春、春よ、春よ来い。 遠い遠い、春よ来い。 もう弥生に入ったというのに、吐く息は白く、悴む爪先。 ついこの間は雪まで降った。 可愛い後輩たちは無邪気に喜んびはしゃいでいたが。 昨年の俺なら、途切れることのない雪に、うんざりしただろう。 でも今は。 この冷たさが、むしろ嬉しい、だなんて。 「さみぃ…」 どんよりとした空を見上げ、一人呟く。 俺が嫌いな曇り空。 冬を感じさせる天気が、今は嬉しい、だなんて。 ふわりと、首に巻きつく温かいなにか。 見れば、それはいつも使っている深緑の首巻きだった。 振り返ると、目の下に隈を作ったあいつが立っていた。 少し、難しい顔をして。 「…風邪、ひくぞ。こんな所で何をしている」 こんな所、とは葉一つない桜の木、真下のことだ。 普段ならその言葉だけで喧嘩へと発展しただろう。 でもそんな気分じゃない。 俺は文次郎へと向けた視線を、木に戻した。 「いや…蕾、まだ膨らまないなって…」 「桜ならまだ先だろう。この陽気だしな。なんだ、花見でもしたいのか」 「……違う」 まだ咲きそうにもない桜。 雪がまるでそれと錯覚させるか、それは冬の名残だ。 常なら、その名残を溶かす雪を待ちわびているはずなのに、今は。 「それが嬉しいんだ」 文次郎が、隣で小さく息をのんだ。 全てを包むように咲き誇る、薄紅色の天女。 皆は今か今かと待ち望むけれど、俺は見たくない。 その天女を見た時、俺達はこの箱庭を出ていく。 俺達は忍びだ。 同じ道は歩めない。 つまりこいつと、 「……桜、咲かないといいな」 俺の意図を読み取ったのか、文次郎が呟く。 「そう、だな」 触れた蕾は、まだ固かった。 そんな願いを嘲笑うかのように天女は微笑み、俺たちはその花を背に箱庭を出た。 ただ一つ、箱庭で一番大きく美しい桜だけは咲かなかった。 俺と文次郎が散りゆく花びらよりも儚い願いを呟いた、あの木だけが。 後にも先にも、こんな願いを抱いたのは、十五も冬の終わりだけだった。 春よ、遠き春よ。 遠きままでいておくれ。 今はまだ、名残雪に包まれて、例え浅き夢でも見ていたいのさ。 ああいっそ、このまま永久に芯まで凍る真冬のままでもいいのに。 春を望まぬ時ぐらいある。 お粗末様でした。 |