06:さらさらシーサイド | ナノ


 

 夜の海がこんなに静かであることを初めて知った。
 夏の合宿でこの離島にやって来て、初日の夜のことだった。安形に連れられて椿は外へ出た。ペンションから少し歩けば、目の前には海が広がっている。本音を言えば、少し眠たくて、あまり夜更かしをしたくはなかったのだが。せっかくの合宿であるし、安形から誘われては断ることはできなかった。
 二人の間は数十センチほど離れていて、少しだけぎこちない。そう思っているのは椿だけかもしれなくて、安形は相変わらず気だるそうに歩いていた。こんな夜に浜辺を散歩するのは、なんとなく落ち着かない。普段の生活では聞くことの無い波の音が、余計にそうさせているようだった。
「ちょうどいい風だな」
「……はい、気持ち良いですね」
 波風に乗って、潮のにおいが鼻をくすぐる。夏らしい湿った風が頬を掠めて、椿はその心地よさに目を細めた。
「ちょっと休憩するか」
 そう言って、安形が砂浜に腰を下ろす。椿も真似て座った。足元まで波が届きそうだ。
 沈黙を気にして、ふと横を見れば安形が空を見上げていた。安形の横顔が、椿は好きだ。今も、安形がこちらを見ていないのを良い事に、こっそりと見つめた。鼻から唇にかけてのラインが、まるで大人のようで、意識すれば胸が高鳴った。
「あれ、ポラリスっていうんだろ?」
 言われて視線を同じように空へ向けると、星がきれいで、てっぺんに北極星が光っていた。安形はじっとそれを見ていたらしい。
 あれ、と、安形が人差し指をそれに重ねて、耳慣れない単語で北極星のことを呼んだ。
「……北極星のことですか?動かないんですよね、あの星は」
「少しだけ動いてるらしい」
「へえ……」
「昔から色んな言い伝えがあんだよ」
 安形が星についてそんなに興味のあることが意外だったが、やっぱり物知りなのだと、椿は感心する。そんな他愛のないことを話していても、まだ緊張はとけないのだった。
「……中学の修学旅行の時とかさ、こんなふうに夜、抜け出さなかった?」
 唐突に言われて、椿の胸が騒いだ。昼間の喧騒は消え去り、今は二人だけだ。安形の声が、それを意識させるように耳に響く。
「……ボクはすぐに眠っていましたから」
「だよな、真面目なおめーに限ってそりゃ無ぇか」
「ええ、今よりも真面目で、」
 引っ込み思案で、髪だって長くて、眼鏡をかけていて。そんな安形の知らないことを、胸のなかで思い出した。これはきっと安形が知らなくて良いことなのだと口を噤む。
「真面目で?」
「……ま、真面目でした」
「なんで二回言うんだよ」
 呆れたように笑ってから、安形はゆっくりと立ち上がった。椿もつられて立ち上がろうとしたが、砂浜は柔らかく、指が埋もれてバランスを崩してしまった。そんな様子を見て、安形がくすりと笑った。そうして、目の前に彼の右手が差しだされる。掴まれ、ということらしい。
 椿の身体を引き上げてから、安形は手のひらについた砂粒を払い落した。それから、また椿に向けて手を差し伸べる。
「椿の前髪、くせついてる」
 湿気を含んだ空気のせいで、椿の髪がいつもよりカーブを描いている。その柔らかなくせっ毛を安形が撫でた。額に触れた指先の温度に気を取られて、油断していた。
 視界が遮られたのは、安形の顔が近づいてきたからで、そうされては目を閉じるしかなかった。目を瞑ってから、わずかな時間差で唇が重なる。
「……真面目なお前が、なんでオレとこんなことしてんの」
 唇が離れていく時、小さな溜息が椿の頬から耳を通り過ぎていった。溜息まじりに、安形はそんなことを言う。
 見上げた安形の目は、深い海の色を映しているようで感情がよめない。何も言えずに椿が俯くと、黙るのは卑怯だ、と言われた。どちらが卑怯なんですか、と言い返すことはできないまま、もう一度唇が落ちてくる。

 帰り道、砂浜を歩く二人の間に、ほとんど距離は無い。何度か腕が触れた。いつの間にかお互いの指が絡まっている。誰かと夜を過ごすことが、こんなに愛しいことを椿は初めて知った。




2011.8.25



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