第参訓 上には上が、下には下がいるA


笑ってみたものの、頭部を打たれた衝撃は生半可なものではなかった。頭がガンガンして、自分が先程近藤にどんな言葉をかけたかすらすぐ忘れてしまう。目の前はチカチカして、それでいてぼやけている。意識を失わなかったのが不思議なくらいだ。
だが鬼束はそんな彼の状況など察するわけもなく、むしろ獲物が弱ったと喜んで食らいついた。もはや木刀を飾りのように、沖田に爪を立てようとしている。流石に苦しくなって顔を歪めると、鬼束は更に嬉しそうに笑みを漏らした。この世で一番かわいげのない狂った笑みだ。

「ぐっ!!」

頭痛のせいで腕が鈍ったか、隙をつかれて懐へ潜り込まれた。そのまま鬼束は、彼の肩へ噛みつく。それも相当な力で、本当にサバンナにでもいそうなライオンを思わせた。左肩からは血が滴り、鬼束は吸血鬼のようにそれをすする。肉は噛み千切られなかったものの、歯形はくっきり残ってそうだ。
彼はいったん距離を置き、左肩を押さえることなく木刀を構える。そしてわずかにほくそ笑むと、わざとらしくふらついてみせた。絶好のチャンスだと、鬼束は本能のままに飛び掛かる。

もう、頭痛はすっかりおさまっていたなどとは知らず。

沖田はひたすらに木刀を振るい、鬼束の攻撃を防いでいた。その彼らしくない戦い方に土方は疑問符を浮かべているが、近藤は彼の心の内を読み取っているようだった。彼のドSらしい、汚く非道なこの結末を。

思えば端からおかしかったんだ。沖田は昨日の浦松――いやそれ以上に一瞬で攻撃を仕掛け、獣など簡単に仕留めてしまうほどの剣の使い手。そうすれば簡単に勝利を手にしていたのに、なぜここまで苦しそうな戦いをするのか。そう、それは勝利を確信しているからだ。

獲物をじっくりじっくり踊らせて……。

沖田はわざとタイミングを外し、その一撃を体で受け止める。続けざまに飛んできた攻撃も、防ぐことはしなかった。

ぎりぎりまで崖っぷちに立ってみせて……。

彼の体は地面に叩きつけられる。

そして――!


「……あら、期待ほどのものではなかったようで。そろそろ終わりですかね、近藤さん」
「いやあ、まだ総悟の自慢は終わっちゃいない。総悟はカワイイ顔してドSでね」

地面に伏して動かなくなった沖田を見てなお、近藤は彼の自慢話を大声で続けた。しかも、自慢と言っていいのかわからない彼の性癖についてを。だが今のこのタイミングで話すのは正解だと、近藤は自分を信じている。

「よっぽどシリアスな状況じゃない限り、あいつは戦いを最大限に楽しむんだ」

彼の言葉とは裏腹に、とても楽しんでいられる状況ではない。浅間は憐れむような視線を送った。
悪あがき。彼の目には、近藤の行為はそのようにしか映っていない。
鬼束は横たわる沖田へと近寄り、しゃがみこんでその髪を掴みかける。だが浅間に戻ってくるよう声をかけられ、彼は特にそれを惜しむことなく振り向いた。

「……浅間さんよ、あんた視力悪いなら眼鏡はどうだい。お似合いだよ」
「それはどういう……!?」

皮肉まじりに笑おうとした浅間の目に飛び込んできたのは、ゆらりとまるでゾンビのように立ち上がる沖田の姿だった。近藤にも、そして土方にすら、こうなることは分かりきっていた。なぜなら奴は最初から――

ドSだったからだ。

沖田はふっと鼻で笑うと、全く状況を理解できていない鬼束に一太刀を浴びせる。たったそれだけで彼は白目をむき、静かにその場に崩れ落ちた。だがとんだ石頭だったようで、痺れた手から木刀が滑り落ちるという代償もあった。

「さあ、どうですかィ」

ポケットに手を突っ込み、既に気を失っている鬼束の頭を踏みにじりながら彼は言う。

「ドSの素晴らしい演技……幾らで買う」

その目には誰もがゾクリとくるような、サディスティックな光が宿っていた。


勝負は沖田の勝ちに終わり、明日の副長戦が決戦となった。夜になっても目の覚めぬ山崎の隣で、近藤は沖田の手当てをしていた。土方は明日に備え、たっぷりのマヨネーズフルコースを食べたあと早く眠るそうで、つい先程部屋から去っていったばかりだ。
沖田の傷はさほど深くなく、打撲や頭のコブ、左肩の傷くらいで済んだ。やはり楽しむとはいえなすがままにされていたのに鬱憤が溜まっていたらしく、相当強く殴りつけられた鬼束は泡を吹いていた。慌てて浅間が背負って帰ったが、あれは生きているかわからない。

「全部聞こえてましたぜ、近藤さん。俺ァあんたにそんなに褒められたことがなかったんでね……嬉しかったでさァ」
「そうか? 俺は総悟も溺愛していたつもりだったが……」

自ら溺愛というのはどうだろうと思いつつも、沖田は素直に喜びに顔をほころばせた。昨日の勝負よりはずいぶんと短く感じられた今日だったが、彼はそれを少し残念がっている様子だった。

もっとじっくりじわじわ追いつめるのも悪くなかった、どうせなら向こうの仲間共もどん底に突き落としたかった。

彼が真顔でそういうものだから、近藤は苦笑いをこぼすばかりだ。

「手当て終わったぞ。明日の勝負は来られるか?」
「ええ、寝坊しなけりゃ大丈夫でしょう。まあ土方さん殺戮ショーなら確実に見に行くんですけどねィ」
「それ、どっちの意味で?」
「そりゃあもちろん土方さんがボッコボコにやられる様でさァ」

冗談なのか本気なのか、ちょうど顔が陰になって分からない。けどきっと、いつものようなサディスティックな笑みを浮かべているだろうなということは近藤には分かった。

「失礼します、局長! 食事お持ちしました!」

ちょうどその時、隊員が二名ほど食事を持ってやってきた。二人は受け取った料理を並べ、向かい合わせになって会話を交えながらそれを口に放る。考えてみれば沖田との一対一の対話は久しぶりな気がした。だからだろうか、近藤はいつにもまして明るく楽しそうに愛を語ると称したストーカー話を繰り広げていた。沖田は一つ一つにさらりと返すものの、時折大笑いをするなど珍しい一面を見せる。
一方の彼が話すのは、他愛もない話だ。チャイナ娘が鬱陶しいだとか、土方の死体を数えていたら朝になっていたとか、土方が死ぬ夢を見て最高の目覚めで今日を迎えられたことや、土方が――

「ほとんど俺が死んでんじゃねえか」

襖をぶち破って沖田に飛び蹴りをくらわせたのは、その土方だった。隊服から着替えて鶯色のような浴衣姿になっている。もちろんその飛び蹴りはかわされて、危うくサドンデスが開始されるところだった。慌てて近藤が仲裁に入ったため、何とか回避されたが。

「土方さん、まだ寝てなかったんですかィ。今から俺が永遠の眠りにつかせてやってもいいんですぜ」
「お断りだ。たまたま通りかかったらてめェの憎たらしい戯言が聞こえてきたもんだからよ」
「まあまあ落ち着け総悟、トシも」

近藤がなだめるものの、二人の睨み合いは止まらない。

「大体お前話のネタ少なすぎんだろ。俺か万事屋んトコの娘かSMプレイの話しかしてねェじゃねえか」
「大丈夫です、次からは土方さんを殺した感想なんかも生々しく……」
「交えんな!!」

結局はいつもの三人でグダグダと時間を過ごしてしまった。早く寝るなどと言っていた割には、土方は結構な時間まで二人と駄弁っていた。やっと眠くなったところで本当に引っ込んでいったが、その時にはもう近藤たちもすっかり眠気を覚えていた。おかげでその場は解散となり、近藤はゆっくりと立ち上がる。だが沖田はその場でポケットからアイマスクを取り出すと、畳の上に寝転がった。

「総悟? こんなところで寝ると風邪引くぞ」
「俺ァ今日はここで寝まさァ。こいつが起きたとき、嘘ついて絶望した顔を見たいんで」
「相変わらずSだな……程々にしろよ。じゃあな、おやすみ」

近藤が去って静かになった部屋は、月明かりだけが細々と照らしていた。沖田は一度毛布を引っ張り出すために起き上がったが、それからは静かに眠りについた。

その日彼は、土方があの杉原とかいう女にボコボコにされる夢を見た。あまり縁起のいいものではなかったが、沖田の目覚めはすっきりしていた。


[*prev] [next#]
[目次]
[しおりを挟む]



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -