Sleep flowers 2 | ナノ


 


【本文より抜粋】


 思えばこの部屋で一人きりになったことは無かった。
 椿は一通り部屋の中を見回り、得も言われぬ脱力感だけが残った身体を落ちつけようとベッドに腰掛けた。安形のいない部屋は広く、静かに感じられる。いつもなら、必ずすぐ側に彼がいて、お互いが黙っていてもふとした時に呼吸の音や動く気配を感じて、二人でいるという空気に満たされていた。それこそ手を伸ばせば簡単に触れることができる距離にいつだっていたのだ。しかし椿は自分から安形に触れたことがなかった。眠る時に背中を合わせていても、いつの間にか安形に抱きすくめられていて、気が付いたら彼の胸の中にいるのだ。でも、昨夜はそれがなかった。
 些細なことかもしれないが、今はその些細なことだけで椿の気持ちはぐらりと不安定になる。ぎりぎりで均衡を保っている天秤の片方に、小さな錘を乗ってしまえばいとも簡単にそれが崩れてしまう。そんな緊張感が椿のなかにはあった。
 一人でいても考えることは安形のことばかりだ。
 携帯電話に一度かけてみようかと手にしたものの、指は動かず仕舞いで椿はがっくりと項垂れた。そうしてまたじわりと涙が浮かぶのだ。こんなふうに泣いたり、胸が苦しくなったり、感情が不安定になるのは、安形のことを好きになってからなのだ。
 彼と出会った時から、今まで自分の感情をこんなにも揺さぶる人物に出会ったことがないと思っていた。
 今だって、それはかわらない。
 こんなに悩むのも、安形を特別に思っているからにすぎない。
 そこまでわかっているくせに、何も伝えることができない。何をどう言えばいいのかわからない。
 泣いて重くなった目と、鼻の奥がつんとする感覚はどこかプールで泳いだあとのような倦怠感に似ていて、そのだるさに身を任せて椿はベッドの上に寝転んだ。
 ふわりと柔らかな布団の感触が頬にあたり、すう、と息を吸い込めば、清潔感のある香りとともに昨夜ベッドのなか隣り合わせでいたことが蘇る。眠るときはいつだって、身体のどこかが触れ合っていて。手を握られたり、髪や頬を撫でられたり、もちろんそれ以上のことも。昨夜それが無かったということが、椿の不安な気持ちにさらに拍車をかけている。
 目を瞑り、安形の顔を思い浮かべた。こっそりと伺い見る凛々しい横顔も、いたずらに笑う顔も、正面から見る気の抜けたような表情だって、どれも好きだ。椿を見下ろす熱っぽいあの目が、いつも胸を焦がした。
 そんなことを考えると体温が上がった気がする。手の先から頭のてっぺんまでが、やわらかな熱に包まれたようだった。安形に触られた時、いつもそんな感覚が椿の身体を満たして、それは心臓を甘く疼かせるのだった。くすぐったくて、少しだけ痛くて、次第にどきどきと鼓動が速くなる。思い出せば今もそれと同じように胸が高鳴った。椿は目を閉じて、瞼のうらで安形の手の動きを思い描いた。
 髪を撫でて、その手が頬に降りてくる。
 優しくキスをされる。間隔の短いキスを何度か繰り返して、それが深いものに変わるまでそう長くはかからない。
 熱い舌が絡まって、唾液が唇の端から零れる。
 安形の手や指は椿の身体を好き勝手に滑り、その反応を楽しんでいるかのように時々意地悪く笑うのだった。
 昨夜持て余した熱が発散できずに残っていて、その想像は下半身をずんと重くした。一点に熱が溜まり疼いて、椿は思わず身を捩った。呼吸をすれば安形の匂いに満たされるだけでまるで逆効果だった。
「……」
 恐る恐る下腹部に手を伸ばして、椿はその変化に一瞬戸惑った。それでも、結局は抗えずに下着の中に手を滑らせてしまう。
 こんなことをしている場合じゃない。もし安形が帰ってきたら―こんなところを見られたら、どうするつもりなのだ。だめだと思っているのに、欲は勝手に椿の手を動かし、理性を奪っていく。
 先をゆっくりと親指で触れると、ぬるりと滑っていて、椿は思わず頬を赤くした。恥ずかしい。
 どうして感情と性欲を、切り離して考えることができないのだろう。冷静にならなければいけないのに、こんな行為に及ぶなんて。考えれば、安形との行為だってそうだ。安形の熱に流されて、結局はいつも自分の言葉は伝えられないままだ。
 どうしてうまくいかない?
 なぜ言葉で伝えられない?
 感情だけ先走って、これではまるで――。
「……っ、……う……」
 頭の中で、快楽と苦悩とがごちゃまぜになって溶けていく。目の前にある快感に手を伸ばすことは後ろめたいのに、止められなかった。募る嫌悪感とは反対に、椿の指は知っている快楽を得ようと忙しなく動いてしまう。
 唇に手の甲をあてて、無理に息を殺せば肩が大きく揺れた。
 濡れた音が響いて、羞恥心を煽る。
「ん……あ…っ」
 声を我慢したくて、手の甲を噛んだ。小さくて鋭い痛みさえ自慰の快感に消されて、やってくる波にのみこまれる。先端を引っ掻くように触ると、精液があふれ細い指を白く汚した。しばらくして、生温かくて粘り気のある独特のその感触に、みるみる現実に引き戻される。椿は気持ち良さと虚無感の間で自分はいったい何をしているのだろうと、途端に情けなくなった。気付けばまた涙を流していて、椿は悔しさで唇を噛んだ。
 安形のことを想わなければ、こんなに情けない自分を知らずに済んだのに?また最低な感情が湧きあがって来て、椿の心は痛むばかりだった。
 泣くのはこれで終わりにしよう。そうどこかで区切りをつけなければ、ずっと続いてしまうような気がして、椿は人知れず心に決めた。今のままでは、安形にこんなことを伝えられるはずがない。
 かちゃり、と鍵の開く音が聞こえたのは、上がった息を整えようと半身を起こしたところだった。



2012.1.8発行予定



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