恋路を進め!A(完)


男――山崎退は悩んでいた。今は緊張よりも、はるかに憂鬱の方が大きい。騒がしくて熱のこもった教室で、彼は一人机に頬杖をついている。


昨日の、夕方のことだ。買い出しに行かされた彼は、野暮用があり一人で先に学校へ戻っていた。委員長の近藤たちが待機している多目的室に向かうが、扉の近くで何やら話し込んでいる声が聞こえてきたのだ。それも、よくよく聞き覚えのある凛とした声が。
彼は気づかれぬようそっと窓の下に身を隠し、少しだけ開いた窓の隙間から洩れるその話に聞き耳を立てた。――どうやら近藤たちは、自分の長所だか何だかについて話をしているようだ。途中からほとんどパシリの話しかされず、少々心が痛んだのは事実だ。

(でも、何で俺の話なんか……?)

薄々感づいてはきていたが、その確証は会話の内容から得られることはない。どうやら核心は彼が来る前に踏み込んでいたらしい。
色々予想を立てていた頃、椅子がつられる音がしたのに気がついた。機械的な彼女の声が礼を言っていたのも同時に耳に入り、このままでは見つかると思いそそくさと廊下の死角に隠れる。後方から彼女の澄んだ緑色の三つ編みが揺れる背中を見つめ、嫌な予感を覚えつつも、彼は多目的室へ再び足を運んだ。今度はしっかり入室しようと扉に手をかけたが、すり硝子の向こうからやけに大きく「とある単語」が聞こえてきたので、彼はその手をひっこめる。

(…………ヤバい)

近藤の高らかな笑い声。沖田の悪戯な会話。土方の呆れたような、恥ずかしがっているようなため息。

間違いない。

(バっ、バレてるゥゥゥゥゥ!!)


事態は彼が思っている以上にひどくなっていた。今朝、彼はちらほら人が集まり始めた頃に教室へ入った。それと同時に、普段はあまり言葉を交わさない妙に、笑顔で声をかけられたのだった。

「告白したんですってね。貴方もなかなかやるじゃない」
「……え」

あまりにも意外な展開に、彼は唖然とするしかない。風紀委員の仲間にイジられるのは多少覚悟はしていたが、まさか彼女にそんな率直に言われるとは考えてもいなかったのだ。生返事しか返すことができず、彼は逃げたい衝動に駆られて、鞄を机の上に投げるとすぐに教室を飛び出していった。
逃げ場所は男子トイレの個室。一度落ち着こうと、ふたのしまった便座の上に座って深呼吸をする。だが荒い息はおさまることはなく、むしろだんだんと酷さを増していっているような気すらした。

(ちょっ、ちょっと待って。なんでお妙さんが知ってるんだ? あれか、ガールズトークか!? 嫌、でも待て。委員長たちも知ってるってことは……これ……)

相当広まってる。


案の定とも言うべきか。彼が意を決して教室へ戻ると、その視線はほとんどが微笑みと同時に送られてきたのだった。先程までなかった近藤たちの姿もあり、特に沖田なんかは心から面白いものを見たような笑みを浮かべている。

「いッ、委員長、副委員長、沖田さん! おはようございます!」

彼らが件のことを知っている、ということを知らないふりをして、とりあえずは日課である挨拶を敬礼と共にする。が、動揺して声が明らかに震えて裏返っていた。

「おはようザキ。山崎退と書いて漢とよむザキおはよう」
「あの、え、すいません、何ですかそれ」
「おいおいそんなツッコミじゃあ弱々しいだろ! もっとビシッといかなきゃなぁ!」

早速の沖田の言葉に続けて、まるで父親のように豪快に笑い方を叩いてくる近藤。そして妙によそよそしく、しきりに咳払いをする土方。何より周りからの視線が、痛々しく彼の背中に突き刺さる。

――ヤベ、今日便所飯でもしようかな。俺ぼっちになろうかな。

現実逃避を考えつつある彼に、近藤が再び声をかける。

「そうそう、今日の放課後昇降口だってよ」
「え、あ、はいっ」

一瞬理解しえぬまま、とりあえず返答だけはしておく。だが少し落ち着いて考えてみれば、それが彼にとってどんなに大きいことかはっきりとした。

「まァ、何だ。……頑張れ」
「何を!?」

土方が必死に絞り出した言葉を叩き落とし、彼は教室のど真ん中で声を張り上げる。すると窓際で黄色い声を上げていた猿飛達女子生徒が、彼に向かって野次を飛ばしはじめた。

「ちょっとォー山崎君! そんなに照れることないじゃないのー!」
「そうアルよー! 堂々としろこの地味紳士!」
「地味紳士って何! それって褒められてるの!?」

あちこちからの言葉にてんてこまいの状態。そこで担任の銀八が登場でひとまず収束、かと思いきや、それは地味に終わりを見せていなかった。
一度教室内は落ち着き、朝のホームルームのための挨拶が行われる。早速出席が名前順に取られていくのだが、彼は機嫌がいいときはそこに小ネタを挟んでくる場合がある。今日もジャンプを机の上に広げ、なぜか先端から煙の出るキャンディーを口に咥えながら一人一人の名前を読み上げていく。

「あー次……漢(おとこ)山崎退!」
「は……え?」

つい先程も聞いたような言葉に、彼は気の抜けたような声を出す。いや、だからお前だよと指を差されても、その先頭についた一言が余計なため言葉が出ない。

「お前あれだろ、こくは……」
「わ――ッ!! それ以上はプライバシーにかかわるから!! やめてくんない!!」
「先生に向かってタメ口とはなんだコノヤロー。俺の心傷つけた分内申落とすぞ」
「すいませんでしたァだからもうやめてくださいィ!」

本人もいるのにと、彼はちらりと斜め後ろの方へ目を向ける。そこにはいつもと変わらず、美しき無表情の彼女の姿があった。
――そうだ、彼女は機械だから、恥ずかしいという概念がないのか。あれ、待てよ。感情があるって言ってなかったか?
妙なところで機械らしさを見せる彼女の心の強さに、彼はまた少々の感動を覚える。


と、言った具合だ。現在は二時間目が終わり、長めの放課に入っている。それまでも様々な人に声をかけられ、恐らく今日ほど彼が目立った日はないことだろう。もちろん彼にとっては全然嬉しくない。むしろ、地味のままでよかったとさえ思ってしまう。

(どうしよう……どうすりゃいいんだよ……俺なんか悪いことしたかなぁ)

朝から冷や汗が止まらない。
聞くところによると、どうやら昨日のうちに、彼女があちこちの人やグループを訪ねて相談をしていたらしい。本当に変なところで従順で、彼が口止めをしていなかったのが原因のようだ。もちろんそれは瞬く間に広がり、彼が望まずとも3Zの連中は全員がそれを知るところとなる。

(っていうか……相談されるって、俺嫌われてんじゃねえの!? ほらアレだよ、クラスでハブられてる冴えない男が意を決して告白したら、次の日女子全員が敵にまわってるあのパターンだよ!! 下手すりゃ泣かれるよ! そんで結局ぼっちだよ!!)

今後について彼は真剣に悩みつつ、胃がキリキリと痛むのを感じた。

「おい山崎。明日の全校一斉服装チェックのプリント、作ったか?」
「え? ああ……ここにデータ入ってますんで、印刷してください」

後ろから声をかけてきた土方に、彼はペンケースから取り出したメモリースティックを手渡した。彼は軽く礼を言うと、印刷を頼むため職員室へ向かう。
彼女の名前が出ない会話は、今日に入って初めてじゃないかとふと思った。そうだ、そんなに気に病むことはない。ただいつも通り振る舞うだけで――。

「ザキ、どうした。元気ねェじゃねえか」

心の折れる音が彼の頭の中に響き渡る。振り返ればにんまりと憎たらしい笑みを浮かべる沖田が、真っ赤な携帯電話を片手で弄びながら立っていた。彼はその手に持っていたそれを親指で弾くように開くと、少しいじくってから彼に向かって差し出した。

「おら、どうだ。いいアングルだろィ? 買うなら二百円だぜィ」

そこに映っていたのは、窓の外を頬杖をつきながらぼうっと見つめている彼女の姿だった。彼女には黄昏時が似合うと思っていたが、存外その悩んでいるような寂しがっているような表情も悪くはない。むしろ、美しいと素直に思ってしまう。彼はその写真をじっと見たあと、恥ずかしそうに顔を赤らめて視線を逸らした。

「てめェもなかなか美人に手ェ出しやがって。ま、俺はもっとエロい体つきしたドMの女が好みなんだけどよォ」

返事のない彼に対し、沖田は一度ぱたりと携帯を閉じる。買うかはよく考えとけよと捨て台詞を残し、彼もまた残り少ない放課の満喫のために教室を去っていった。

(やべ……帰りてェ)

ガンと額を机に落とし、彼はがっくりと肩を落とした。


時が一分一秒を刻むたびに、心臓の鼓動は速さを増していく。日が傾くにつれ、顔の紅潮もそろそろ隠しきることができなくなっていた。夕日がその顔に化粧を施してくるのを願い、切実な目で窓の外を見つめる。もちろん授業など頭には入ってくることはない。そもそも地味な彼が授業中に指名されることもなく、教師たちの声をBGMに時間が過ぎるのをただじっと感じていた。
はっとした時には、もう教室は疎らになっていた。課題を終わらせるべく必死にペンを動かす同級生をしり目に、彼は机の横にかけてあった鞄の中に乱暴に用具を詰め込んだ。時計を見れば、放課後と呼ぶには十分すぎる時間になっている。彼は教室に彼女の姿が見えないのを確認すると、急いで教室を飛び出した。

が、その歩はだんだんと遅くなり、階段の前でぴたりと止まる。ここから降りていけば、彼女の待つ昇降口に出る。覚悟を決めろと何度も言い聞かせるが、足は床に接着剤でつけられたようにぴったりとくっついていて、動くことはない。

(……怖い)

怖かった。フラれるとか、嫌われるとか、そういったことじゃない。そういったことじゃないのは分かっているのに、その理由は漠然としていて分からなかった。

(でも、このまま待たせるのは失礼だ。……行こう)

胸に拳をあて、深呼吸をして頷く。階段を一歩一歩降りていくたびに、そのぎこちなさは増していった。


「……た、たまさん」

人気のない昇降口に、外を見ながら立っている一人の少女がいた。彼女にそう声をかけると、彼女は「お待ちしていました」と言って微笑む。それだけで彼の頭は真っ白になって、もはや何をしゃべっているか自分でも理解ができなかった。ただ、今日は暑かったねとか、そういった他愛のない話しかしていないはずだ。そうであってくれと、自分自身に頼み込む。

「すいません……待ちましたか?」
「いいえ、大丈夫です。ご心配してくださりありがとうございます」
「い、いや、あの、そんなに固くならなくても……! ほら、クラスメートですし……」

そこまで言って、彼は言葉を失った。今からの彼女の言葉で、彼女が“恋人”になるのか、それとも“ただのクラスメート”になるのかが決まると思うと、それ以上何も言えなくなってしまう。そんな彼の心情を察したのか、彼女は少し間を置くと、

「……山崎様」

そう、彼の名を呼んだ。それに対しての彼の答えはない。

「……私は、お分かりの通り機械です。×××する穴は存在しますが、痛みを伴う危険性があります。また、うまくいくかも分かりません」
「え?」

突然斜め四十五度にぶっ飛んだ会話に、彼はきょとんと目を点にする。別にそんな目で見ていたわけではないのにという思いがぐるぐると廻ったが、彼女が言葉を続けるべく再び口を開いたから、その考えは一度ばっさりと捨てた。こんな緊張状態で、よくもまああれだけの言葉が羅列したものだと、彼はどうでもいいことで感心する。

「更に、私の周りにはまともな恋愛というものがございません。ですから、何をすればよいか私の中のプログラムには不十分な点が多すぎます」

はっきりとしないその曖昧な語りに、彼は視線を泳がせながら固まるばかりだ。

「それから、私にとっての山崎様は“地味、ミントン、カバディ、あんぱん、パシリ”というデータしかありません」

衝撃音が彼の頭を強く打つ。そんなに簡単な単語で推し量れるほど、自分はちっぽけな存在だったのかと涙が出そうになる。彼は駄目だと項垂れ、その目から一筋のしずくが落ちようとしていた。

「……ですが」

彼女の言葉に続きがあるらしい。グラウンドを走り回る喧騒が、その瞬間だけぱっとかき消された。彼は思わず勢いよく頭を上げて、潤んだ瞳で彼女を見つめる。
彼女はもったいぶるようにまた少し間を置くと、固く変わり映えのなかったその表情を確かに緩ませ微笑んだ。それはまさに、機械とは到底思えない最高の代物。その彼女の世界中の誰より人間らしい笑顔に、彼の心臓ははちきれそうだった。

「……ですが、こんな私でよろしければ」
「……えっ! そっ、それってつまり……!」
「付き合って××して××してもよいということです」
「いや、そんな下心なんてないんだけど!? っていうか、ほ、本当ですか、たまさん!」

あまりにも衝撃的すぎるその結末を、彼はいまだに信じられないという様子でいた。夕暮れ時の校舎には、世界中に響き渡らんばかりの勢いで、彼の喜びの雄叫びが響き渡る。

と、悦に浸る彼の鞄から、バイブレーションの音が鳴る。一言断ってそれを開いてみれば、件名“沖田総悟”からのメール。

『おめでとうザキ。思う存分××しろよ』

彼らのツーショットの写メつきの、あっさりとした文章が目に留まる。立て続けに近藤、土方と、祝福の声が届けられた。そこではっとなって顔を上げ、辺りをきょろきょろと見回す。すると廊下の死角から、三つの顔が団子のように並んでいるのが見えた。

“串刺して砂糖醤油餡ぶっかけましょうか”

三人に一斉送信をし、携帯を閉じる。

「……帰りましょう。ストーカーが三人もいます」
「いいえ、少なくともあと五つの生体反応があります」
「嘘!? やべ、絡まれる前に!」

彼はためらいなく彼女の手を取り、逃げるようにグラウンドの隅を走る。校門を出たところで一度振り返ってみたが、確かに八つの影が長く長く伸びていた。

「ところで山崎様、恋人とは何をすればよいのでしょうか?」
「……んー、そうだな……あっ、そうだ」

走りながら振り返り、彼は嬉しそうに歯を見せて笑う。

「じゃあ、退って呼んでよ」
「了解しました、退様」

まだまだぎこちない雰囲気の二人だが、その顔は誰よりも一番幸せそうだった。


(Fin)


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