ももとせ | ナノ


 

 見慣れた制服の後姿は、たくさんの人に囲まれていて、自分からは少し遠い。それでもちらちらと、その中心にいる人物のたまに見える横顔が自分には眩しかった。大人びた横顔が笑みを見せた瞬間は、少しだけあどけなくて胸が高鳴る。光の下で一層、誰よりも輝いて見えるのだった。
 式の終わった校内では卒業生や在校生、他にも先生や親などがまだ残っており、特に卒業生たちは長々と話しこんでいる。皆楽しそうに笑っているが、その姿は名残惜しくも見える。何度も何度も写真を撮る姿がそう思わせた。
 安形もあちこちから引っ張りだこで、沢山の生徒と写真を撮っている。元生徒会長であるし、あの答辞のあとだ。男子からも女子からも人気の彼の周りは、ひと際騒がしく笑い声が響いているのだった。
 椿がその風景をぼんやりと眺めていると、少しだけ嫉妬している自分に気がついた。こんな晴れ舞台の日に相応しくない感情だと、椿は首を振る。最後まで笑顔で送り出したい。そうするべきなのだ。でも、安形のことを思えば余計に胸が騒ぐ。
 人の群れから離れた場所で、椿はそんな行き場の無い思いを巡らせていた。同じ制服を着て、同じ高校へ通って、同じ時間を過ごすことが今日で終わりなのだ。――それは、安形と椿だけではない。わかっているのに、それでも安形と二人になりたかった。
 特別な日に、つまらない独占欲を持つなんて。特別な日だからこそ、なのかもしれないが。人知れず溜息をつきなくなるのを抑えて、椿は再度群衆に目を遣った。
 すると、安形と榛葉がこちらへ歩いてくるのが見えた。二人の足取りは軽く、表情も明るい。
「……椿、オレらも写真撮ろうぜ」
 さっきの思いをまさか見透かしているわけではないだろうが、安形がにこやかに椿に言った。
 今日は本当によく笑う。
 そんな安形に少し戸惑いつつも、椿は二つ返事を返す。
「いいね、椿ちゃん、オレも」
 そう言って榛葉がカメラを構えたが、側にいた生徒が気を利かせてカメラマン役を買って出てくれた。
 最初に榛葉と安形そして椿の三人で撮影して、後は新旧入り混じった生徒会のメンバーやどこからともなく現れたスケット団の面々と混ざって何枚も写真を撮ることになる。賑やかな周囲に戸惑いながらも、椿はそれに付き合った。
 結局一番後に、安形と二人で写真を撮ることになった。
 隣に並ぶと、自然と腕が触れ合った。なんとなくちらりと見上げてみると、安形もこちらを見ていて視線がかち合う。
「あっち見ろよ」
「……あ、はい!」
 その見上げた顔に、ふと既視感が蘇った。
 ――背の高い人だな、と思った。
 初めて間近で顔を合わせた時、椿は今と同じように安形を見上げてそんな印象を持ったのだ。初めて会った時のことを思い出すと、また心がぎゅっと締め付けられる。
「ハイ、撮れたよ!」
 カメラを安形に手渡しながら、榛葉が爽やかに笑った。さっきまで泣いていた彼も、今はいつもの笑顔だ。
「……ありがとうございます」
 安形とのツーショットは、うまく笑えていたか不安だった。
 距離が、心が、だんだんと近くなるたびに、彼が何を考えているのか、自分のことをどう思っているのか、いつの間にかそればかり考えていた。今も。
 何かのタイミングでそんなことを実感する時に、好きだという感情が溢れてとまらなくなる。そのタイミングはいつでも不意で、椿を混乱させるには十分すぎた。そんな些細なきっかけは、時と場所を選ばずにいつでも椿に降りかかってくる。
「……最後に生徒会室、寄ってくか」
「あ……」
 こっそりと、椿だけに聞こえるように言って安形が意地悪く微笑んだ。
「お前、鍵開けられる?」
 何も言わずにただ頷けば、安形の唇がまた緩くカーブを描いて、優しく笑んでみせた。





 喧騒から離れた生徒会室は、少し肌寒く感じられた。
 ここで二人きりで会うことは何か秘密ごとのようで、最初は怖かった。今だって誰にも内緒でこうしていることに、何とも言えない背徳感に満たされているのだった。真面目な自分が、安形に絆されていくことが信じられなかった。思い返せば、数え切れないほどの彼に対する感情が頭の中に浮かぶ。
 安形は、そんな椿の気も知らずに目を細めて生徒会室を見渡している。懐かしい、と思っているのか、それとも目に焼き付けているのだろうか。
「椿」
 安形はかつて自分が座っていた席の前に、椿を手招いた。
「……目が赤いな」
 二人の距離がだんだんと近くなって、安形の右手が椿の頬を包んだ。目元を指で撫でられて、そのかさりとした感触にまた涙腺が緩みそうになるのを耐える。何も言えずに、椿は俯いた。
「最後にキスしようか」
 最後に、なんて言われると今我慢していたものが揺らいで崩れていく気がした。そうしてぷつりと糸が切れてしまったみたいに、涙が溢れて止まらなくなる。
 ひんやりした空気の中で、頬に宛がわれた手と流れる涙だけがあたたかかった。
「よく泣くよなぁ……まったく。会えなくなるわけじゃねーんだからさ」
 安形は泣いている椿を見て、また呆れたように笑う。
「すみません……でも」
 困ったような笑顔を向けられるのはこれで何度目か、安形のこの表情がとても好きだった。
「泣き顔ならもっと違う時に見せてくれよ」
「違う時、ですか…、っ……」
 言葉が遮られたのは、唇が塞がったからだ。そうしてまた聞きたかった答えを曖昧にされる。
 口のなかで、安形の舌が好き勝手に動く。唾液の味は甘くて、塩辛い涙とは大違いだ。できれば長く味わっていたかった。でも、このまま時間が止まることは絶対にない。そんなことを考えていた。キスされている間、ずっと。
「ん……」
「あんまりすると、ヤバイから終わり。な?」
「……」
「……な、何か言えよ」
 珍しく少し照れて見えたのは勘違いだろうか。そう思えば椿も気恥ずかしくなってしまう。何度も何度もキスしたことはあるのに、なぜか今は妙にくすぐったい。いつもそうだけれど、少し違う。
「……卒業おめでとうございます」
「今それ?……まあ、お前らしいかな」
 もう一緒に高校生活を送ることは二度とない。言葉にするのは簡単なことなのに、どうして信じ難いのだろう。
「……椿、好きだ」
 耳元で潜められた声にはさっきまでの余裕が無い。終わりだと言ったくせにもう一度口づけられた。
 静まりかえった生徒会室に、響くのは二人の呼吸だけ。短いキスのあと、椿は制服を着た安形の背中にしがみつく様に腕を回した。頬に当たるのは、ゆるめたネクタイの感触。
 好きだと言われて、こんなにも胸が苦しくなることを安形に教えてもらったのだ。嬉しくて切なくて、自分でもどうにもできない感情が、心の奥底から湧きあがって身体じゅうに広がっていく。うまく言葉に言い表すことができなかったから、椿は目を閉じてもう一度安形の胸に顔を埋めた。今だけは自分のものだと、そんな欲を込めて。





2011.10.25
2011.10.23 CCS6無配小説
安形さんご卒業おめでとうございます




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