からかいたくなるのも、困らせたくなるのも、全部。 「会長か。それももう終わりだな」 取り留めの無い話の途中で、不意にそんなことを口に出してみたのは、どんな反応をするか見てみたかっただけで、特別な悪気はなかった。 「あ……」 「なあ椿、オレのこと名前で呼んでくれよ」 癖の様なものだ、呼び名なんて。だから急に変えることは難しいだろう。そして椿に会長と呼ばれることは嫌じゃなくてむしろ心地よかったし、無理矢理変えようとは思っていない。ただ少し、意地悪をしてみたくなったのだ。 「嫌?」 「いえ、嫌とかそういうわけでは」 「別に減るもんでもねーし」 そう言うと椿は困惑した表情で口を噤んでしまった。自分の言葉や態度で困っている姿はとてもいじらしい。安形のリクエストに椿はしばらく答えなかったが、やがて観念したのか自分の中で言い聞かせたのか、恐る恐る口を開いたのだった。 「……安形先輩」 予想通り名字で呼んでくれた椿に、安形は思わず笑いたくなってしまったのだが、怒らせてはいけないと我慢する。怒らせてもそれはそれでおもしろいけれど、今は早く、できるだけ穏便に事を運びたかった。 「せんぱい、とか無し。オレの名前知ってるだろ?」 ほら、と急かしてみれば椿は完全に俯いてしまった。それでもタイミングをうかがっているようで、ちらちらと安形を見ながら落ち着きがない。 何も言わずにじっと見ていると、椿はひとつ、小さく咳払いをした。 「そ…惣司郎、さん…?」 ……新妻?! たどたどしく名前を言いながら、上目遣いでこちらを伺い見るその様の予想以上の威力にうちのめされて、しばらく言葉を失う。これは反則だ。 色々と心の中でつっこみながら、愛くるしい椿を抱きしめる。ここが自室で本当に良かった。 「ああもうお前は本当に可愛いんだからよ……!俺をどうするつもりだ!」 後頭部に手をやって柔らかな髪を撫でる。そのまま肩口に引き寄せた。椿は照れているのだろうか、抵抗しない。心なしか従順になっているような気さえする。 「どうもこうも…か、可愛いって、会長もそればかりじゃないですかっ……!」 「……だっておめーが可愛いから悪い。全部」 「……ボクは男です」 そんなことはどうでもいい。そう言ってもうまく伝わらないのだけれど。 「椿、椿」 もう我慢ならない、とでも言うふうに安形が椿の首に噛みつく。実際には甘噛み程度なのだが、安形の勢いは椿の細い首をそのまま食べてしまいそうなほどだ。 「痛い、です、かいちょ……」 「もう一回呼んで、名前」 「……惣司郎…さん」 返事をする変わりに、首をちゅっと音を立てて吸い上げた。白い肌に赤い跡がつくのを確認する。そしてそれを何度も何度も大切なものを愛でるように、それでも壊さない程度には激しく繰り返す。背筋を指でなぞっただけでも反応する、まだ幼い身体が熱を帯びていく。 「っ…!」 椿のシャツの裾から安形の手が入り込むと、肩が揺れて身体がこわばる。わかりやすい、と思う。わざと椿の顔を見ると、眉を顰め困ったように目を逸らされた。また可愛い、と言ってもその表情は曇るばかりだ。いったいどうすれば伝わるのだろう。 「なあ椿、いい加減……」 安心させてほしい。オレのものだって、認めてくれたら。 そんな自分勝手なことを思いながら、ぎゅっと目を閉じている椿に囁くように呼び掛ける。 「ん……」 とろんとして重たげな瞼が開くと、目尻から透明な涙が滑っていく。舐めると塩辛く舌の上に広がって、弱い刺激を消え残した。同時に、用意していた言葉も一緒にどこかへ行ってしまった。 ――本当にずるいよなあ。 椿が自分のせいで泣いている。その事実だけで、たまらなくなって何も言えなくなるのだから。 2011.1.21 |