬に落ちて、まるで文次郎も泣いてるみたいだった。
でも満足げに笑った文次郎は、その目から涙を流さなかった。

緩慢な仕草で、俺の胴に文次郎の腕が周る。
最後の力を振り絞るかのように、力強く抱き締められた。
俺も肩の所にある頭を抱き締めた。
体温が、冷めていく。

「留三郎…」
「…なんだ?」

まわされた腕、に力が籠もる。

「"次"逢うまで、この想い、変えないでいる。だからお前も変えずにいてくれ」
「…ばかか…俺だって変わらねぇよ」
「………」
「………」
「…留三郎」

俺は、今までで一番優しい文次郎の声を聞いた。

「愛してる」

ああなんて、陳腐でありきたりで残酷で愛しく甘美な言葉なのだろう。
容易には言えないその言葉を、お前はいとも簡単に言ってくれる。
俺はいつも意地が邪魔して言えなかったというのに。
お前はいつも簡単に、俺の欲しい言葉をくれる。
いつも俺は返せなくて、貰ってばっかで。
俺も、必死で返した。
嗚咽混じりの声はこの上なく情けなかったけれど。

「俺も、あい、してるっ…」

俺の言葉に呼応するように、強く強く抱き締められた。

「…ありがとう…」

それが、最後の言葉だった。



腕から徐々に力が抜けて力無く地面に落ちる。
閉じられた瞼は二度と開くことのない。
表情は、穏やかだった。
文次郎の顔に、水がかかる。
いや違う。これは、俺の涙だ。

俺が殺すと、願ったはずなのに。
いざ文次郎の死を目の当たりにすると、心が悲鳴を上げて血の涙を流した。
結局俺は、情が捨てきれないただの人間。
だってこんなにも、涙は溢れて零れるから。


遠くで一際大きな爆発音が響く。
振り返ると俺が仕えていた城が巨大な炎に包まれていた。
漠然と、俺の側が負けたのだと頭の片隅で理解した。
なら、俺に果たすべき義務はもうない。

俺は文次郎の腰から、一点の曇りもない忍刀を引き抜いた。


待ってろよ、文次郎。
すぐ追いかけてやるからな。
お前がいない世界なんて、やっぱり俺には必要ないんだ。




 巡り逢ひて 見しやそれとも
 わかぬ間に
 雲隠れにし 愛し君かな







"次"は、こんな世の中で出会わないといいな。

そうだろ、"   "。