03:ぬるぬるバブルバス【前編】 | ナノ


 


「試験頑張った褒美に、椿と一緒に風呂に入りたい」


 そんな突拍子もない提案をいかにも真面目に言ってのけ、安形はじっと椿の瞳を見つめた。しかし椿は肯定するはずもなく、ただ黙って安形の洗濯物を畳んでいる。Tシャツやタオルやその他色々が、きれいに折り畳まれ積まれている。それらは今し方ベランダから取り込んできたものだった。
「……な、何を変態じみたことを言っているんですか?」
 椿の口調と目線は冷たく、変態、と言われたことに少々驚きながらも安形は怯むつもりはない。変態じゃねーよ風呂風呂、とまるで駄々をこねるような真似で言う。かえって椿を呆れさせるだけだというのに、安形はどうしてもその提案をくつがえそうとしなかった。
「だってオレ疲れてんだからさァ、背中くらい流してくれてもいーだろ?」
 安形は大学の前期試験を終えたばかりだった。一応単位を落とさないように、膨大な量のプリントと分厚い参考文献に埋もれたここ数週間。お気楽な安形でも多少のストレスはたまっている。疲れを癒してほしいと恋人にねだることの、いったい何が悪いというのだろう。そんなことを思いながら、手際良く洗濯物を畳む椿を恨めしく睨んだ。
「今日は溜まった洗濯物と掃除を手伝いに来たんです」
 一人暮らしの安形の部屋に、椿は頻繁に出入りしていた。今日のこれもいわゆる“お家デート”というものだろうか。試験期間中におざなりになっていた諸々の手伝いを椿が買って出て、今こうして二人で過ごしている。並んで座るのも久しぶりだ。
「……かわいくねーなー」
「かわいくなくて結構です。会長、あと掃除は……」
「あ、また会長って呼んだ。ほんと慣れねえなオマエ」
「あっ……それは久しぶりだから、その……」
 タオルを畳んでいた手を止めて、椿は指摘されたことを誤魔化した。試験明けで、久々に会う二人のあいだにはどこか距離がある。会えて嬉しいけれど面映ゆいような感覚は、距離が縮まらなくてもどかしい。
「そう、久しぶりなんだからオレの言うこと聞いてくれたっていいだろ」
「……まだ掃除も残ってます」
「べつに掃除はいつでもいいって。それ畳むのも適当でいいから」
「良くありませんよ!ボクはぜんぶ終えるまで帰りませんからね」
「じゃあ椿が一緒に入ってくれるまでオレは風呂に入らねー」
 安形は断固として意見を曲げない。最初はなんとなく軽い気持ちで言ってみたものの、ここまで拒否されては逆に後に引けなくなってきた。
「なに子どもみたいなことを言ってるんですか!それは困ります」
 夏場ですし、と付け加えて椿は視線を逸らした。どこか照れたような表情を、隣に座る安形に見られたくないのかそっぽを向いてしまった。
「いいじゃねーか、背中流すくらい。何が嫌なわけ?恥ずかしいのか?……いまさらだけど」
「それは」
「裸とかいつも見てるし、風呂入るだけだろ?」
 裸、という単語に反応して椿の肩がびくっと揺れる。
 ――まさか本当に裸を見られたくないとか、そんな理由で?
 動揺する椿をよそに、安形は本当におもしろいなと感心してしまった。そういう関係になって随分経つのに、いまだに羞恥心を持っているなんて可愛すぎるにも程がある。
「……それだけで終わるはずないでしょう?」
 安形が脳内でデレデレしていると、椿がなんとなく言い辛そうにぽつりと呟いた。
「……は?」
「え?」
 安形がたった一文字を発するまで、お互い瞠目したまま見つめ合って、数秒間の妙な沈黙が二人のあいだに流れていた。
 椿の頭の中では、風呂=裸=……のような変な図式が成り立っていたのだろうか。ようやく意味の理解できた安形は、予想の斜め上をいく椿の思考に驚かされる。
「……えっ、なに、おめー変なこと想像してねえか?」
「えっ、違います!別にボクは何も……!」
「それだけで終わるはずないって、何想像したんだよ?」
「……」
 安形が言及すると椿は口を噤む。頬をわずかに赤く染めて俯く姿がまたいじらしくて、苛めたくなったがここは我慢することにする。
「赤くなんなくてもいいだろ?」
 その頬に手を寄せるとやや熱くて、体温が上がっているようだった。本当に恥ずかしかったらしい。椿は安形から逃げるように手を振り払って、また黙ってしまった。
「何もしないって、ただ疲れたから一緒に入りたいとか思っただけ。会うのも久々だし」
「そうですか……」
 安形の目は優しく細められ、口元にも笑みが浮かべられている。からかうつもりもないのだろう、椿は安心してそう答えた。そうだ、久しぶりなのだし、少しでも長く一緒にいられたらいいと考えるのはお互い様だった。
「おう。何かしたら怒っていいから」
「そ、それなら、まあいいですけど……」
「じゃあ決まりな。風呂沸かしてくる」
 安形は立ち上がり、洗面所の方へ向かって歩いて行く。残された椿は、少し気まずそうな表情でその後ろ姿を見送る。こんな些細なことで、あんなに嬉しそうな顔をするなんて、反則だと思いながら。


≪続≫



2011.6.10



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