15:ぺらぺら愛情 | ナノ


 

 彼はその日も酒と、甘い花のような匂いを染み付けて、夜から朝に変わる曖昧な時間に帰って来たのです。当番の時間までの数時間は寝るから起こしてくれるなよ、と、偶然に顔を洗いに出た僕に言いつけゆらゆらと寝間に入って行きました。
 すれ違い、消え残る花の匂いに眩暈がしそうになります。
 あの噎せ返るような花の匂いが、女の白粉や着物から生まれるものだと少し前に知りました。教えてくれたのは他でもない彼本人で、それを知ったときはなぜだか胸が苦しくなりました。
 覚えた遊びはきっと目新しく、他にすることもないので、花街に通うのは一向に構いません。けれど、なぜか僕には汚らわしくてなりませんでした。
 もちろん、彼を尊敬しています。何事もそつなくこなし、腕っ節も強く、頭も顔も良いですから、女は蝶のように群がり――女だけではなく、彼を利用し甘い蜜を吸おうとする者も少なくはないのです。それならばあの甘い匂いは彼からしているのではないかと思いましたが、やはり違うようでした。普段の時の彼からは、あの匂いは漂いません。
 僕は彼に憧れを抱いているのです。
 自分にとって完璧な彼が、僕の知らないところで酒を飲み、女と遊び夜を共にしているところを想像するとどうしようもない嫌悪感に打ちひしがれます。同時に、身体が勝手に熱を持つのでした。その熱を発散させる術だって、最近覚えたのです。その日も顔を洗って自分も寝間に戻り、あらゆることを思い浮かべ布団の中で自慰をしました。この快楽を、彼は花街で味わっているのでしょう。
 そうしていつも考えるのです。汚らわしいのは自分ではないか、と。
 近頃後悔ばかりしています。彼と出会ってしまったことを、側にいすぎてしまったことを。
 だから、輪廻転生があるとしても、彼と僕は二度と出会わないほうが良いのでしょう。




 ある日、非番の前日に近くの夜桜を見に行きました。いつもなら、ふらりと街へ出るはずの彼でしたが、今夜はなぜか僕を散歩に誘ったのです。
 ほの暗い闇に浮かぶ桜はとても綺麗で二人して見惚れ、遠くの月を眺めて色んな話をしました。まだ肌寒く、春の訪れには早いと思っていましたが、話しこんでいるとそんなことすら忘れるくらいです。彼の話す街の話や出会った人々についての話は面白く、退屈しません。楽しそうに話す端正な横顔が、今は僕だけの為にあるものだと思えば幸せでした。
 ふと立ち止まった彼は僕の頬に触れて、真面目な顔をしてあることを言いました。けれど、その言葉を信じてしまうには色々なことを裏切らなければなりませんでした。少しの間、あたりは時を止めたように静かで、彼の後ろに見える月が煌々と燃えるのを当て所もなく眺めていることしかできません。彼の真意など僕には理解できないはずで、返す言葉は決まっているはずです。けれどなぜか彼からは逃げられないのです。
 彼は僕に愛していると囁きました。
 頬に触れた彼の手のひらは熱く、自分の身体に伝染するようでした。僕はどうすればいいのかわかりません。知らないうちに身体は大人になりますが、戸惑うばかりで心はまだ子どものままです。
 黙っていると、彼が僕の名前を呼びました。
 指で優しく僕の唇を撫でました。
 いつも、こんなふうにしているのでしょうか。
 彼の目が僕を射抜きます。
 いけない、と思いました。男と男など、そもそも間違っているのです。それなのにどうして彼は、足を踏み入れるのでしょう。彼はいつものように遊んでいるほうが十分幸せではありませんか。僕の知らないところで。
 いけない事だとわかっているのに動けなくなり、ついに彼は僕に口づけをしたのです。それはひどく寂しく、何か大切なことが崩れてゆくような不安定な気持ちになるものでした。

 もしも来世があるのなら、二度と出会わないほうが良いのか、それとも。彼の言う愛が何であるのかは、十七の僕にはまだわからないのです。




2011.2.10




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