16

 階段を抜けると、先んじて迅が小屋を飛び出して行った。琉奈はぎょっとした。―――だってこれから戦いに行くというのに、彼は丸腰だったのだ。

「いいか、何があっても絶対にオレの言うこと聞くんだぞ、わかったな」

 琉奈はこくんと頷いた。

 恐怖がないわけではない。寧ろ、恐ろしさで胸が潰れそうな気さえした。けれど、だからこそ、強気で居なければいけないと思ったのだ。その恐怖に負けたくなかった。恐怖が私を押し潰そうとするのなら、私はその恐怖を踏み潰して立ってやる―――そんな心境だった。


「ちっとも怖くなんかないわ」


 唇を噛んだら、ちょっと痛かった。

 秋は懸命に勇む琉奈を見て、満足げに笑った。「その意気だ」


 そして、彼は扉を開ける。


「走れるか?」

「自信はある」

「ンじゃ、全力疾走だ」


 外の世界は陽射しが強い。

 秋が走り出す。琉奈はその背中を追いかける。出逢って間もない、なのにもうずいぶん見慣れた気のする彼の背中を。信じられない凶器を担ぐその背中を。

「女にしては速ェじゃんか。脚がこんがらがって、すっ転んじまうんじゃねェかと思ってたのによ」

 秋は走りながら、斜め後ろを付いて来る琉奈に笑いかける。

「アンタ、私をバカにしてんの?」

 彼が全力疾走≠ナないことは琉奈にもちゃんと分かった。何歩重ねても彼は自分に神経を払っている。たとえすっ転ん≠ナも、きっと彼が受け止めてくれるだろう―――。

「なんだよ、褒めてやったのに」

「………………」

 走り続けていると、思いの外早い段階で息が乱れてきた。秋はけろりとしている。

 アジトを出て今まで獣道を真っ直ぐひた走って来たが、ここでようやく岐路に差しかかった。秋は迷わず右側の道を進んだ。辺りは木々が生い茂っていて、生温い風が吹く度に、木の葉がざわっと揺れる。

 走る速度は確実に落ちた。が、それでもどんどん進むと、獣道は緩やかな下り坂になって、下方に集落が見えた。

「おおーい!」

 坂の下から、中年の男が手招きをする。

「こっちだあー!」

 男は、秋らから見て右の方向を指差した。坂をぐんぐん下って行くと、その男の顔面が蒼白になっているのが少しずつ浮き彫りになってきた。秋は加速した。

「いま、5号地の民家に迫って来てるんだ! 早く助けに行ってやってくれえ!」

 秋はさらに加速する。

 琉奈はその背中が遠ざかるのを、悔しいことに、心細いと感じた。呼吸もままならない。だのに、走ることをやめられない。彼の背中だけを頼りに、走る、走る―――。






  
16/19



BLコンテスト・グランプリ作品
「見えない臓器の名前は」
- ナノ -