逆パシリ大作戦


「うおぉぉぁああぁあぁ!!!」

真昼の真選組屯所に、突如甲高い雄叫びがこだまする。その周辺にいたものはもちろん、微かに練習中の道場にまで届いたというから、相当な声量なのだろう。声の調子を聞く限りでは修羅場のような感じはしないが、それでも何事かと何人もの隊士が発生源へと駆けつける。近くの廊下を談笑しながら歩いていた近藤と沖田も、すぐにその声の主を思い浮かべつつ、現場へと向かっていた。

「何だ何だ? どうした?」

既に何人かが群がっていたが、近藤はそれをかき分けるようにして中心へと進んでいく。沖田も無言でその後ろへつき、開けたところで横へ並んだ。

「こんなことされちゃあ、流石に俺だって怒りますよ!!」
「だから、それくらいで怒る必要が……」
「大いにあります!」

怒号を飛ばし怒りをあらわにしているのは、珍しくも山崎であった。何かのカップが転がるちゃぶ台を挟んで、呆れたというか、困惑した表情の土方が座って後頭部をかいている。何か山崎の怒りに触れるような行為を土方がやったのだろうということは分かったが、その大きな原因がこの状態からでは見えてこない。

「まあまあ落ち着けザキ。何があったんだ?」

近藤は山崎をなだめつつ、その場で事情を尋ねる。すると「聞いてくださいよ局長!」とまだ興奮の冷めやらぬ様子で、彼は顔をこちらに向けたまま、ちゃぶ台の方を指差した。

「俺が楽しみに買っておいたプリン、副長が食べちゃったんですよ!?」

――沈黙。そして、一斉に唖然となる隊士たち。
心底くだらなく、幼稚である。彼の沸点はそれほど低かったのかと、近藤でさえ目を点にしてしまうほどだ。

「そ、そんだけ? それくらいなら、また買えばいいんじゃないのか?」
「ほーらな、近藤さんもそういってらァ。プリンくらいで怒ってんじゃねェ」

大きな味方がついた途端、得意げに笑みを浮かべる土方。だがそれだけではないと、山崎は更に彼の犯した罪を暴露した。

「それだけじゃないんです、副長、プリンにまでマヨネーズをかけて……!」
「マヨネーズかけたくらいでなんだってンだァ?」

人の好みだけで簡単に意見が覆るわけがないと、土方はそろそろどう山崎をぶん殴るかを考え始める。だが、周りは彼が思った以上に馬鹿――幼稚、いや、“正常”であったのだ。

「プリンにマヨネーズ!? そりゃトシが悪いわ」
「は!?」

まだ火もつけていない煙草を口からぽろりと落とし、物凄い速さで近藤の方へ顔を向ける。続けざまに沖田まで「プリンにマヨはねーでしょう」と言うものだから、周りの隊士たちも強気になってその言葉に頷きだした。以前、土方の私的な都合から、身の回りの物すべてがマヨネーズにすり替えられたことがある。そのためほとんどの隊士はマヨネーズにトラウマを抱え、恨みを持っているとさえ言っても過言ではない。特にプリンなどという子供から大人まですべての人に愛される食べ物にまでそれをかけたということは、彼は世界中の人間を敵に回したと言えるだろう。……アバウトな例え話ではあるが。

「いやいやいや、何でマヨネーズだけで……」
「ほらほら! やっぱり悪いのは副長です! お詫びにプリン買ってきてください!」
「なッ……食われたくねーなら名前でも書いとけ! 放置しておいたテメーが悪いんだろ!」
「まあまあまあまあ! 二人とも落ち着けって!」

くだらないことではあるが、山崎の発言は土方の怒りを買うこととなった。普段パシリとしてこき使っている分、逆にそうされるのは気に食わない。いつしか話題は少しそれて、どちらが悪いかの言い争いへと発展していた。近藤が必死に仲裁し、実際に手が出ることは何とかなかったのだが。

「今回はトシが悪い、だがザキも使い走りにするってのは言いすぎだ。ほら、トシが謝ってこの件は終わりってことで……」
「やだね! こっちはマヨネーズを否定されるわパシリに命令されるわで腹が立ってんだ」
「な……こっちだってひねくれものの副長を許したくはありませんね!」

睨み合い、火花が散る。特にこの二人がぶつかり合うことはあまり想像していなかったから、一瞬解散しようとしていた隊士たちも生唾を飲んで見守っていた。どうしたものかと頭を抱える近藤。そんな彼の様子を見て、一人の男が声を上げる。

「じゃあ、こういうのはどうですかィ。勝負をして、負けた方は勝った方の言うことを素直にきく。こうすればスッキリするでしょう」

沖田だ。だが、彼はどうも“打開策”を考えてはいないようだ。誰がどう見ても、“どうしたら事が面白く進んでいくか”を編み出している。その証拠に口元には堪えきれない笑みがあって、その真意には近藤も薄々気づいてはいた。だが土方と山崎は上等だという構えだ。怒りのせいで、沖田の腹の内をうまく読めていないらしい。

「喧嘩なら上等だァ。顔ボッコボコに腫らして、お前のお望み通りの派手な男にしてやらァ」
「俺がミントンばっかやってるとお思いですか。悪いですが本職は監察密偵……油断と隙をつくのはお手の物ですよ?」

早くも勝負イコール喧嘩という思考に至っている二人だが、沖田はどうやらそんな真っ当な面白さなど求めてはいないらしい。なぜなら、本気で剣を交えたら土方の勝ちは目に見えているからだ。彼にとって最大の面白さ、それは土方が負けること。うまくことを運ぶために、彼はこんな提案をした。

「じゃあ決まりっつーことで。……だいいっかーい、チキチキどっちが悪いんでしょね? あっち向いてホイたいかーい」

隊士たちの歓声が沸き、思った以上の修羅場に静まり返っていた室内が一気に盛り上がる。喧嘩じゃないのかと少し残念がる二人だったが、それでも準備は万端といったところらしい。山崎はちゃぶ台をどかし、土方はゆらりと立ち上がる。

「ルールは至って簡単でさァ。あっち向いてホイで、三回先取したほうが勝ち。ザキが勝ったら土方さんは謝罪&パシリ。土方さんが勝ったら、ザキは諦めて自分で買う」
「オイ、それじゃあ山崎が軽すぎるんじゃねえか?」
「元々は満場一致だったのに、土方さんが駄々をこねるからでさァ。多少のことは我慢していただかねーと」

取ってつけたような言い訳でその場を取り繕うことも、今であるから可能だった。だんだんと沖田のペースにまんまと乗せられていく中、土方は拳をパキポキと鳴らし、山崎は肩の力を抜いて回したりと、気合も十分に入れる。近藤は唖然としながら、珍しくも様子を冷静に見つめていた。あっち向いてホイにそこまで力を入れる警察って――彼は一瞬、尊厳を見失いかける。

「それじゃあいっかいせーん! じゃーんけーん」

沖田の掛け声で、二人の拳が突き出された。右手はパー、左手はチョキ――勝ったと判断するや否や、山崎は豪快に人差し指を土方の眼前へ持っていく。

「あっちむいてホイッ!!」
「んがッ!」

顔を動かした瞬間に、この勝負を落としたことを悟る土方。下剋上を期待する隊士たちの歓声が聞こえ、山崎が心底嬉しそうにガッツポーズをする姿が視界の端にちらりと映った。初っ端から負けるという失態をおかした彼の機嫌は、秒刻みで悪くなっていく。こちらも嬉しそうな沖田の、二度目の掛け声がかかった。右をずっと向いたまま止めていた顔を戻し、再び、今度は握り拳を勢いよく突き出す。だが、またチャンスは向こうへ奪われてしまった。慌てて同じ方向を振り向いてしまったが、何とか回避できたようだ。思わず安堵の息が洩れる。

「じゃーんけーん、ポン」
「あっち向いてほーい! ああっ、くそっ」

――あれ。おかしいぞ。
土方は必死にかわしつつ、その違和感に気づく。――全然勝てねえ。ジャンケンに。

「あれあれ〜? 土方さん、どーしたんですかィ?」
「いける……これはいけるぞ!」

あまりにも負けっぱなしなので、見かねたのか沖田が一度声をかけるのをやめた。山崎が嬉しさのあまり興奮して、ぶつぶつとそう繰り返す光景が目に入る。周りの隊士たちからも、土方を甘く見るような発言がぽつぽつ飛び交い始めていた。

「うるせェ、俺はまだ本気じゃないだけで……」
「ジャンケンに本気もクソもありやせん。運がなかったってことで、諦めてくだせェ」

ぴくりと眉をひそめる。山崎の姿、沖田の言葉、隊士たちの態度――全てが彼を苛立たせる要素となっているようで、最初は乗り気であった彼も、だんだん洒落にならないほど寡言になっていった。明らかに彼を取り巻くオーラが違うことに気づいたのか、隊士たちはやがて口を噤み始める。

「ハイじゃあもっかい。じゃーんけーんポン」

その瞬間、土方の目がぎらりと光る。こちらはグー、あちらはチョキ。にやりと笑みを浮かべると、一旦下ろした右手を再び振り上げた。そして――。

「あっち向いて……ホイィィィィ!!!」
「ごふぁッ!!」

勢いのまま、左を向きかけていた山崎の顔に平手打ちをして、強制的に右を向かせる。何やら嫌な音が鳴り響いて、そのままそちらへと倒れ込んだ彼の体。残ったのは、真っ直ぐにそちらの方向へと伸びた土方の人差し指のみとなる。

「はーい俺の勝ちー」

そう言い放った彼だったが、一瞬の静寂のあと、彼に向かってブーイングの嵐が飛ぶ。慌てて近藤が山崎のもとに駆け寄って、何とか意識があることを確認した。支えられながら立ち上がった彼は、涙目になりながらも溢れ出る鼻血を拳で抑える。

「今のは駄目ですぜィ、土方さん。無効試合でさァ」
「チッ……」

心底悔しそうな舌打ちをしたが、今のは誰がどう見ても彼が悪い。無効試合にされただけでもラッキーと思えと、下っ端たちでさえ心の中で暴言を吐いてしまう。が、少し気の強い者は野次を飛ばした。「それでも副長かー!」と。つられて何人かが罵り始めるが、土方は再び始まろうとする勝負にだけ目を向けている。

「気を取り直してー、じゃーんけーん……」
「ポンんんんん!!」
「ひぎゃあああ!!!」

今度は山崎の悲痛な叫びが上がった。土方は威勢のいい声と共に、二本の指を目に向かって放ったのだ。寸でのところで目を瞑ったからよかったものの、下手すれば失明していただろう。だがそんなことなど気にせず、彼らしくない手段で勝利への道を開いている。今も、驚きのために開かれた山崎の手を“パー”とみなし、無理矢理勝負を続けようとしているところだ。

「あっち向いて……」
「ダメー。俺が言うのもなんですが、汚すぎですぜ、土方さん」
「なーんでだよー。別に殴っちゃいけねーとかルールねーじゃんかよー」

まるで子供のように駄々をこねる彼に、先程よりも激しい野次が飛ぶ。近藤もさすがに見かねて、「トシ、少しやりすぎだ」と眉間にしわを寄せた。

「えーっと、土方さんが卑怯なやり方を二回もしたのでー、土方さんの負けでーす。……それでいい人ー」

満場一致。いつしかの禁煙令の時より挙手は早く、その手の数ももちろん多かった。支持されないのは半ば分かっていたが、誰一人として手を下ろしていない現状を見ると、土方は苦虫を噛み潰したような顔をするばかりだった。

「ってことで。土方さん、アンタの負けでさァ。プリンと、それから俺の分のジャンプをよろしくお願いしやす」
「あァん!? ジャンプは局中法度違反だ、そもそもてめェの分なんぞ買って来るか!」
「まあまあ。少なくともプリンは素直に買って来るんだぞ」

沖田の要求は拒否したが、近藤の言葉もあり、土方は渋々と部屋を出ていく。襖がぴしゃりと閉められたその瞬間、山崎はもちろんのこと、隊士たちの歓声が沸きあがる。今まで相当パシられていたというか、恨みつらみを抱えていたのだろう。――それ以上に信頼がある、というのも事実ではあるが。


――その後土方は、同じような境遇の男と激しい争いをすることになるのだが、それはまた別の話である。

(Fin)


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