第伍訓 平穏無事


淀んだ意識がだんだんとはっきりしていくにつれ、ちくりとした痛みが全身を襲った。はっと目を覚ました時、そこには見慣れた檜皮(ひわだ)色の板壁があり、視界の端の方には黒いくすみのある青空が広がっていた。

(俺……どうなって……確か、変なふわふわ頭の奴と戦って……)

全てを思い出した瞬間、彼は布団をはねのけながら勢いよく体を起こした。だが胸から腹辺りにかけて激しい痛みが襲い、彼は濁りのある悲鳴を上げながら再び後ろに倒れ込む。そうだ、肝心なことを忘れていた。あの戦いであばら骨がたてた変な音は、彼にとって忘れたくても忘れられない嫌な思い出となり残っている。

「動かねー方がいいぜ、ザキ」
「お、沖田さん?」

同室に沖田がいたことに、そこで彼は初めて気づく。それにしても声をかけるのが遅すぎやしないかとふと思ったが、起き上がったのが目を覚ましてすぐだということに気づき、その考えを消す。幾ら彼がドSだからと言って、今のは完全に山崎に非があった。

「局長は……真選組はどうなったんです! あいててッ」
「喋んのも程々にな」

そう忠告すると、彼は布団の横に正座して改まる。少しの間痛みに目をつむっていた山崎が薄目を開くと、そこにはいつもとは違う神妙な面持ちの沖田の顔が見えた。そのもの悲しそうな瞳から、なんとなく察してしまったようで怖くなった。

「……ザキ。心して聞いてくれィ。実は俺達……負け……」
「っ……!」
「て、ねェんでィ」

一瞬重くなった空気は、彼の爽やかな笑顔によって吹き飛ばされた。山崎は目を点にしたあと、傷のことなどすっかり忘れて思い切りシャウトする。

「え゛え゛え゛え゛!? いだだだだッッ! あぁぁ痛ッ!!」

苦悶の表情を浮かべてのた打ち回る彼の姿を、沖田は面白そうに見つめている。最初に注意しておきながらこの仕打ち、あまりにも矛盾していないか。山崎は恨むような目で彼をじっと睨――めない。痛みがひどすぎて、ちらちらとしか見ることができなかった。

「オイオイ、あんまり喋っちゃダメだっていったろィ?」
「何してんだ馬鹿」

突如彼の頭に拳骨が落とされ、彼のお楽しみ時間はそこで終わりを告げる。いつの間にか背後に憎き土方の姿があり、沖田は唇を尖らせて不満をあらわにした。

「副長……本当に、勝ったんですか?」
「ああ。四日前にな」
「よ、四日!? 俺、一週間くらい寝て……いつつ」

再び起き上がろうと試みたが、ゆっくりでも痛みでうまく起き上がれないことを知る。じっとしていろと土方に制され、彼は大人しくまた天井を見た。
視線だけを動かすと、部屋の中がだいぶ荒れていることに気がついた。襖は張り替えられているのか妙に小奇麗だが、部屋の隅には片付けられていない残骸やらがまとめて置いてある。沖田たちの下の畳には焦げたような黒い跡が残されていて、あちこちがささくれのようになっていた。

「……ここで、何かあったんですか?」
「ああ、甘党女が俺をぶん投げやがった」

土方は事のいきさつを、不満そうに煙草をふかしながら簡単に説明した。そこで自分が殺されかけたことを知り、山崎はまた大袈裟に驚こうとして、抑えた。驚くことが多すぎて、このままいくと体がもたないことを悟ってのことだ。とりあえず冷静になれと、一度深呼吸をする。そしてまた肋骨の痛みに悶えた。

「副長、それじゃあその痣……」
「まだ残ってんのか。まああんときゃ死にかけたからな」
「いや、笑い事じゃありませんよ。沖田さんは、どうだったんですか?」

話を振られた沖田は、渋々といった風に戦いの様を語る。とは言っても、彼がいかにドSだったかを知るだけに終わったが。

「そうですか……色々すいません」
「謝るこたねェ。結果オーライならそれでいいだろ。てめェもよく頑張ったんだからよ」
「そうだぜザキ。俺の治療費と面倒見てやった分の代金プラス利子くらいで許してやらァ」
「重すぎるわ」

早速メモ帳に幾つもゼロを書きはじめる彼の頭をはたき、ついでにその紙を破り捨てる。冗談だとは知りつつも、山崎も戸惑いを隠せない様子だった。
そんな茶番を繰り広げていると、後ろから近藤の陽気な声がかかる。土方のことを呼ぼうといていたようだが、目を覚ました山崎の姿を見るなり、彼は床を踏み鳴らしながら駆け寄ってきた。そして心の底からの安堵の息を漏らすと、まるで家出した子供が帰ってきたような――いや、それ以上の気持ちのこもった言葉をかける。

「ザキィ〜、心配したんだぞ、俺もう目を覚まさないんじゃないかと思って……」
「き、局長……」

まさかここまで心配してくれているとは思いもよらず、山崎は思わず感涙しそうになった。

「しかし、何はともあれ一件落着ですかねィ」

後ろから見ていた沖田が、平和を思わせるそんな発言をする。本当にそうだと土方が答えようとしたところで、その空気はがらりと変わった。「……本当にそうか?」先程まで泣き声をあげていた近藤が、急に声色を変えてきたからだった。

「……どういうことだよ、近藤さん」

短くなった煙草を部屋に置かれた灰皿に押し付け、まだ微かに白みを帯びた息を吐き出しながら土方は尋ねる。

「いや、本当に奴らは“幕府の命令で”、“真選組を変えようとしていた”のか……分からなくてな。“俺たち四人を排除する”っていう見方もあるんじゃないかと思ったんだが」
「……杞憂でさァ。仮にそうだとして、何か起こったらそんときゃそんときでィ」
「そうですよ局長。いてて。何があっても何とかなるでしょう」

何か心に引っ掛かるものがあったのか、三人もまたぴくりと体を反応させた。だが表情を失くした近藤とはまた違い、やけに明るく振る舞っている。それはきっと、今まで培ってきた自分たちの力を信じているからだろう。積み重ねてきた自分たちの結束力、剣の腕、体力、気力。その全ては、あのような新参者には決して劣らないし、断ち切られることもない。

「……それもそうか。じゃあちょっと、記念にお妙さんのところへ行ってくるわ!」
「近藤さん、それは何ともならないからやめてくれねェか」

土方の忠告も無視し、近藤は嬉しそうに縁側を踊るように歩き出す。もちろん数時間後、傷だらけの彼が泣きながら屯所に戻ってくるのはおなじみのことだ。

「それはそうと山崎、てめェ一週間も飲まず食わずで腹減ってねえのか?」
「……あー、少し。流動食か何かありますか?」
「あんパンすりつぶしてやろうか?」
「いえあの、ゼリーとか……いやあんパンゼリーじゃないです沖田さん。しかも何でもう用意してあるんですか。え、うわ、ちょ、嫌ですそんな見るからに不味そうなの――」

ただ一人、拷問と称していいほどの看病を受ける彼を除いて、真選組はまた、不穏に揺らめく影も知りつつその平穏を取り戻した。近いうちにそれを脅かされることもまた分かっているが、彼らはそれを心配してなどいない。
幾ら脅かされようと、それを崩れさせることなどさせないのだと、誰もが誓いを胸に抱いているからだ。



Fin.


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