空に月なし。 僅かな星明かりだけが闇の帳の道しるべ。 そんな夜に、森を駆ける影が二つ。 木の枝から枝へと飛び移る様は、はたして人だろうか。 いや、人であり人にあらず。 彼らは忍び。 彼らは今、忍務の真っ最中だった。 ある城より密書を奪取するのが今回の仕事。 無事、その密書を奪取できたが、彼らはその城の忍びに追尾されていた。 彼らは疾風の如く走り、振り切ろうとしたが、相手もそこまで甘くはない。 執拗に二人の後を追った。 このままでは埒があかない。 一瞬の目配せの後、二人は地に降りた。 ここは自分たちらしく戦おうではないかと。 彼ら…忍術学園最上級生、潮江文次郎と食満留三郎。 二人は常の常磐色の制服ではなく、闇色の装束を纏っていた。 (ひぃ、ふぅ、みぃ……思ったよりも多いな) 木が多い茂る中に、ぽっかりとある空間。 その中心で俺と文次郎は背中合わせで立っていた。 俺たちは学園長先生に頼まれ忍務を遂行している最中だ。 進入し、密書を奪ったまでは良かったものの、脱出の際に敵方に見つかってしまった。 撒こうとはした。でも相手も忍びだ。簡単に撒けるはずもない。 このままだと学園まで連れ行ってしまう。それはまずい。 そこで俺たちがとった選択肢は、「戦う」。 実に武闘派の俺たちらしい選択だ。 しかし思ったよりも人数が多い。 姿こそ見えないが、辺りに気配が満ちている。 『留三郎、いけるか』 文次郎の矢羽音だ。 妙に心配そうなその音に、俺は笑って返してやった。 『俺を誰だと思ってるんだよ!』 懐から取り出した棒手裏剣を投げる。 大気を裂いて飛来したそれが、敵方の一人に当たったらしい。 呻き声と共に、重くなにかが落ちる音。 同時に動き出す気配。 俺と文次郎は地を蹴った。 腹を蹴り、相手が怯んだ隙に鉄双節棍を叩き込む。 骨が軋み、折れる感触が手に伝わった。 取りあえず二人は地面に叩き伏せた。 繰り出される攻撃をかわしつつ、文次郎の方を伺う。 肉を貫く音、声なき叫びが空気を伝わり、鼓膜を揺らす。 あいつも順調にかたしているらしい。 負けていられないと口当ての下で笑い、背後の敵を回し蹴った。 「これで六……!」 血を吐き倒れた忍びを目の前に、腹から絞り出す。 さすがにこれだけを相手すれば多少息が上がった。 俺の周りからは、気配が消えた。 となると、後は文次郎だ。 俺は一つ深く呼吸して、文次郎の元へと駆けた。 武骨な指が、袋槍を自在に操る。 対峙した忍びの胸を貫き、引く。 暗闇で黒く見える血が空を舞い、文次郎と対峙していた忍びは膝をつき倒れ絶命。 文次郎は槍を回して血を軽く払う。 周囲には文次郎が倒したであろう忍びの肉塊が転がっていた。 一番心配していた怪我は、どうやらしていないみたいだ。 そのことに心底ほっとしたことを、あいつには言わない。 「文次郎」 俺が声をかければ、こちらを振り返る文次郎。 俺の姿を見て目元が少し緩んだように見えた。 次の瞬間、文次郎の目が見開かれる。 その顔を見て漸く気づく、背中に感じる殺気。 「留三郎!」 振り向けば俺が殺り損ねた忍びが苦無を片手に飛びかかってきていた。 つい気を緩めてしまって気配を察知するのが一瞬遅れた。 避けようにも、もう遅い。 俺に迫る苦無の先がやたら遅く見えた。 気がつけばその忍びは袋槍が突き刺さり、絶命していた。 俺は地面に倒れていたが、体のどこも怪我はしていないみたいだ。 一瞬、なにが起こったか分からなくて目を瞬かせた。 聞こえた呻き声に、思考回路は一気に正常に戻る。 上体を起こすと、肩を抱え蹲った文次郎が目に飛び込む。 体中から血の気が引いた気がした。 「文次郎!」 慌てて駆け寄り、肩を見る。 苦無は突き刺さったままだ。 そこで漸く思い出す。 文次郎が己を庇ったことを。 俺を突き飛ばして自分が苦無を受けて、そのまま袋槍を突き刺し倒したことを。 「文次郎!おい、しっかりしろ!おい!」 「…っ、留三郎、怪我はないか……」 「うるせぇ!お陰様でねぇよ!人のことより自分の心配しろよ…!」 ちくしょう。 庇われたことの悔しさと、怪我をさせたことの情けなさと、不安と。 色んな感情がごちゃまぜになって目頭が熱くなってきた。 でも今は泣いてる場合なんかじゃない。 俺は乱暴に目を擦った。 「とにかく手当を……!」 文次郎を肩に担いで、袋槍を引っこ抜く。 確か近くに小川があったはずだ。 俺と文次郎はその場を後にした。 苦無を引き抜き、持っていた手拭いで軽く拭う。 幸いなことに毒の類は塗られていなかったようだ。 傷もそんなに深くはないようだし。 伊作から万が一の時のためにと貰った傷薬を塗る。 染みたのか、文次郎が少し呻き声を漏らした。 最後にきつめに縛って止血する。 これで帰ったあと新野先生か伊作に見て貰えばいい。 傷がたいしたことが無くてほっとしたと同時に、怒りがこみ上げた。 「なんで…庇ったりした。あれは俺のミスだろう」 分かってる。 これは俺の勝手な憤りだ。 「なんでお前がっ……怪我してるんだよ!!」 それでも、自分に対する怒りが収まらない。 子供じみた八つ当たりも情けなくて、涙が出そうだ。 でも止まらない。 「それは……」 「それに!お前、今日俺の倍の相手をしただろ?なんでだよ?普段はそんなことしないじゃないか!」 普段なら等々で相手をするはずなのに、今日に限っては俺の約二倍ほど相手したらしい。 去り際にもざっと確認した、文次郎がいた場所の死体がそう物語っていた。 ああ、もしかして。 「信用、してないのか…?」 お前とためを張れる実力だって言われているが、その実お前は俺のことを信用していないのか…? 自分で言った言葉に勝手に傷つき、とうとう堪えていた涙が決壊した。 文次郎はそんな俺を見て、ぎょっと目を見開いた。 「ち、違う!違うんだ留三郎!」 「じゃあ何なんだよ!?」 「それは……その……」 文次郎が口ごもる。ついでに顔もうっすら赤くなった。 …ん?なんで赤くなるんだ? 文次郎は暫く逡巡して、漸く口を開いた。 「無理、させただろ?昨日……」 何の無理か、理解するまで、たっぷり十秒かかった。 理解した瞬間、全身のあらゆる熱が顔に集まった。 それはもう湯気があがりそうなぐらいに。 「そ、そ、そんなことかよ!!」 「そんなことじゃないだろ!実際痛いだろ?」 と、軽く文次郎に腰を軽く叩かれる。 走る鈍い小さな痛みに少し眉をしかめた。 実は今日、本来な休みの日だった。 ので、昨日は俺が……やめろと泣いて懇願するまで致してしまったのだ。 それなのに、今日の昼にいきなり任務を命じられた。 痛いことは、痛い。 とは言っても、そこまでの激痛ではない。 さすがに文次郎もそこら辺は配慮してくれ…話が逸れた。 「平気だっつってるだろ!お前に心配される覚えはない!」 「覚えがあるから言ってんだろうが!」 「か、仮にそうだとしても!お前がこの怪我を負う必要はないだろ!」 怪我を指差し、必死訴える。 いくらお前に責があったとしても、この怪我を負う必要はどこにもない。 そう言えば、文次郎は憮然とした表情を作った。 「お前、忘れたのか?」 「なにをだよ?」 「……俺以外の奴がお前に痕を残すのが嫌だって言ったろうが」 それは想いが通じ合ったばかりの頃、文次郎が漏らした言葉。 俺自身が作った傷痕にすら嫉妬した時だ。 その独占欲の塊みたいな言葉をどこかで嬉しいと思ってしまう自分が悔しくて、恥ずかしくて。 「ば、馬鹿じゃ……」 色んな感情がごちゃ混ぜの思考で禄な反論なんてできず、思わず顔を逸らした。 顔が赤いことと逸らしたことで、文次郎は俺がどう思ったか察したらしい。 堪えきれないとばかりに、押さえた手から漏れ出た笑い声が聞こえた。 その小さな笑い声が、大いに癪に障った。 そこで、ふと気がつく。 俺は、残せられてない。 文次郎に痕を残せていない。 そのことに気がつくと、恥ずかしさは消えて代わりに釈然としない思いが姿を現す。 俺はそのまま、込み上げた不満をその口にした。 「……ずるい」 「は?」 「お前ばっかり、ずるい。俺は、残せてないじゃんか」 やたらと痕を残したがるくせに、俺は文次郎に残せていない。 不満げに言う俺に、文次郎はふっと笑って、こう告げた。 「……あるぜ。お前の痕、俺にも」 「…どこにだよ?」 不意に抱き寄せられて、腕の中に包まれた。 思わず背中に腕をまわしてしまう。 そして、耳元で密事のように囁かれた。 「背中に、な」 言われて、肩越しに文次郎の背中を凝視する。 そういえば、爪、少し伸びてて切ってないような…。 いきなり昨日の夜のことが鮮明に蘇る。 そうだ、あの時つけたんだ。 自覚した途端、襲ったきた羞恥から背中に回した手を握り締めた。 微かな血の匂いが文次郎からする。 唐突に文次郎が怪我をしていたことを思い出した。 興奮して、怪我を負っていたことを半ば忘れかけていた。 多分、そのせいで傷口が少し開いたのかもしれない。 ……この傷、それなりに深いから痕になるよな。 そう考えたら途端に腹立たしくなった。 なんだよ、人には自分以外から傷を受けさせたがらないくせに、自分は怪我して。 わざわざ俺のことを庇ってまで……。 こいつって本当に馬鹿だ。 そんなこいつが好きな俺は、もっと馬鹿だ。 「今度……」 「ん?」 「俺以外から傷を受けたら許さねえ」 自戒の意味合いも含めて、そう言い放つ。 力を込めて抱き締めると、文次郎が少し呻き声を漏らして、笑った。 「いらねぇよ。お前以外」 君がため (おしからざりしこの身さへ) 後書き:あづさわ様リクエスト 「真面目に任務に行ったのに仲良く喧嘩する文留」 でした! リ、リクエストにちゃんと沿えてるでしょうか…? つーかほとんど喧嘩してないですねorz あんまり喧嘩させられなくてすみません>< 鉄双節棍って、扱い難しいですね…(描写的な意味で) いや反省反省。 こんな駄文ですが、あづさわ様に捧げます。 ← |