目が覚めたのと同時に黄瀬は自分が眠っていたことに気付いた。瞼が重く目の奥が痛い。目覚めとしては最悪の部類だな、と思いつつも体を伸ばそうとすると、ガタ、と物音がしただけで体は動かず不自然に窮屈な体勢であることを自覚した。一気に目が覚めて周りを見渡す。ここが見慣れた自分の部屋だということにパニックになりかけていた精神が落ち着き、自分の状態を確かめる余裕が出来た。座らさせられているのはこの部屋にあった黄瀬の椅子だということは、視線を下ろすと分かった。手は後ろで纏めて縛られているようで、右手で左手を触ることができる。もがこうとしてもキャスターが少し転がるだけだということから、椅子の部品に繋げられるように両手が縛られている。
 姉の悪戯か?と幼い頃からよくいじられていたことを思い出しげんなりとするが、それよりも可能性の高い人物が一人いることをあえて黄瀬は考えなかった。だが部屋の入口で扉の閉まる音が聞こえ、首だけでそちらを振り向くと窓から差し込む夕陽の光の所為か、やけに目に染みる赤色が目に映った。

「起きたか。すまないな、風呂を借りさせてもらった」
「や……それは別にいいんっスけど……」

 いつも終わった後はシャワーを勧めていたが、早く帰りたいという思いからか赤司は身支度を整えると直ぐに帰っていた。なので今日もそうすると思っていたので意外であったが、髪にかけてしまったりしていたのでそのままの姿では帰れないと思ったのだろう。
 黄瀬の姿を見ても赤司は驚きもせず何も言わない。つまりはそういうことか。

「今までも熱烈な女の子はいたけど、流石にここまでする子はいなかったんっスよ?」
「お前が、どんな気持ちでこんなことをしていたのか少しでも知りたくてな」

 変わらない赤司の声のトーンを聞きながら後ろの手を動かしてみるが、ギチリ、と布の擦れる嫌な音がしただけで解ける気配は無い。恐らくは己が彼にしたものと全く同じなのだろうと気付く程度には容赦のない縛り方だ。
 不意に先ほどの情事の出来事を思い出して自分で自分に舌打ちをしたくなる。オレは何を言っていた?目の前が真っ赤になって、いらないことをたくさん赤司にぶつけてしまったような気がする。赤司のこの行動も、それを受けてのことなのではないのか?
 意識を手にばかり集中させていたので、赤司が「だが想像は出来る」、と口にした時は瞬時にその意味が分からなかった。視線だけを動かすとそこにいたのはいつもと変わらない様子の赤司だ。こんな時でさえ、と思わずにはいられない。

「オレはお前を見ても欲情をしない。犯したいと思わない」
「なんと!オレのこの色気を見て!」
「だが、それはお前も同じじゃないのか」

 おどけて体をくねらせていた黄瀬が一瞬真顔になり、だが次の瞬間には「なんでそう思うっスか?」といつもの笑顔に戻り聞いてきた。予想通りの反応だと言いたげに赤司は頷き、お前にはこうした方が早いだろうと言って黄瀬の唇を自分の唇で塞いだ。

「……っ?」

 すぐに赤司は離れたが、黄瀬の頭は爆発寸前にまで混乱した。そしてようやく今の行為がキスであると気付き、目を見開いた。

「うえぇえええ!?!な、なんで!?今のってキスだよね!?」

 嫌なわけではない。嫌なわけではないが、しろと言われたら戸惑ってしまう。赤司とのキスというのは黄瀬の中でそんな位置づけのものであった。混乱を極めた頭で赤司を見るがいつものように何を考えているかが分からなくとても不安になる。
 いつも黄瀬は赤司に触れるだけで体が熱くなり、それは赤司も感じていたことだろう。なのでキス、という深い触れ合いをしたときの黄瀬の反応は想像出来るものであったが、不思議なことに黄瀬は何も反応をしていない自分に気付いていた。そして黄瀬の体を調べた赤司が、黄瀬が何も反応をしていないことを確かめこれもまた予想通りだ、といった反応を見せる。

「不思議だった。お前はオレに一度も口づけをしなかった。他の場所は恥ずかしげもなく舐めるのに、わざと避けているように思えた」

 心臓がバクバクとうるさい。浅い呼吸しか出来なくなる。手の先はきっと冷え切っている。

「そこでオレは一つの仮説を立てた。黄瀬、お前にとって口づけとは、特別な相手とするものなのではないか、と。そしてオレはその”特別な相手”では無い」
「……な、ァに言ってるんスか、オレと赤司っちは」
「悪いがお前の今までの女性関係を調べさせてもらった。虚偽の申告も含まれているかもしれないが、内容を総括するに黄瀬涼太は一年の始め頃に付き合った者以外とは口づけをしていない」
「…………」

 黄瀬が黙り込んだのは、そこまでするのか、という驚きと、記憶にある自分の行動はそれと一致していたからだ。別にキスなんて、やろうと思えば何も考えずに出来ることだ。だが思い返してみると、強請られても行為の中ででも、誰かにキスをしたという記憶が無い。誕生日の前に別れた女とは何度かした。その時はまだ自分はアホみたいに相手の外面の良い部分しか見てなくて、恋というものに浮かれていた。
 相手に幻滅をして別れて、付き合わなくても気持ちがいいことは出来ると学習し、楽な方へ楽な方へと行動をするようになっていった。あまり深みに嵌らせても面倒くさくなるだけ。それにするなら本当に好きな相手と……。

「ずっと引っ掛かっていた。お前がオレに好きと言う度に違和感を覚えた。むしろお前から感じるのは正反対の感情だと、オレは感じていた」
「……そんなはずない」

 やめてくれ。何を言おうとしているんだ。赤司に抱くこの想いは、恋で、恋でしかなく、だから赤司が何を言っているのかが分からない。背筋がぞわぞわとする。やめてくれ。やめろ。嫌だ。

「そして先ほどの口づけで確信をした。黄瀬、」
「やめ……」
「お前はオレを」
「やめろよ!!!」

 オレを暴かないで。

「本当は憎んでいたんじゃないか?」



 勝手にお前の過去を調べたことは申し訳なく思っている。だがオレも確証が欲しかった。不快に思ったならば謝罪する。
 そんな赤司の声が聞こえた気がしたが、本当に赤司が言ったのか、それともそれは黄瀬の幻聴だったのか、それすら分からないくらいに頭が痛い。無理矢理に、歪んでそのままで固まっていた部分を元に戻されたようなそんな感覚。歪んで?そんな馬鹿な。歪みなど無かった。正常に機能していた。何故そんなことを思ってしまったのか、赤司が変なことを言うからだ。痛い。痛い。あたまがいたい。

「そんなこと……言われたって、オレ、だって、分かんねんスよ……」

 好き。好きだという気持ち。それは強くて熱くて、ぶつけたら痛いけれど、気持ちが良いものなんじゃないのか。

「だってオレ、……好きって……あんたのこと……なんで」

 赤司が何を考えているのかが分からない。だがその瞳は一つも曇っていなく、先ほど赤司が言っていた通り、赤司が自分で見つけた確証を元に導き出した真実しか映っていない。だがその真実は黄瀬には分からない。好きじゃなかっただなんて、憎んでいただなんて、分からない。だとしたら、オレは憎しみをぶつけるために、自分本位な八つ当たりのために赤司を力づくで抱いたことになる。それは好きだから、だから辛うじて許される、そう思っていたのに。
 「黄瀬」と呼ばれ、顔を上げた。

「オレはお前を許す」
「……」
「全てをだ。許す」

 心の中を読まれたかのようなタイミングで言われ、上手く脳内で処理が出来なかった。後からどういう意味かを理解し、だが理解できないその内容に訳がわからなくなる。 

 意味が分からなかった。だが赤司が嘘をついているようにも見えず黄瀬は混乱をする。
 許す?許すって何をだ。
 全て?全てとは、黄瀬が赤司に対して行った行動全てか。
 何故。一生恨むと言われた方がまだ納得がいく。
 意味がわからない。何故そんなことが言えるのだ。頭が痛い。
 どうしてこんなにもオレとあんたは、……――

 何故か涙が溢れてきて慌てて黄瀬は顔をそらす。意味が無いと分かっていても、そうせずにはいられなかった。

「黄瀬」
「やめろよ……」
「黄瀬」
「……んで、」
「なんだ?」
「オ……レが、あんたに何したか分かってんのかよ……」
「そうだな、一時的な拉致監禁に強姦、脅迫に暴行未遂。ああ、あと最初の首絞めによる傷害もあったな」
「うわ待って。リアルな罪状聞いてたらいたたまれなくなってきた」

 下を向いて笑うが何故か涙は止まらずにボロボロと大粒の雫が落ちていく。認めたくないが先ほどよりも酷くなっている。何かがトリガーとなったことはわかるが、それが何かが全然分からない。どうしてオレは泣いているんだ。止まれ止まれ、と目を強く瞑り念じるが自分の意思に反して体は言う事を聞かず涙が頬を伝う。
 赤司が何かを言う度に、何かが終わりを迎える。そう、確かに感じた。
 黄瀬は諦めたように大きく一度深呼吸をし、搾り出すような声で言った。

「ねえ、オレ、あんたにどう接すればよかったんだよ……」

 赤司に対してやったことに、罪の意識は無かった。それが正しいと思っていたし、途中まではうまくいっていたのに。でも今のこの現実が『実はそれは間違っていたんだよ』と言ってくる。そして赤司はそれを理解しているようにも見えた。何もかもが分からない。黄瀬にはこの行動を取るしか選択肢が無かった。そう思い込んでいた。他に道があったのか?思いつかない、分からない、だから教えてくれ。
 そんな黄瀬を見て、赤司は何かを一瞬だけ逡巡したがすぐにそれを消し口を開いた。

「黄瀬。黄瀬涼太。お前はあまりオレに関わるな」
「……当たり前っスよね、ここまでしておいてどのツラ下げてって話――」
「そうじゃない。部活には変わらず出ろ。だがオレに必要以上に近付くな。それがお前のためになる。少なくとも、今のままだとお前は潰れてしまう」
「……? 赤司っち……?」

 真っ直ぐに見つめてくる赤司の瞳に迷いなどなく、そこに映るのはぐしゃぐしゃになった自分の姿だけ。それを見ると、なんだか全てが馬鹿らしくなり、ああ、やはりこの人は違うところに立っているのだと実感させられた。
 不思議な感覚だが、胸の中にずっと溜まっていた息がようやく吐けたような、そんな感覚に陥った。すう、と頭がクリアになり赤司の輪郭がはっきりと見えるようになる。

「あんたがそう言うなら、それが正しいんっスよね……」

 どうして同じだなんて思ってしまっていたんだろう。ひとりひとりが違う存在だと分かっていたつもりだったのに、ずっと見ている内にどこからかその境界線が曖昧になってしまっていた。ひとつになったと錯覚をしてしまった。

「あーぁ……馬鹿みてぇ……」

 スン、と鼻をすすり上を向く。もしかしたら、羨ましかったのかもしれない。何が、とははっきりと言うことは黄瀬にはできないが、そんな気がした。
 でも。ひとつだけどうしても修正したいことはある。

「嫌いじゃない、ってのは本当っスから」

 何の思惑もなく素直に言ったその言葉を聞いて、赤司がほんの少しだけ驚いたような表情で「そうか」、と答えたので、もうそれで十分だった。






 後日。

「黄瀬ェ!手を抜くな!!ノルマに達してないのお前だけだぞ!」
「おわっ!?スイマセンキャプテン!」

.
.
.
「なんだか元に戻りましたね」
「あ?なにが?赤司も黄瀬もいつもどーりじゃん」
「……そうですね。でもなんだかそう思ってしまいました」
「ふーん?そろそろお前の番だろ。準備しとけテツ」
「はい」

.
.
.
「ミドチンなんか難しい顔してる」
「……紫原か。別にオレは……」
「赤ちんが何も言わなかったのがそんなに気になんの?オレミドチンのそういうところ面倒くさいって思うなー。オレは赤ちんがいいんならそれでいいし〜」
「お前はそう言う奴なのだよ。だがまぁ、確かにもう終わらせたのだろうな」

.
.
.
「きーちゃんお疲れ様。はいタオルと飲み物」
「あっ、桃っちありがと」
「すごいねー。きーちゃんどんどん赤司君のノルマこなして行ってる。こんなに順調なのって他には青峰君ぐらいなんだよ?」
「そうなんスか?まぁ赤司っちの言うことこなしてれば大丈夫だってわかってるんで、これが一番早いレベルアップかなーって気合入れてるんっスよ」
「きーちゃんと赤司くんって仲良かったっけ?」
「キャプテンっスか?……嫌いじゃないっスよ。オレ、あんな人他に見たことないもん!」
「なんできーちゃん嬉しそうなの?」

 不思議そうに黄瀬を見る桃井に黄瀬は笑顔で返した。黄瀬が赤司に抱いていた想い。焦げ付くような胸の焦燥感。あの気持ちが本当に恋ではなかったかはもう黄瀬には分からない。だが、赤司が言うのだからきっとそうなのだろうと黄瀬は納得している。
 離れず、付かず。そんな距離を保っていてくれたからこそ、今黄瀬は帝光中学校バスケ部のレギュラーとしてここに居ることができる。黄瀬は赤司の真意を理解出来たわけではない。だがそれでいいのだ。その距離こそが今の黄瀬と赤司の色。

「それはオレと赤司っちの秘密〜!」

 ね、キャプテン。
 一瞬だけ赤司と視線が合い、その時に赤司が少しだけ笑ったような気がしたが、それを見ていたのは黄瀬だけだったのでその真偽は定かではなく。
 
 二人のみぞ知る秘密。


...Normal End


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