第肆訓 味覚馬鹿って意外といる@


俺は長生きなどできないだろうと思っている。
それは真選組に属しているから――と、思った奴も少なくないだろう。違うな。
俺は煙草とマヨネーズの過剰摂取で、そのうち死ぬ。殉職? そんなの御免だ。俺は華やかに散るつもりなんかねェ。好きなものを我慢して死ぬより、好きなものをとことんとって死んだほうが幸せだろ?

あの鬼の副長が、なんて、世間から馬鹿にされるのも悪くねェ。
だから、死なねェ。

俺は剣を握ったまま死ぬつもりなんかサラサラねェ。

(土方十四郎)


気分転換は必要だと、翌朝土方は縁側に腰掛けて朝食を摂ることにした。もちろんほとんどの隊士が食堂にいるから、屯所内はしんと静まり返っている。その静けさが逆に彼の心を落ち着かせた。

――負けられない。負けてはいけない。
総悟が自分自身の楽しみのためとはいえ、ギリギリまで粘る戦いを見せた。向こうにも相当プレッシャーはかかっているはずだ。加えて相手は女、少し気は引けるが本気でかからねばならないだろう。
瀕死の重傷を負いながらも執着した山崎も、相変わらずのドSっぷりとその強さで敵を圧倒させた総悟も、そしてこの二日間、一番辛いはずなのに笑い続けた近藤さんも、俺が必ず守る。真選組はあいつらなんかの手におえる代物じゃない。今まで保っていたバランスが崩れたとき、それは江戸の終わりさえ意味するだろう。

土方は横に置いてあったどんぶり一杯のご飯を手に取り、右手には箸ではなくマヨネーズを持つ。決戦前はやはり、マヨネーズ丼に限る。そう心の中で呟いて、一気にそれを絞り出した。ソフトクリームのように綺麗に盛られていくそれだが、油のせいで妙な光沢を放っていてあまりおいしそうには見えない。
だが彼はそれをためらいもなくかっこんだ。毎朝……いや毎食これを頬張っているが、やはり心の持ちようで味もなんとなく違う。と、通ぶったことを思ってみたりもする。
まあもちろん世界でもこれほどまでにマヨネーズをこよなく愛する男などいないだろうから、通と呼んでも誰もが納得するだろうが。

「あら、土方さん?」

ねっとりとした女の声に顔を上げれば、そこには杉原が不敵な笑みを浮かべて立っていた。まだ九時には程遠いが、一体何の用だというのだろう。

「まさかご飯にマヨネーズなんてかけていらっしゃるの?」

ああ、そういうことか。決戦前にモチベーションを下げておこうと、そういう作戦か。だがあいにくマヨネーズを馬鹿にされることは慣れているから、土方は返事もせずに飯を食らう。だが目の前で聞こえたその音にもう一度目を開くと、その衝撃の光景に箸は止まった。

「古いですこと。私はメイプルシロップ派ですわ」

ご飯にのせられていく、透明の液体。愕然とした。宇治銀時丼なるものを食べる馬鹿は見たことがあるが、まさかそれを越える人間が存在したなんて。これはさすがの犬の餌派の土方でさえドン引きしてしまう。

「これからの真選組は甘党の時代にするの。女性の支持も得られて一気に人気者よ?」
「俺の周りの甘党はろくな奴がいねェ。お前はあの銀髪馬鹿のところにでも行ってろ」

メイプルシロップ丼を見て、目を輝かせる銀髪馬鹿の顔が浮かぶ。同時に吐き気もしたので、すぐにマヨネーズ丼で口直しにした。相手方が上品そうにご飯を食べる音だけで気分が悪くなる。そうか、これが普段自分の周りにいる奴らの気持ちか。なんて土方は思いつくはずもない。彼は全ての人がマヨネーズを愛していると思っているからだ。

心を落ち着かせるはずがとんでもないことになった朝食を終えて、徐々に人が集まりだしてきた。こちらは三人、向こうも三人。野獣みたいな奴――鬼束は案の定来ていない。杉原が勝手に喋ってくれたが、どうやらまだ気絶したままらしい。ちなみに本戦前に小さな味覚音痴対決があったことは、誰も知らなかった。

「それでは最終対決と行きましょう。土方さんが勝てば私たちは手を引きますが、局が勝てば、今日中にでもここを去っていただきます」
「へ、偉そうな口叩きやがって。誰がこんなクソアマに負けるかってんだ」

土方は昨日沖田が使っていた木刀を右手に、隊服は上着を脱いで軽装になっていた。一方の杉原はというと、武器らしきものは一切持ち合わせておらず、先程から執拗に手にハンドクリームを塗りたくっている。まさか素手で戦うとでもいうのだろうか。

「そういやあ、屯所の修理費は出してくれるんだよな?」
「ええ、そうですが?」

彼は勝負前に一つ、仕掛けてみることにした。

「それなら近藤さん、悪いが大暴れさせてもらうぜ」

睨むような鋭い目に、不敵に浮かぶ笑み。鬼の副長と恐れられるだけである、近藤でさえ背筋に悪寒が走るほどの気迫だ。杉原は一瞬顔をしかめたが、すぐに同じように笑みを浮かべる。はじめの合図がかかったのは、それからすぐのことだった。

前の二日間とは違い、最初はじりじりと間合いを詰める時間が続いた。誰もが息をのんで二人を見つめる。徐々に距離が短くなった頃、先に動いたのは土方の方だった。

(女だからって手は抜かねェよ!)

勢いよく木刀を突出し、相手の出方をうかがった。女とはいえ、やはり副長候補。これくらいの突きを避けるのは容易な事らしく、まずは上半身だけさらりと動かした。勢い余った土方の鼻を、彼女からほのかににおうメイプルシロップの香りがつく。途端に先程のとんでもない食事をふと思い出してしまって、一瞬胃から何かがこみあげた。
そのまま転ぶかと思いきや、彼は振り向きざまに木刀を横なぎに払った。杉原は驚いたような表情をちらりと見せたあと、華麗な身のこなしで飛び退く。

――なんだこの女。疲労させるのが目的か?

たったこれだけの動き、息など荒れるはずもない。彼は冷静に状況を見ながら、相手が動きを見せるまで粘り強く木刀を振るい続けた。だが彼女は少しも攻撃するような動作を見せず、ただただその攻撃を避ける。彼女の姿に、昨日の沖田が重なった。まさかこいつ――ドSか。

「なんでィあいつ、俺の遊び方パクりやがったな」

彼自身気づいているようで、不満そうな呟きが確かに聞こえてきた。どうやらドSの女は気に食わないらしい。

――くそッ、どんどん離れていきやがる。

彼女の動く方へ攻撃を加えているうちに、メインとなる庭から徐々に外れていることに気がついた。それまでは縁側で見ていた近藤たちが、遠ざかるたびにその重い腰を上げ始める。野次馬となっていた隊士たちは、巻き込まれないよう早々に道を開けていた。そして、あっという間に互いの仲間の姿は見えなくなってしまった。今までバク転を繰り返していた彼女は、そこで初めて足を止める。流石に息も乱れた土方は、額から目元に流れる汗を手の甲で拭った。

「ここで戦うってのか?」
「ええ、そうよ。だって貴方の死体なんて、見せたくないでしょう?」
「は? てめぇ、何言って――」

ふっと、目の前にいた彼女の姿が消えた。あっけにとられたものの、彼はすぐに切り替え、腰を低くして戦闘態勢に入る。だがそこで、妙に手が軽いことに気づいた。力を込めても爪が肉に食い込むばかりの、その違和感に目を向ける。

ない。なくなっている。彼の手に握られていたはずの、木刀が。

「……所詮は貧乏侍ね」

彼女の呟きが背後で聞こえて、彼は焦りの色を隠せないまま振り向いた。こうなりゃ素手だと再び振り向きざまの攻撃を加えたが、その拳は空を切る。
バランスを崩しかけた彼の目に、砂利に映って少し歪んだ細い影が見えた。はっとなってそれに手を伸ばした時にはもう遅く、その影は勢いよく彼の影に吸い込まれていった。


「昨日の貴方の遊びとはまた、違いますよ」

屯所の死角に消えつつある二人の姿を目で追っていた沖田に、浅間がそう声をかけた。立ち上がり追いかけようとしていた近藤も、思わず足を止め彼を見る。

「局は強がりですが、優しい子なんです。平和主義の私に配慮してくれるんですから」
「……っ! やべェ、土方さん死ぬ!」
「総悟!?」

沖田は考えるように押し黙ったあと、唐突に立ち上がって駆けだした。不安そうに見つめる隊士たちを押しのけ、近藤の呼びかけにも振り向くことなく土方たちを追っていく。彼が動き出したことにより、近藤は更にその言葉の意味が分からなくなった。

「……どういうことだ」

頭の中を整理し、震える声でそう尋ねたときには、既に薄々気づきはじめていた。それを知ってか知らずか、浅間はその言葉とは裏腹に相も変わらず柔らかな笑みを浮かべている。

「そういうことですよ。命の賠償金は幾らにいたしましょう?」

直後、沖田が向かった方向から大きな音が響き渡った。近藤は足がもつれて転びそうになりながらも、後を追うように彼らのもとへ駆けて行った。


案の定。沖田がその場に辿り着くと、そこには彼さえ驚き息を詰まらせてしまうほどの光景が広がっていた。

「がッ……く、ァ!」
「ひっ、土方さん!」

宙吊りになった体。その体を支えているのは、首に巻きついた荒い模様の縄一本のみだった。天井だかどこかに引っかけているようで、障子の向こうにぴんと張った縄が伸びている。彼の手にあったであろう木刀は、断ち切られた縄に絡まれて縁側に落ちていた。

絶体絶命。その状況を表すには、十分すぎる言葉だった。

「あら、その声は沖田さん? もう、人が来たら殺せないじゃない」

不満気に漏らすその声の主が、障子のところからひょっこり顔をのぞかせた。そこで初めて、彼女がハンドクリームを塗りたくっていた理由が分かる。あの縄で人を吊っているせいで、手の皮がむけてボロボロになってしまうのだろう。わずかに見えたその手では、ぎしぎしと縄が震えていた。

「でも、巳之じゃないからいいかしら」
「ぐッ……のや、ろッ……」

かろうじてその消えかけの声が喉から洩れるが、それ以上の抵抗はできない様子だった。沖田は今までにない危険を感じ、目を見開いたままその状況を見つめていた。だがここで戦闘を終わらせるわけにはいかないというのが現実にある。ここでやめれば彼らの負けは決定するが、続けることでチャンスをものにできる可能性が生まれる。

土方何とかしろ。お前ならできるはずだ土方。
こんなクソ女どもに真選組を渡せるか。そうだろう土方!

「……あら? あの部屋……」
(! まさか!)

彼女が目をやった方向に、土方は覚えがあった。そして後ろへ視線をやらなくとも、彼女がにやりと笑みを浮かべたのが分かる。
不意に視界がスライドして、背中に鈍い衝撃を感じた。やっと息を十分に吸うことができると思ったら、呼吸がうまくいかずに激しく咳き込んだ。だがそれも束の間、彼の首に絡まったままの縄がまたぴんと張ったのだ。喉を突かれたような痛みが走り、そこかしこにある襖やら何やらを派手に突き抜けながら、彼の体は隣接する部屋へ吹っ飛んで行った。砂埃が舞い、その状況にぴったりであるほど大きな音が響き渡る。

「今のは事故ですわ。運が良ければ、仲良く地獄にでもいけるかも」

その部屋には山崎が眠らされている。そこで戦闘を繰り広げようものなら、彼にも甚大な被害が及ぶだろう。
幸いにも、土方は直撃を避けていた。咄嗟に身を翻して場所をずらし、結果的にはクッションも何もなく、畳の上に滑らされ止まる。摩擦のせいで、薄いシャツの上からだったにも関わらず、体の下に置いていた左腕には大きく蚯蚓腫れができてしまった。
咳込みながら立ち上がり、首に絡まった縄を投げ捨てる。首にはくっきりと跡ができていて、部屋の隅にある鏡にちらりとその姿が映った。

「ちッ……てめェ、何を考えてやがる」
「人を殺すことしか考えていませんわ。……ああ、あとメイプルシロップも」

とんだ野郎だ。平和主義の下に殺し好きの女なんぞがいたら、真選組が内部から崩壊することもあり得るというのに。


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