飼い主にご注意! | ナノ


 


「どうにかしてくださいにゃ」
 まじめな表情とは裏腹に、開口一番ふざけた語尾でそう言った椿を、中馬はどうしたものかといつも通りのやる気のない目つきで一瞥した。
「サイミンを飲みましたがこの有様にゃ。いったいどうにゃって……」
 作業中だった手をわざわざ止めて、なにか相談をしに来たらしい椿を迎え入れてほんの数分。しばらく黙っていたので、どんな深刻な話をし始めるのかと思いきや、椿の妙な口調に拍子抜けしてしまった。
 自堕落な自分なんかに相談を持ちかけること自体がそもそもおかしいのだ。話の中身もそれ相応に決まっている。うんうん、と納得しつつ中馬はあの修学旅行が終わってからのことを何となく思い出す。そう言えばまだ猫から戻っていなかったらしい。
 困ったように話出した椿を、中馬はどう扱って良いか正直わからなかった。授業以外で話すことも今までなかったのだし、何しろ真面目が服を着て歩いているような生徒だったので、日々だらけているような教師なんてあまり関わりを持ちたいとは椿も思っていなかっただろう。
 それが、あの修学旅行以来特に――藤崎と兄弟ということもあってか、以前よりもよく顔を合わせるようになった。
 ごちゃごちゃした部屋に似つかわしいこの生徒が、かしこまって来客用の椅子に座っている。おまけに話し方が猫みたいなのだ。その様子がおかしくて中馬は笑いそうになってしまった。
「さっきスケット団の部室で、中馬先生のところへと……」
「……椿……」
「はい!」
 中馬が話を遮ると、椿は律儀に返事をして姿勢を改めた。
「ほんと、お堅いのなあ……」
 生徒会役員である上、スケット団から話はよく聞いているので、彼の人となりについてはそれなりに知っているつもりだ。何事も本気で捉えるし、すぐに騙されるし、からかいがいがある。
 それならもっとおもしろい薬を試してみたくなるのが自分の悪い癖だと思いながら、中馬はじいっと椿の顔を凝視した。少しつりあがった瞳がまばたきする度に、その長い睫毛も上下する。目の前の教師がこんな企みを考えていることなんて、何も知らないような純粋な目だった。
「にゃ、にゃんですか」
「んー……あんまりやるとアレに怒られそうだからな」
「?」
「いやにゃんでもない……あ、間違えた、なんでもない」
 きょとんとする椿に、いよいよ手が出そうになる(猫だから喉を鳴らしてやりたくなる)のをなけなしの理性と、忘れがちだが自分が教師だという事実で思いとどまった。
「まあなんだ、もう少しそのままでもいいんじゃないか?」
 心なしか顔つきも違っていて、いつもの厳しい口調も和らいでいる。態度だって、あの堂々とした普段からは考えられないほど縮こまっているのだ。椿らしくないと言えばそうだが、見ていていじらしいものがあるのは確かだ。
「そんにゃ……会長と同じことを言われましてもにゃ……」
「やっぱりか」
 面白がってるんだろうな、とあの会長の面を思い浮かべて呟く。アレ、という言葉で指したのは生徒会長である安形のことで、椿は彼のことを驚くほどに尊敬しているのだ。安形も、悪い気はしていないのだろうと思う。
 二人が話しているのを遠くから見た時に、なんとなく、周りの空気が他と違うように感じたのだ。
 憧れとか、思慕とか……他にもなにかあるのかもしれなかったが、それは神のみぞ知る――というのだろうか。
「……で?安形には他になんか言われたか?」
「……ほか、ですか?そんにゃ薬勝手に飲むなと言っていました」
 ――けっこう過保護らしい。
 面白がりつつもしっかりと椿に釘を刺していたようで、今後こんなことがあれば間違いなく安形が飛んでくるだろう。
「それにしてもだなァ。猫とは、また……」
「お、おかしいですか」
「いやなんつーかさァ……可愛いなあと思って」
「……は!?……からかわにゃいでくださいっ」
 にゃいにゃい言う椿を適当にあしらって、中馬は机の引き出しからピルケースを取り出す。
 簡単に触れようとすると怒るけれど、一度気を許した相手にはとことん懐くのだろう。安形に気を許しているのは明確だったし、安形もこいつを可愛がっている。だから、あんまり椿をからかって安形に突っかかれるのも億劫だ。
「悪い。嘘嘘。お薬あげるから、とっとと飼い主んとこ戻りなさい」
「飼い主……?」
「ああもう鈍いやつだまったく」
 安形が手を焼いている姿が目に浮かぶようだった。
 ――あの常にやる気のなさそうな置き物生徒会長がねェ。ま、オッサンには関係ねー話だけど。
 そんなことを思いながら、椿のてのひらに薬をのせてやると、中馬は追い払うような手の動きをしながらさっさと行け、と言った。
「ありがとうございます」
 とびきりの笑顔が眩しかった。若いということは恐ろしい、と思う。勢いに任せて、頭を撫でてやったりしたら可愛く怒るのだろうか。
「……はいよ」
 生気のない返事を返して、中馬は自分の机に向き直った。そして椿が出て行ったのを確認してからパイプをふかす。口内で苦さを味わってから煙を吐き出した。嫌な匂いが彼の制服や髪に染みついていないかふと心配になる。それと同時に今度こそきちんと元に戻れるのだろうか、と少しだけ不安になったりもした。でなければ、安形にどやされそうだ。



 ――その心配もむなしく、今度はまたうっかり犬になってしまうのだが。
 これはくたびれた教師が、彼の飼い主に詰め寄られる一日前の話だった。




2011.5.20




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テーマ「人外ファンタジー」
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