第弐訓 地味も過ぎると目立つA


「あらあら……その地味魂が見られるかと思いきや。魂まで奪いかねませんね」
「あんたは目でも悪くしてるのかい」
「……なっ!」

近藤は腕を組み、目をそらすことなく真っ直ぐ二人を見つめている。土方はその横顔を見て、ふっと笑って煙草をくわえた。

「……いやはや恐れ入る」

視線の先には宙に舞う浦松の姿と、砂埃の中から伸びる一本の足があった。


獲物が笑みを浮かべたことに気づいたときには、もう遅かった。気づけば視界はぐるりと回転し、一瞬にして目の前に青い空が広がる。
何が起こったか理解できず、しばらく思考が停止したままだった。
やっと体が反応したのは、その青空を黒い影が遮った時。だがそれも間に合わず、体は地面に叩きつけられた。攻撃の手を休めなかったことで、自分自身疲労していたことに気づいていなかったのだ。

「悪いね。俺はあんたのオモチャじゃないんだ」

咳込み決して楽そうにはしていないながらも、彼は確かに自信に満ち溢れた笑みをその顔に浮かべていた。

浦松はただ、驚きを隠せなかった。勝利を確信し、あとは弄ぶだけだと考えていたのに。今まで生きてきた中で、獲物にここまで粘られたことなど――なかった。

「おーうザキィー!! 頑張れよー!!」

近藤からの応援の声に、山崎は黙って頷く。依然としてその表情は崩さないながらも、浦松はわずかに目を見開きながら、つられるように仲間の方へ視線を向けた。杉原は信じられないと言った表情で山崎の方を見つめているし、普段こういうのを大人しく見ていられない鬼束でさえ動きを止めてぽかんとしている。
仲間もはっきり言って、一瞬で決着がつくと考えていた。だがここまで粘るとは――誰もが山崎に興味を示す。

「いてて……朝飯抜いときゃよかった……気持ち悪」

彼は大きく深呼吸をすると、腰を少し落とし拳を握った。

「さて……どこまでいけるやら」

彼が呟くのと同時に、浦松は地面を蹴る。その動きには少し、焦りが見えた。おかげで後ろに目いっぱいひいてはいけない拳の動きをとらえることができ、山崎はわざとそれを顔のスレスレのところでかわす。そしてその腕を掴み、声を上げながら思い切り投げつけた。
浦松は真っ直ぐに近藤たちの方へ飛んでいき、それをかすめて屯所の障子を派手に破る。

「ばっ……危ねーだろ!!」
「よーしその調子だァザキ〜、土方に当てたら百点だぜィ」
「おーい山崎ー、総悟に当てたら千点くれてやる。今すぐ石でもなんでもいいから投げろ」

そんな土方と沖田のいつものやり取りの横で、近藤は……あれ、近藤は――。

「あなたたちの局長は何点なのかしら」

杉原の言葉で気づく。畳のところには巻き込まれた近藤が、鼻血を出して倒れていた。「近藤さん!」とすぐさま土方たちが駆け寄る。

「えぇえッ、す、すみません局長、そんなつもりじゃ……わっ!」

油断していた山崎の顔を、浦松の拳が襲う。間一髪左手でそれを受け止めたが、その時に聞いたこともない変な音が手首から鳴り響いたのが分かった。地面に叩きつけられてもすぐに飛び起きるが、左手首の刺すような痛みに足は止まった。

「……く……」

捻ったというレベルじゃない。あまりの衝撃に、左の指先はぴくりとも動かなくなっていた。あっという間に手首も変色する。
手で済んだならまだマシな方だ。少しでも反応が遅れていたら、間違いなく顔はぐちゃぐちゃだ。歯は抜けるだろうし、まず戦闘不能は間違いない。そう考えるとぞっとした。

「あのさァー、ちょっと粘ったくらいで調子乗らないでくんない」
「……あらあら、雄大がご立腹なんて珍しい」

浦松はわずかながら、眉間にしわを寄せていた。

俺より弱いのに調子乗りやがって。こうなりゃその首へし折ってやる。

今まで無心に体を動かしてきた彼にそこで、初めて怒りの感情が湧きあがった。その目の鋭さに、山崎は苦しそうな笑みを漏らす。

「勘弁してよー……」

彼はそう呟いた。

「してやんない。ねえジミー君」
「せめて名前で……呼べやァァァ!!」

彼のシャウトで二人は一斉に飛び上がり、獣の光を目に宿して拳を振り上げた。その普段の温厚さからは考えられない山崎の狂気の目に、土方も、そして沖田さえも唖然としている。白目をむいたままの近藤の傍に座り込んで、気づけば自然とその闘いに目をひかれていた。

「ざァんねん……嘘でしたァッ!!」

山崎は身を翻すようにして回し蹴りをくらわした。だが浦松はフェイクに騙されることなく、冷静にその足を掴む。今度は山崎が投げ飛ばされ、土方と沖田をまとめて巻き込んで地面に叩きつけられる。幸いにもその二人がクッションになったようで、ダメージはさほどなかった。

「てめェ何してんだ山崎!」
「オイオイ、明日戦えなくなったらどうすんでィ」

謝罪の言葉を述べながら山崎は立ち上がり、屯所内でも平気で攻撃を加えようとする浦松を外へおびき出すようにして逃げ出した。仮に自分が負けたら、二人に託すほかない。沖田の言う通り二人に怪我をされたらたまったもんじゃないから、なるべく離れたところで戦わなくてはならなかった。
山崎は迫りくる浦松の蹴りをかわし、そのまま背中を蹴落として地面に叩きつけた。砂埃が舞って、また視界は悪くなる。彼はいつ奴が飛び出してきてもいいように、地面に降り立っても構えるポーズは忘れない。
が、そんな彼に飛んできたのは予想外のものだった。

「!? 目がっ……!」

煙の中から、砂らしきものが彼の目を襲った。不幸にもそれは直撃して、一時的に目が開かなくなる。浦松が迫ってくる気配は感じても、対処することができなかった。

「ッ……がはっ!」
「あァすみませーん」

浦松は山崎の腹部に膝蹴りを叩き込んだ。そしてその勢いのまま、すぐ後ろの壁に叩きつける。メキメキと骨が変な音を立てたのは、周りの野次馬の耳にも届いた。思わず恐れおののき、ひっと声を上げる者もいる。

「うぐ……ゲホ、ゲホッ」

うまく息ができないために、何度も咳込んだ。そのたびに口から血がこぼれる。
負けじと拳を握ろうとした。だが、ふと全身から力が抜けていくのを感じる。気づいたときには、地面に膝をついていた。

待って、待ってくれ。まだ動くだろ、こんなもんじゃ終わらないだろ? なあ俺の足、立てるだろ? 右手ならまだ殴れるだろ?

「ふ、ふざけん……な……俺は……まだッ……」

地面に伏してなお、その朦朧とする意識をとどめる。近くに立つ浦松の足を掴もうと手を伸ばすが、非常にもその手は踏み潰された。彼の喉の奥から、悲痛な叫びが上がった。

「近藤さん、どういたします? ……あれ、近藤さん?」

浅間が顔をしかめながら、近藤にそう尋ねかけた。だが彼は相変わらず気絶したままで、話にならない。

「……では代わりに土方さん、ご判断を」

そう言われ、土方ははっとなる。

「土方さん、ザキはもう」
「分かってる。……こっちの負けだ、それ以上は攻撃を加えるな」
「賢明な判断です。……雄大、終わりです。貴方の勝ちですよ」

浅間にそう告げられた浦松は、不満そうに舌打ちをすると渋々手の上から足をどけた。すぐさま山崎のもとへ駆け寄る土方たちとすれ違うように、彼は浅間のもとへ戻っていった。

「それでは、明日の勝負も九時からとさせていただきますね」

時刻だけ伝えると、四人は足早にその場を去っていく。どうやらその惨状を、浅間自身これ以上見たくはないらしい。そんなので局長が務まるのか――もう随分前から仲間たちが考えていたことである。

「山崎! 大丈夫か!」
「……副長……どうして……止めたん、です……。俺は、まだ……戦え……る」
「馬鹿野郎! それでお前さんが死んじまったらどうするつもりだったんでィ! こんな下らねェ勝負のために仲間の命を捨てられるかってんだ!」

口を開きかけた土方を遮って、沖田がそう怒鳴り散らした。山崎はその言葉に目を見開いたあと、申し訳なさそうに「すみません」と小さく謝る。

「……安心しろ。お前の落とし前はこっちでキッチリつけてやる。……だから今は、ゆっくり休め」

土方はそう声をかけ、ゆっくり立ち上がる。すぐさま他の隊士に山崎の治療を命令すると、隊士たちは慌てて彼を屯所内へ運び込んでいった。その頃ちょうど近藤が目を覚ましたらしく、ぐわんぐわんする頭に手を当てながらこちらへ歩み寄ってくる。だが途中でその足は止まった。

「……負けたのか」
「ああ。左手首の骨折に、恐らくあばらと右手もいったな。気を失っちゃいなかったが、これ以上は危険だと判断させてもらった」

報告しながら土方はまた、口に咥えた煙草に火をつける。だがその味はなぜか前よりまずく感じられ、さほど短くならないうちに、彼はそれを地面に落とした。


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