障子を前に、一つ深呼吸をして気持ちを落ち着ける。
大丈夫だ、後輩たちがいるからって変に緊張する必要なんてない。
自然だ、自然。
構えるから変に見えるんだ。
俺は意を決して、会計室の扉を開いた。


「おい、予算案持って来たぞ」

そこには、予想に反して会計委員長のあいつしかおらず、拍子抜ける。
あいつはというとこちらにちらりと視線を向けただけ。
またすぐ帳簿と算盤に目を落としてしまった。
あいつこと、潮江文次郎は、また一段と隈を濃くさせていた。

俺は予算案を積み上がっている資料の上に置いた。
特になにも言わないってことは、ここでいいんだろう。
本来ならすぐにでも出て行けばいいが、誰もいないことをいいことに俺は文次郎に話しかけた。


「後輩たちはどうした?」


まさか遅刻とか?
いやいやこの時期に一年はともかく四年の田村まで遅刻はないだろう。
というか、こいつがそもそも許すはずがない。


「…茶を取りに行かせた」


俺の問いに、文次郎はいつもよりも低い声で、端的に答えた。
行かせた、なんて少し横暴にも聞こえるが、わざわざ四人で行かせる必要はない。
要は息抜きに行かせたんだろう。
これ幸いと、すぐに戻ってこないことを見越して。
相変わらず、不器用で分かりにくい奴。
それで自分は休まない、本当、不器用だ。

俺は文次郎のそばに寄ると膝立ちになり、未だにこっちを向かない文次郎の顔を両手で無理矢理上げた。
若干痩けた頬を両手で包んでやる。
見下ろした顔には、疲れが見え隠れしていた。
驚きで目を見開いている文次郎が目に入る。
ついでに、濃くなり過ぎた隈も。
その隈を、俺は両方の親指でなぞった。


「隈、また濃くなってるぞ。少しぐらい休めって」


聞かないことは分かってる。
でも言わなきゃ俺の気が済まない。
俺もまた、こいつが寝不足の原因の一端とはいえ。
少しぐらいは休んでほしんだよ。
いつだって、頑張りすぎてんだから。

文次郎は、なにも言わない。
おかしい。
いつもならこの辺りで、
「日頃から鍛錬してるから平気だ」だの、「余計な心配だ」だの来るはずなのに。
不思議に思っていると、文次郎は反発してくるどころか肩の力を抜いていた。
今度はこっちが驚く番だ。
しかも驚いている隙に、逆に俺の頬が武骨な手に包まれて引き寄せられて。
そのまま唇が重ねられた。

突然のことで、ろくな抵抗も出来ずにされるがまま。
息継ぎも出来ない激しさに、肩を叩いてもう限界だと言うことを訴える。
漸く離され時には、俺の息は上がって。
文次郎の左手に腰を引き寄せられて、右手に後頭部を押さえられていた。

「…っは、いきなりなにすんだ!」
「お前が、休め、と言っただろう」
「言ったけど!こういう意味じゃなくて…!」

誰が!いつ!口吸いしていいっつった!
そう文句を言いたかったのに、言えなくなった。
文次郎が俺を抱きしめて、顔を俺の肩に埋めたから。
らしくない仕草に、思わず文句も引っ込んだ。

「文次郎…?」
「…さすがに、疲れた…」

ぐりっと額を肩に擦りつけて、甘えるようなその仕草。
色々言ってやりたかったけど、本当に疲れてるらしい文次郎を前に言う気が削がれた。
それより滅多に見ない姿に、不覚にも胸の奥が高鳴った。
可愛い、って思ってしまった。

「……しょうがないなー…」

俺は文次郎の頭を抱えて、硬い髪を軽く梳く。
少しぐらいはこのままでいいか、と俺は目を閉じた。






「食満せんぱ〜い!」
「すいやせん!止めたんですけど聞かなくて…」
「遅かったので〜…」
「迎えにきちゃいましたぁ!…あれ?」
「あれ?喜三太としんべヱ、平太?」
「それに富松先輩も」
「どうした作兵衛。迷子にでもなったのか?」
「お前が言うな。それより会計委員に用か?なら中にいる潮江先輩に……何してるんです?」



俺は文次郎を思いっきり突き飛ばして肩で息をした。
文次郎は突き飛ばされて頭を壁にぶつけて軽く意識をとばしている。
ここが、会計室だということをすっかり忘却の彼方にやっていた。
しかもうちの委員会の後輩まで来るなんて予想もしてなかった。
ああ、どうしよう!絶対変に思われてる!

「もしかしてぇ、喧嘩ですか?」
「駄目ですよ−。お部屋の中で喧嘩しちゃ」
「危ないですよ〜」
「! あ、ああ、そうだな!すまん!こいつが予算寄越さないと言うもんだから!」

しんべヱ達が言い出したことに慌てて乗っかる。

「……そ、そうだ。こいつが無茶な予算を請求してくるもんでな」


意識をとり戻した文次郎ものった。
肯定の為に、必死で首を縦に振る。
それに納得した一年生たちは苦笑いして、「喧嘩しちゃダメですよー」と言った。

ふぅ、何とか誤魔化せたか…。
普段から喧嘩してて良かった…。
…かは分からないが、取りあえず良しとしよう。


「…そういうことは自室でやって下さいね」

一年生たちは不思議そうな顔を、作兵衛と神崎と田村には色々と悟った顔をされた。
つーかやっぱり気づかれてるよな!
一年生たちは誤魔化せてもさすがに三年と四年はあんな小手先の言い訳が通じるはずないよな!


「潮江先輩、会計委員会は今日はここまででいいでしょうか?いいですよね」
「食満先輩、用具委員会も終わりにしやしょうか」
「「お疲れさまでしたー」」
「おい、ちょっ…!」


障子がぴしゃりと閉められて、田村と作兵衛が一年生たちを誘導する。
一年生たちが口々に疑問を口にする声が遠ざかっていった。



会計室に残された、俺と文次郎の二人。

「あー…なんだ、その……悪かった」

文次郎がばつが悪そうに、頭を掻きながら呟く。
俺は文次郎を、思いっきり殴りつけた。

「…ってぇ……おい!何すんだ!」
「それはこっちのセリフだ!なにすんだよ!」
「だから休めと言ったのはお前だろうが!」
「そういう意味じゃねぇよ!いやそういう意味だけどそう意味じゃねぇよ!」
「意味が分からんわ!」



二人の争う声を背に聞きながら、田村は深い溜め息を一つついた。
後に彼はこう語ったと言う。

「なぜ両親がいちゃついてる場面を見てしまった子の気持ちにならねばならないのか」と。






 たまには一休み
 (但し時と場所は考えよう)



後書き:という訳で、柚子様リクエスト、
「二人きりでいちゃいちゃしてるトコを会計・用具後輩に見られてあたふた」
でした!
ちゃんとリクエストに添えてるか心配です…。
こんな駄文ですが、柚子様に捧げます。
リクエストありがとうございました!