本当は、素直になりたい。
でもあいつを目の前にすると、そんなこと出来なくて。
俺に少しでも可愛げがあったら、こんなに後悔する必要なんてないのに。


 Maiden syndrome





俺はベッドの上で目を覚ました。
同時に、さっきのことが夢だと分かって失望した。
俺はベッドから降りてフローリングの上に直接座り込む。
カーテンの隙間から月明かりが差し込んで、真っ暗な部屋をほんのりと照らした。
俺はその月を見上げて、膝を抱え込んで蹲った。



文次郎と喧嘩した。

それならいつものことだと笑われると思う。でも違う。
喧嘩の原因はなんだったか、今となっては覚えていない。
始まりは忘れてしまうぐらい些細なことだった。
その日はなぜか、妙にお互いに意固地になってしまって。
終いに俺は、「もういい!お前のことなんか信じられない!」なんて言ってしまった。
なぜそんなことを言ってしまったのだろう。
思わず、つい、勢いで。
多分、たったそれだけだ。
言った直後の、文次郎の顔が目に焼き付いて離れない。
怒りとも悲しみともつかない、傷ついた顔をしていた。
文次郎は唇を噛みしめて「……そうかよ」とだけ言った。



その時はまだ、明日になればまたいつも通りになるって俺は愚かにも信じていた。



次の日から、文次郎はあからさまに俺を無視した。
まるで俺がいないみたいに振る舞った。
俺も意固地になって、そっちがその気なら俺だって、と文次郎を無視した。
伊作達も最初はいつもの喧嘩だろうと思っていたのか、何もいうことは無かった。

でもそれが一日たち、二日たち、そして今日でとうとう十日目だ。
さすがに伊作達も心配して、あの仙蔵さえ気にしていた。
俺はというと、分かりやすいぐらい落ち込んでいた。
このところ食欲も湧かない。
事情を知らない奴も、俺が落ち込んでいることに気がつくぐらいだ。

自業自得とはいえ、俺は寂しくて仕方がなかった。
でも文次郎はいつも通りで、特にどうした様子はない。
文次郎は、俺といなくても何とも思わないだろうか。
それとも、他に誰か……。
嫌な想像が頭を巡って、俺は払うよう頭を振った。

状況を打開する方法は分かっている。
俺が謝ればいい。
素直に謝ればそれで済む。
それなのに、俺は言えない。
口を開けば思いもしないことを言って、きっと余計に状況が悪くなる。
それに、もしも文次郎に拒絶されたら、許さないって言われたら。
考えるだけで怖くて、足が竦む。

考えることはひたすら堂々巡り。
思考回路がぐちゃぐちゃになって、俺はとうとう今日は大学に行けなかった。
というか、大学に行って文次郎にまた無視されるのが怖かった。
我ながら、女々し過ぎて笑いがこみ上げた。


さっき見た夢は、俺が素直に謝って、文次郎が笑って許してくれるという内容で。
自分の願望が反映されすぎて、俺は失笑した。
自分があんなこと言わなければ、こんなことにならなかったのに。
文次郎を傷つけずに済んだのに。

声だけでも聞きたい。
でも電話をする勇気もない。
第一において今は真夜中だ。



………でも、本当は、本当は会いたい。
声だけじゃ足りない。
会って、触れて、抱きしめてほしい。

「文次郎……」

なんで夢の中でしか素直になれないんだろうな?





考えても考えても答えは同じだ。
俺は一旦頭を冷やそうと思い、外に散歩へ出た。
どちらにしろ、このままじゃ眠れない。

「さみっ…」

一応上着は羽織ってきたものの、やっぱり外は寒かった。
吐く息が白い。
でも、この寒さが今の俺には丁度いいかもしれない。
暫くぼんやりと歩いていたら、近くの公園に辿り着いた。
当たり前だが人はいない。
そんな静まり返った公園の中に入り、ベンチに腰掛けた。

雲一つない空にぽっかりと浮かぶ満月を見上げる。
遮るものなく輝く月は、随分明るく感じた。



その月を、どのくらい眺めていたのだろうか。
俺は一つ息をついた後、自分の中で決心を固めた。
明日、文次郎に謝ろう。それでちゃんと仲直りしよう。
ごちゃごちゃ考える必要なんてない、シンプルなことだ。
どちらにせよ、このままじゃ辛いままだ。
いつまでも怖がってちゃ何も始まらない。

「よし!」

と、俺は気合いを入れ直すように、自分の両頬を叩いて、ベンチから立ち上がった。



「留三郎!」

瞬間、聞き慣れた声が耳に飛び込んで来る。
俺はその声の主がすぐに分かって、固まった。
声がした方へ、恐る恐る振り返れば、そこにいたのは、俺の予想通りの人物で。

「……文次郎…」

このタイミングは神様の悪戯だって、本気で思った。




いざ本人を目の前にすると、さっき意気込んだはずの気合いは簡単に萎えてしまう。
息せき切っている文次郎は、どうやら走ってここまで来たらしい。
月明かりに照らされた顔が、少し赤かった。

「……なんで、ここに…」

やっと言葉が出たかと思えばそんなこと。
でもそれは純粋な疑問でもあった。
文次郎の様子からして、たまたまここを通りかかった訳でもないと思う。
第一において文次郎の家からこっちに来る用事なんて……俺の家に来る以外ない。

文次郎は何も言わない。
ただ俺を見つめた。
その静かな目と、目を合わせるのが辛くて、俺は俯いた。

砂が鳴る音が聞こえる。
文次郎が近づいてくる。
音が止んだ時、文次郎の靴の先が俺の視界に入った。

もう逃げられない。

そう思った俺は、意を決して顔を上げた。

瞬間、抱き締められた。


「もんじろっ…!」
「すまなかった」

まさか抱きしめられると思ってもみなかった俺は慌てた。
しかも、文次郎はなぜか俺に謝った。
動揺する俺にお構いなしに、文次郎は話し始めた。

「伊作から聞いた。お前が目に見えて弱ってると。俺の、せいで。…悪かった。ガキみたいに意地を張りすぎた」
「そ、れは…」

俺が、お前を傷つけるようなことを言ったから。
お前に意地を張らせた原因は俺にあるから。


そう言おうとした口は、音を発する前に塞がれた。
文次郎の、キスで。
久しぶりのキスは、ほんの数秒で終わったけど、それだけでも嬉しかった。

唇を離した後、漸く俺はちゃんと文次郎の目を見た。
驚くほど、文次郎の目は優しかった。

「何も言うな。俺のせいにしとけ。な?」
「文次郎のせい…?」
「そう。俺のせいだ。だからお前を放っといた俺が悪い」

文次郎は、さっきよりも強い力で俺を抱き締めた。

「一人にして、悪かった」


俺が、悪いはずなのに。
文次郎はそんなことを言って俺を抱き締める。
その優しさが胸の奥を締め付けて、俺は泣いた。
声を必死に押し殺して。

「…っ、そうだ、文次郎が悪いんだ」
「ああ」
「文次郎が、俺を一人にして、俺を放っといて、さみしかった」
「ああ」

じわり、じわり
文次郎の肩口に俺の涙が吸い込まれる。
泣き続ける俺の頭を、文次郎は優しく撫でてくれた。
その優しさに全てを委ねそうになったけど、俺はなんとか振り絞って、呟いた。

「……ごめん…!」

半分涙声な上に、何に対してなのかよく分からない。
それでも、文次郎は分かってくれたのか、返事の代わりに腕に力を込めてくれた。
俺は、その力強い腕の中で声を殺して泣き続けた。


「なぁ、留三郎」
「ん…?」

俺の涙が漸く落ち着いた所で、文次郎が話しかけてきた。
俺が鼻を啜りながら返事をすると、文次郎が小さく笑った気配がしたので、脇腹少し小突いた。

「俺はお前に許して欲しいんだが、何をすればいい?」

その質問の意図が分からなかった俺は、思わず文次郎の顔を見る。
目元を穏やかに緩ませて笑う顔には、覚えがあった。
文次郎が、俺を好きなだけ甘やかす時の顔だ。
それは、つまり。


「…飯食いたい。腹減った」
「何か作る」
「今日は、家に泊まれよ」
「そのつもりだ」

それから、それから


「……ずっと、一緒にいて欲しい…」
「…仰せのままに」

文次郎はわざとらしく言って、俺の瞼に恭しくキスを落とした。





誰もいない夜道を、手を繋いで俺の家まで歩く。
ふと、さっき感じた疑問を思い出した。

「なぁ、文次郎…」
「ん?」
「なんであそこにいたんだ?」

俺の質問に、文次郎は「あー…」と呟いて、頬を掻いた。
俺は不思議に思い、首を傾げて文次郎を見る。

「…お前さ、携帯持ってないだろ」
「…え?あっ!」

慌てて上着のポケットを探ったが、目当ての物は見つからない。
文次郎はなぜか深々とため息をついた。

「伊作からその電話を貰った後、すぐにかけたんだが、出なかったもんだから何かあったと思って飛び出したんだ」
「…そこで俺が寝てるからとか思わなかったのか?」
「………」

図星らしい。
俺は思わず吹き出して笑ってしまった。
文次郎は少し顔を赤くして、ばつが悪そうにしていた。

「悪いかよ!すぐに会って抱き締めたかったんだよ」

ストレートな物言いに、今度は俺が赤くなる番だった。
それを見た文次郎は、繋いでいた手を解いて俺の腰を掴んで自分の方へ引き寄せた。
身体が密着する。
耳元で、低く囁かれた。

「それだけじゃ、足りないか?」

文次郎が何を言わんとしているか、すぐに分かった。
顔が余計に赤くなるのを自覚した。

「うん…」

いつも俺なら、ここで「バカじゃねーの!」とか言うんだろうけど、俺はほんの少しだけ素直になることにした。
案の定文次郎は驚いて目を丸くしてる。
でも、すぐに笑った。

「そうか。なら、」


たくさん、な。


呟くのと同時に、俺と文次郎は自然に唇を合わせた。
今度はさっきよりも長く、深く、お互いの体温を分け合った。
心のそこからそのキスを幸せに思いながら。










そんな二人を、月だけが優しく見守っていた。







後書き:男前もんじとお留…になってますか?
やっぱりただいちゃついてる話になっとりますな…。
こんな駄文ですが、一応フリーです。
欲しいという方はどうぞ貰ってやって下さいm(_ _)m
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