第参訓 病院内ではお静かにA


それから翌日、翌々日と、神田と山崎は交代しながら町をぶらついてみたが、特に犯人らしき人物と接触したという報告はなかった。今日は吉村に任せているが、何事もなく終わってしまうんだろう。ため息の混じりの山崎の直感がそう言っている気がした。

「新八さんの様子はどうですか?」
「回復は順調らしいから、もうすぐ目を覚ますんじゃないかな?」

一度だけ二人は顔を合わせて、そんな短い会話を交わした。だが彼はあの一件以来、病室に顔を出していない。それどころか、銀時たちとの接触も極力避けている。怒りがおさまるのを待っているのだが、依然病室の雰囲気は重いままらしい。時折様子を見に行く原田から、そんな情報を手に入れた。
木刀をもらった銀時だが、今日まではまだ病室にこもったままで大人しいらしい。すぐにでも窓ガラスをぶち破って、高さなど関係なしに犯人探しへ向かうと思ったのにと、土方たちはなんだか拍子抜けしている。だが、油断はならない。その怒りを溜めに溜めて、それを最大限に使うためかもしれない。真選組の隊員たちは新八だけでなく、彼の動向も密かに探っていた。いつか、とんでもない行動をしたとき、迅速な対応ができるように。

そんな念入りな見張りは、果たして吉と出たのか、凶と出たのだろうか。


事件から一週間が経過した。いつもよりぐんと人の少ない屯所で軽く食事を済ませたあと、彼は隊服ではなく、くすんだ青色の着物に袖を通す。今日は彼が囮になる日だ。あまり期待はしていないが、万が一のために短刀を懐に忍ばせて、クナイも何本か用意しておく。決して使い慣れているというわけではないが、相手がすばしっこいというのならこれも必要だろう。

(逆に目立つのかな……)

今は強面の男たちでさえ、夜のかぶき町を出歩くことはない。そんな中で特に会社帰りというわけでもない普通の男がふらふらと歩いているのは、逆に目立つ行為なのだろう。犯人もそれを察しているのかもしれない。そう思って、彼は今日、思い切って昼頃から夜までの少し早い時間帯に動いてみることにした。これはまだ、誰にも伝えていない。彼は一人で、博打をするつもりだ。傾向からして、そろそろ次に現れてもいい頃だろう。これで狙った時間外に出没しようものなら、この作戦は失敗に終わったと言っても過言ではない。

「よしっ」

一人で気合を入れて、彼は屯所の門をくぐる。昼間に歩いてみると、すっかり江戸も変わってしまったものだと改めて思わされる。無差別殺人事件以降、子供たちのはしゃぐ声も、主婦たちの井戸端会議も、老舗から響く初老の男性の威勢のいい声すら聞こえてこなくなった。
ふと、そこで気づく。元に戻すには、自分たちが何とかしなければならないんだと。彼が思うより自分は、その重要な役割を担っているんだと。

(まあ……それが俺の役割だしね)

途中のコンビニであんパンを一つだけ購入し、それを食べながら町を歩く。時間というのはあっという間に過ぎていくもので、車だけはよく行き交う道路のわきを歩いていたら、いつの間にか日はすっかり西へ傾いていた。人気のある道、人気のない道――まるで冒険するように行き当たりばったりで動いていたが、何も面白いことなんかない。なぜなら空気を読んで犯人が目の前に現れてくれるわけでもなく、ただ野良猫が横切っていくだけだからである。


――その頃、病院では、真選組の隊士たちが慌てふためいていた。隊士の一人が、病院で寝泊まりしていた妙から言われたのだ。“銀時がいなくなった”と。隊士が見張りを交代するために病室を離れた、妙が厠へと向かった、そのわずかな時間に。
様子を見に行くと、確かに銀時の姿が忽然と消えていた。椅子にはもうずっと座りっぱなしの跡があって、開かれた窓から冷たい風が吹き抜ける。本当にやりやがったと、隊士たちは絶句した。恐らく木刀を持って正面玄関から出ていくと、真選組に止められると思ったのだろう。だから彼は、“真選組の予想通り”窓から飛び出していった。その部屋は好条件だった。少し勇気を出せば乗ることができそうな大木が、窓の傍にあったのだ。もちろん足を踏み外せば間違いなく死ぬ。だが銀時は、そんな心配など微塵もしていないんだろう。それよりも遥かに、怒りの方が大きいのだから。

「捜せ! 暴走する前に食い止めるんだ!」
「誰か副長たちに連絡を!」

男たちが声を張り上げる横で、困惑した表情を浮かべながら左見右見する妙。だが彼女は視界の端に、ごそりと動くものを確かにとらえた。一瞬自分の目を疑って、強く冷たい風がその顔にぶつかるのも気に留めることなく、彼女はその方向を凝視する。すると今度は、隊士たちの声に紛れ、かすれて弱々しいながらもはっきりとしたその声を耳にした。

「あね……うえ?」


もうこんな時間か――公園にある時計台の短針が伍を示すのを見て、山崎はふとそう考えた。いつもなら小さな子供たちが遊び疲れて解散し始める頃だが、あいにくそんな風景は見られない。だからだろうか、時間の流れがなんとなく掴むことができなかったのは。
冷たい風が時折強く吹き荒れて、世間はすっかり冬支度を始めている。ここまで寒くなるのを考えていなかった彼は、もちろんカイロなどを忍ばせているはずもない。なけなしの金で自販機から購入した温かい缶コーヒーだけが、彼の手の感覚を取り戻してくれた。彼は公園のベンチに座って、それを惜しむようにして少しずつ口に含んでいく。乾燥していたからか、気づかぬうちに喉が渇きを覚えていたようだ。体の芯まで温かくなるのを感じながら、彼は心を落ち着かせるようにしてため息をついた。
烏の鳴き声が響き渡る。電柱の上にとまるそれが、真っ赤な空にぽっかりと穴をあけているようだ。らしくない風流なことを考えながら、彼は残りわずかのコーヒーを飲み干した。立ち上がり、去り際に近くにあったゴミ箱へそれを投げ入れる。綺麗な放射線を描きながらそれが真っ直ぐに吸い込まれていく様を、彼は最後まで見なかった。少し、かっこつけてみたかったからだ。彼はゴミ箱に缶が当たるカランという音を頭の中に浮かべながら、一歩を踏み出した。

――が、聞こえてきたのはそんな軽い音ではなかった。

「!?」

異変にすぐさま気づいた彼が後ろを振り返ると、そこにはゴミ箱から遠く離れた地面に転がる缶と、それを綺麗に貫いたクナイがあった。その様子を捉えると同時に、背筋にぞくりと寒気が走る。もはや勘のみを頼りに、彼は地面を転がった。その瞬間、今まで立っていた場所に三本ものクナイが現れた。一瞬でも遅れていたら、ただではすまなかっただろう。

(出た――殺人鬼!)

彼は懐に忍ばせておいた短刀を抜き、姿の見えない相手へ立ち向かおうとする。
恐怖はもちろんあった。だが、やっと現れたという安堵感と、嬉しさ、そして興奮が入り混じって、訳の分からない高揚状態に陥った。彼はかすかに震える手とは裏腹に、歯を見せてにんまり笑っていた。
どこからともなくクナイが飛んでくる。長年の経験で培った己の勘と、本当にわずかに感じる気配を頼りに短刀を振り回す。気づけば足元には何本ものクナイが散らばっていて、短時間で相当数が浴びせられたのだと分かった。

「――っ!」

だが、防ぎきれない攻撃が彼を襲って、手に持っていた短刀が弾かれた。急いで少しのクナイへと手を伸ばすが、その前に右足の太ももにクナイが突き刺さって、彼の動きは一瞬止まる。
その隙を狙ってか、突然目の前に犯人と思しき黒ずくめの姿が現れた。それに驚き目を見開く彼。更に動きは遅くなり、目の前を真一文字にかすめる刃を避けるのが精一杯だった。連続してそれが迫ってくる中で、彼は後ろへ何度も飛び退く。知らぬうちに背中に何かぶつかって、はっとなってしゃがみこんだ。長い影が伸びているから、公園の木か何かだろう。そんなことを考える余裕もなく、刃は彼の顔があったあたりを真っ直ぐ刺し貫いた。一瞬の静寂のあと、幹に深々と刺さったそれを見上げ、続けざまに彼が足を思い切り振り上げた。残念ながら直前で短刀から黒ずくめの手が離れてしまったから、それは空しく空を切る。
飛び退くなり再び姿を消した黒ずくめ。宙へ飛んだのだと分かり、再び飛んでくるクナイの雨を彼は避けた。そのうちの一本を拾い上げ、勢いのままに投げつける。だがそれもまた失敗に終わった。悔しさにわずかに顔を歪ませて、彼はまた立ち上がって、近くに落ちている短刀を拾うため、様子をうかがいながら走り出した。
だが、途中で足は止まった。体が動かなくなっていることに気づいたのは、それからすぐのことだ。

(これは……忍糸!? まずい、これじゃあ……!)

いつの間にか彼の体に絡みついていた細い糸。その割に強度は高く、力ずくでも一瞬で千切ることはできない。絶望した瞬間、背後に突き刺さる冷たい気配を確かに感じた。
刹那、背中に焼けるような熱さを覚える。激しく何かが吹き出す音が響くと同時に、それは全身を襲う痛みへと変わった。斬られたと分かった時には、その衝撃で糸が千切れ、そのままがくりと片膝をついていた。くっ、と歯の隙間から短い息が洩れる。
この体勢でいるのが精一杯だ。何とか立ち上がらなければならないと左膝に置いた手に力を込めるのだが、右足にも傷のせいかうまく力が入らない。

終わった――諦めかけたその瞬間に、彼に一筋の光がさす。

「見ぃ〜つけたァ〜!」

聞いたことのある気怠い声。それも、幾らか慣れ親しみ、誰だかすぐに分かる声だ。

「だ……旦那……?」

気づけば乱れていた呼吸のまま、今にも死んでしまいそうな声でその名を呼ぶ。だが唐突に現れたその主、銀時は、目の前にいる彼になど目もくれず、その後ろに立っているであろう黒ずくめの男へ真っ直ぐ駆けて行った。手に持った木刀を思い切り振り上げて、怒りのままにそれを振るう。流石に少し驚いたのか、黒ずくめは最初の数回を避けるにとどまった。だが再び懐に手を伸ばして、彼にもまた攻撃を加えようとする。そんなことなどお構いなしに、彼は怒号をあげながら、一心不乱に黒ずくめを追いかけた。そんな戦いの様子を、山崎は何とか首を動かして見つめる。一体どうなってしまうのかと、内心ハラハラしていた。銀時が勝つか、黒ずくめが勝つか逃げるか。だが事態は、予想外の展開で収束を迎えることとなる。

『あー、あー。万事屋、万事屋。聞こえるか』
「あァん!?」

突然どこかから、機械を通した土方の声が聞こえてきた。それには誰もが動きを止めて、銀時はその発生源を探す。

『悪いが、テメーの木刀に特殊なスピーカーをつけさせてもらった。何をしてんのか知らねーが、志村新八が目を覚ました。とっとと病院へ戻ってこい』

どうやらマイクはないらしく、一方的にメッセージを告げるだけでそれは切断された。銀時は顔色を変えて、何も言わずに公園を飛び出していく。

「あ!」

メッセージに気を取られていた隙に、黒ずくめの男の姿はなくなっていた。安心よりは、失敗してしまったという思いの方が強く募る。
自分も早く病院へ向かわなければ。そう思って立ち上がろうとするが、やはり力が入らない。震える手で携帯を取り出し、一番新しい着信履歴をプッシュする。数回のコール音のあと、電話に出たのは彼の友人である一人の隊士だった。

「ああ……俺だけど。ごめん……斬られて動けないんだ。誰かこっちによこしてくれないかな?」

その会話のあと、付近をパトロールしていたパトカーにその旨の連絡が入る。すぐさま駆けつけた二名の隊士は、公園の真ん中で散らばったクナイに囲まれながらうずくまる彼の姿を発見した。


無我夢中で走り続けて、気づけば見慣れた病院のドアを押し開けていた。病院内で走るなという看護師の注意も耳に入れることなく、彼は真っ直ぐ目的の病室へと向かう。近づくにつれて、黒服の連中がちらほら増えていくのがたまに目に入った。

「新八っ!!」

群がる隊士たちを押しのけ、銀時は声を張り上げる。しっかりと開かれ束ねられたカーテンのおかげで、その顔はすぐに確認できた。

「ぎ、銀さん……」
「新八! 大丈夫か!?」

まだ掠れた声の新八のもとへ駆け寄り、彼は何度も声をかける。だが新八は怪我の割には元気そうで、その呼びかけには笑顔を作ることで答えた。それを見た瞬間、銀時は糸が切れたようにゆっくりと座り込む。新八が生きているという安心と、ため込んでいた怒りが一気に抜けていくのを感じながら。

「よかった……ほんとに……!」
「そっ、そんなに心配してくれてたんですか……? 何かすみません……」
「あら、謝ることないって言ったじゃない」

ベッドの傍でずっと座っていた妙が、久しぶりに笑顔を見せた。どうやら彼は、彼女にも同じような台詞を吐いたらしい。

「ですが姉上……僕は」
「いいの。新ちゃんが生きてた。それだけで、みんな十分なの」

彼女は分かっていた。彼がなぜ苦々しい顔をしているのか。彼は殺人鬼に襲われ、全く抵抗することができなかったのだ。強さを追い求める彼にとって、それはどんなに悔しかったことだろうか。「そうですね」と納得する彼の表情にも、まだ曇りは見えていた。

「犯人は……捕まったんですか?」

その問いかけに、妙は目を伏せて小さく首を横に振る。それを受けて新八は、少し考えるように黙ったあと、ぽつぽつと興味深い話をし始めた。

「そういえば……見たんです、僕。犯人のこと……」
「その話、詳しく聞かせてくれるか」
「土方さん」

妙の声で、銀時も振り返りその姿を確かめた。相変わらず開きっぱなしの瞳孔が、睨むようにこちらを見つめている。と言っても目つきは元からなので、本人はその無愛想な雰囲気には気づいていないようだが。
土方、そしてその後ろには沖田と近藤の二人がいた。よく見る三人組の光景だ。

「待ってください、新ちゃんは今起きたばっかりで……」
「いえ、大丈夫です姉上。一刻も早い解決が必要でしょう?」

新八はそう言って、メモを取り出す土方の姿をちらりと見てから再び口を開く。

「一瞬なので、詳しくはありませんが……真っ黒なローブか何かを羽織って、仮面をかぶっていて……。あと……左で刀を持っていました」

一見すれば手がかりになりそうにない証言だったが、今まで姿すら分からなかった真選組にとっては大きく事態が動いたと言ってもよいものだった。何より、左で刀を持っていた――つまり左利きという範囲の狭まる情報を得られた。もちろん決して少なくはないから、今までの情報を頼りに絞っていくしかない。

「僕が知りうるのは、これくらいです」
「構わねえ。これで捜査が幾らか進みそうだ」

メモを懐に仕舞い込み、彼はそう礼を言う。早速次の段階に向けて指示を出そうとしたその時、一人の隊士が「副長!」と短く声を上げながら病室に飛び込んできた。

「神田。どうした?」
「山崎さんが殺人鬼に襲われました! 現在巡回中のパトカーによって発見され、病院へ向かっているとのことです!」
「ザ、ザキが!?」

落ち着きを取り戻したのも束の間、また病院内では隊士たちが慌ただしく動くこととなった。


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