初めてのあいつの印象は、

「…ちっさ」

だった。









穴の中から見上げる空は腹立つ程青い。
今年で萌黄色の制服を纏う、俺、食満留三郎は落とし穴にはまっていた。
恐らくこれは仙蔵の所の綾部という奴が掘ったのだろう。
まだ井桁模様のくせしてなかなか立派な穴を掘る…ってそういう問題じゃない。
あいつが入ってからというもの、用具委員の仕事がやたら増えた。
伊作は不運発動で落ちるし、俺は俺で伊作の不運が移って落ちるし。
仙蔵に言って諫めてもらうか。…そもそも仙蔵が俺の話を聞くか分からないけど。
俺はため息を一つついた。

それよりここから早く出よう。いつまでもここにいる訳にはいかないし。
俺は穴から出ようと起き上がる。
途端、右足に痛みが鈍く走った。
落ち方が悪かったのか、右足を挫いてしまったらしい。

「……嘘だろ」

この穴、足がこの状態で上れるほど浅くはないんだぞ。
加えてここは用でもない限り、あんまり人が来ないところだ。
体から血の気が引くのを感じた。
もしかしなくても俺、かなりまずい状況なんじゃ…。慌てて上を向いて声を張り上げた。

「おーい!誰かいませんかー!」

声は穴の中を反響して外に飛び出す。
さっきも言ったけどここは人通りが少ない場所。
だから当然、返事は返ってこない。
いよいよ本気でまずい状況だと理解すると、不安から柄にもなく目頭が熱くなり始めた。
それを振り払うために俺は乱暴に目頭を擦った。

ふと、影が穴の中を覆った。
揺れるそれが人ものだと分かると、俺はまた声を張り上げた。

「すみませーん!」

その影が俺の声に気がついたのか、穴の側に近寄る気配がした。
のぞき込まれた顔を見た瞬間、一瞬の安堵はとてつもなく気まずい気持ちに取って変わった。

「食満、か…?」


穴をのぞき込んだそいつこそ、三年い組潮江文次郎。
…俺が初対面で暴言を吐いた相手だ。




時は井桁模様を纏っていた時代に遡る。
桜がまだ咲き誇っていた頃、俺と潮江は会った。
そして俺はその初対面の相手に対し、第一印象をそのまま言ってしまった。

それが冒頭のセリフ「…ちっさ」だ。
いやだって本当に小さかったんだって!俺よりも手一つ分小さかったし!
だからつい言ってしまって、そのまま大喧嘩に発展。
二人仲良く先生にお説教されて以来、俺は潮江と関わらなくなった。
正確には関わったらもれなく喧嘩するから周りが止めたと言っていいか。
そんな潮江が、よりによって頼みの綱。
でもここから出るには腹くくるしかない。
俺が意を決して口を開くより先に潮江が俺に声をかけてきた。

「なにやってんだお前。早く出てこいよ」
「出来たらとっくにそうしてる…!」
「はぁ?………ああ」

俺の足の状態を察したのか、納得したように声を上げた潮江。
と、すぐに呆れたようなため息をついた。
さすがにカチンときて抗議の声を上げた。

「仕方ないだろ!落ちた時に捻ったんだよ!」
「忍びたるもの、捻るな。というか落ちるな」

正論を言われてしまえば、ぐっと押し黙るしかない。
なにも言えなくなった俺に、潮江はもう一つため息をついた。
そして、右手を差し出した。

「え…?」
「いつまでもそうしている訳にはいかんだろ。ほら、手」

俺は呆気に取られて差し出された思ったよりも大きい手を見つめた。
俺がいつまでたっても手を取らなかったから、潮江が焦れたらしい。「…いらんのか?」と言われ、俺は慌ててその手を掴んだ。
掴んだ瞬間、驚くほどの力強さで引き上げられた。
あっという間に、狭い穴から広い外へ。

外に出て地上に立つと、その力強いては離れていった。
離された手を見て、俺は目の前にいる文次郎に視線をやった。

(あ……)

文次郎と目が合う。
目線が、同じだった。
思い返せば、今まで潮江とこうして大人しく向き合ったことがない。
だから気づけなかった。
潮江が俺と変わらないほど伸びていたなんて。
手のひら一つ分なんてない、辛うじて俺のが大きいぐらい……。


「…なんだ?」

ハッと意識が戻れば、目と鼻の先に潮江。
俺は驚き余って、後退り、不覚にも尻餅をついてしまった。
潮江が怪訝な顔つきで挙動不審な俺を見る。

「…大丈夫か?」
「だ、だ、大丈夫だ!」

これ以上情けない姿を晒したくない。
俺は急いで立ち上がろうとして、忘れていた。
足を痛めていることを。
走った痛みのせいでまた地面に腰をついてしまった。
痛みに顔を歪めると、潮江は驚きからか目を見開いた。
けど足を抱える俺を見て合点がいったのか、すぐに俺の足元に跪いた。

「…ここか?」
「……っい…!!」
「折れてはないようだな…が、俺の手にはおえん。待ってろ。伊作呼んでくる」
「あ、ちょ……!」

立ち上がり踵を返して走り去っていく背中。
同じ萌黄色のその背中はなんだか大きく見えて。
よく分からないけど、胸の奥がギュッと締め付けられた。
でもそれは不快な感覚じゃなくて、むしろ逆…。
そこでふと気がついた。

「…あいつなんで伊作は名前で…」

俺のことは呼ばなかったくせに。
そう思ったら、今度は訳の分からないもやもやが胸の奥を覆った。
それは俺の所に救急箱を抱えて来た伊作が、目の前で盛大に転んだことで吹っ飛んでしまったけど。


俺と変わらない背丈の文次郎の姿は、いつまでも離れることはなかった。







 越されそうな身長
 (あいつはあんなに大きかったっけ?)





「懐かしいなぁ…」
「…なにがだ」

昔を思い出して、俺が唐突に言った小さな呟き。
文次郎は外は雨が降りしきっているのにも関わらず聞き逃さなかったらしい。
まあ、俺が文次郎の背中に寄りかかって限りなく距離が近いから当然かもしれないが。

あれから三年。
萌黄から常磐に着替えた俺たちは今じゃ最高学年だ。

憎たらしいことに文次郎はあれからどんどん背が伸びた。
完全に抜かされたのは四年の終わり頃。
五年で体格差も出てきて、六年の今は一年の頃と逆転だ。

「いや、昔は俺のが大きかったよなーって」
「……あぁ」

沈黙が訪れる部屋の中。
…え?それだけ?反応薄すぎないか?
訝しく思って文次郎を振り返った。
同じタイミングで肩を抱かれて引っ張られ、そのまま胡座をかいた文次郎の足に倒れる。
驚いて文次郎を見上げると、ニヤけた面を隠そうともせず、こう言った。

「…ちっさ」

それはまさしく、俺が初対面で文次郎に吐いた暴言。

「なんだよっ。覚えてるならそう言えって!」
「誰が忘れるかよ。とんだご挨拶だったからな」

そう言われてしまえば押し黙るしかない。
こればかりは俺に非があるから。
俺がなにも言えずにいると、ふっと文次郎が目元を緩めた。

「でも、まぁ」

あの時よりも大きくなった無骨な手が、俺の髪を梳く。
触れる温もりが、優しい。

「あの言葉のお陰で、決めんたんだ。…お前よりも強くなるとな」

どこか照れくさそうに呟かれた声に、あの時みたいに胸の奥が締め付けられた。
あの時は知らなかった。
これが恋をしたときの痛みだなんて。
この甘い締め付けは、どこまでも俺を翻弄する。
目の前のこいつと一緒だ。
いつもそうやって俺を翻弄して。
狡いし、卑怯だ。

でも。


「…馬鹿言え。俺のが強い」
「いや、俺が強いな」
「俺の方だ」
「俺だ」


好き、なんだよなぁ。
じゃなけりゃ、こんな色気のかけらもない会話をしながら、降りてきた唇を受け入れやしないから。







(そういやなんで昔は俺だけ食満だったんだよ)
(……お前が…)
(俺が?)
(潮江と呼んでいたから)
(…え、そんだけ?)
(うるせぇ!本当なら留三郎って呼びたかったんだよ!)
(……(可愛い、とか末期だな…))


後書き:ちゃんとお題に添えてるか心配です;
少女漫画サーセン!二人とも誰?状態ですね!
こんな駄文ですが、主催者様へ献上します。
提出先→ころぴよ!