第壱訓 青天の霹靂@
それは、まさに青天の霹靂であった。
いつもと変わらぬ穏やかな気候、穏やかな日々。考えてみればこのご時世、いつそれが壊れても、おかしくなかったのかもしれない。
江戸の中心部から少し外れてみれば、閑静な住宅街に入った。あごにひげを蓄え、黒いカッチリした服を着こなし、腰に差した刀がきらりと光る。少しゆっくりとしていたその歩が、ある姿を見たのを機に急激に早まった。
「お妙さーん!」
そう叫びながら走る彼の名は、近藤勲。真選組のゴリラ――もとい局長を務めているが、こんな姿を見たら誰もが目を疑ってしまうだろう。彼は局長であると同時に、愛する志村妙のストーカーでもあった。
その声に、買い物袋をぶら下げた妙が振り向く。姿を確認するや否や、にっこり微笑み、静かに右の拳を握りしめる。
「お前はいい加減に……」
そう言って、言いかけて、拳は引っ込んだ。
「……え?」
突然近藤が、目の前に倒れ込んだ。少しすると、彼を中心に赤い水溜りが広がりだす。彼女は目を見開いた。それは、彼がこのような姿になったからだけではない。彼女の目の前、煙を放つその銃を構える人物に、視線が釘付けになった。
「……嘘、でしょ?」
買い物袋がするりと手から滑り落ちるのと同時に、彼女は腰が抜けたようにその場に座り込んだ。
だって目の前にいるその人物は、紛れもなく――。
―― 銀魂 対立篇 ――
その日、町を一人歩いていた土方十四郎のもとに、一本の電話が入った。件名を見ると珍しく、沖田総悟の名が表示されている。一瞬悪戯電話かと思い目を細め、半信半疑で通話ボタンを押す。
「何だァ総悟」
『大変なんです土方さん! 近藤さんが、近藤さんが……』
彼の言葉を遮ってまで、沖田は切羽詰まった様子でそう言った。いつもは冷静沈着な彼のその慌てぶりから、ただ事でないことはすぐに分かる。
その瞬間に心臓の鼓動がぐんと高まり、頭に血が上る感覚がした。周りの賑やかな音が遮断され、早く次の言葉をとせかす気持ちが高まっていく。それとは裏腹に、沖田も相当混乱しているようで、近藤さん、近藤さんと繰り返すばかりだ。
なかなか落ち着けず次の言葉が出てこない彼を落ち着かせ、自分も落ち着くために一度深く息を吸った。そして、ゆっくりともう一度聞き返す。「近藤さんが、どうしたんだ」
『う、撃たれたんでさァ。土方さん、とにかく大江戸病院に来てくだせェ!』
「……わ、分かった。すぐに向かう」
ブツリと通話が切られる音がして、あとは一定の機械音が繰り返し流れた。彼の足はすぐには動かず、耳から滑らせるように離した携帯を力なく握りながら、呆然と立ち尽くすばかりだった。
「……近藤さんが、撃たれたって……」
そう口に出すと、我に返った。あいにくパトカーで来ていなかったので、その足で大江戸病院へ向かうほかなかった。気づくと人の視線も気にせず、近藤の名を繰り返しながら走っていた。
晴れていた空に、少しずつ、雲がかかりだした。
急に窓から射していた光が陰って、坂田銀時は読みふけっていたジャンプから目を離した。つけっ放しのテレビが一人で勝手に喋っていて、お昼時の顔の多毛さんが何やらトークを繰り広げていた。やけに静かだと思えば、志村新八は少し前から買い出しへ行き、神楽と犬の定春は同じ部屋ですやすやと寝息を立てている。彼はもう一度、読みかけのジャンプへと目を落とした。
「臨時ニュースです」
凛としたその声に、彼はばっと顔を上げる。テレビを見れば、彼の愛するアナウンサー結野クリステル――通称結野アナがそこに映っていた。思わずジャンプを閉じ、画面を食い入るように見つめる。だが次の瞬間、彼は首をかしげた。背景がどこか、見たことのある風景なのだ。
「えー、先程、真選組の近藤勲局長が、何者かに狙撃されるという事件が発生しました。警察では現在その場に居合わせた女性に話を聞いているとのことです。繰り返します、真選組局長近藤勲氏が、何者かに狙撃され……」
「嘘……マジかよ」
その場に居合わせた女性って、お妙のことじゃないだろうな。むしろお妙が撃ったんじゃねえか? ありえない話じゃない。
彼は体を起こし、画面を見つめた。すぐに続報が入ってきたようで、テロップが初めて出ると同時に、結野アナが新たな情報を読み上げる。
「続報が入りました。近藤局長は現在病院に搬送されたそうです。……あ、腹部に重傷を負ってはいるものの、命に別状はないとのことです」
近藤勲局長、重傷――そう出てきたテロップを呆然と見ていると、背後で乱暴に扉を開ける音がした。どたどたと足音を響かせ、部屋の扉が開かれると同時に、彼――新八が叫んだ。
「銀さん! ニュース見ましたか!? 近藤さんが……」
「ああ、見てる。命に別状はないってよ」
「本当ですか!?」
よかった、と彼は安堵の息をもらす。恐らく電気屋か何かのテレビでニュースを見て、走って帰ってきたんだろう。眼鏡の位置はずれ、髪はボサボサに乱れていた。
「……んー、何アルか……」
騒ぎに気づいた神楽が、まだ夢と現の狭間を彷徨いながらも薄目を開く。同時に定春も目を覚まし、二人そろって大きな欠伸をかきながら立ち上がった。彼女は状況を把握できずに、眉間にしわを寄せながら新八のことを見つめていた。「髪、変アルよ」そう指摘するが、そういうことではないらしい。
と、彼女の耳にも結野アナの声が届いたようだ。彼女もまたテレビの方へ視線を移す。
「……繰り返します。近藤局長は命に別状はないと……」
「? ゴリラがどうかしたアルか? ストーカーで捕まったアルか?」
「違うよ神楽ちゃん、何者かに撃たれたらしいんだ。命に別状はないらしいけど……心配だなあ」
普段からストーカーとはいえ親しくしている間柄、彼は近藤の見舞いへ行きたくてしょうがなかった。そうやって大江戸マートの袋を持ったままうずうずしていると、神楽の冷たい視線が突き刺さる。
三人揃って続報を待っていると、突然受話器が踊らんばかりに電話が鳴り響いた。そろそろ最新式のに変えたいところだが、経費もないので黒電話のままだ。銀時が代表して、その受話器をとる。
「はいもしもーし、万事屋でーす」
沖田の知らせは本当だった。息を荒げながら病院に到着した土方の目に、手術室の前のパイプ椅子に項垂れて座る彼の姿があった。ランプは赤く点灯していて、その場は不気味なほどしんと静まり返っている。
「近藤さんは……」
「腹部を撃たれてますが、幸い急所は外れたようでさァ。命に別状はありやせん」
ほっと息をつくのと同時に、全身の力が抜けるのを感じた。土方は壁にぶつかるように寄りかかり、そのままずるずると床に座り込む。
そのまま無言の時間が過ぎた。荒くなっていた彼の息も幾らか整うが、相変わらず脂汗はひいてはくれない。それどころか、時間がたつにつれ更にひどくなっているような気がする。
「副長ーっ!」
不意に響いた遠くからのその高い声も、静まり返った廊下ではよく響いた。山崎退をはじめとした他の隊士たち数名が、数十分前の土方のように焦りの色を隠せない様子で登場した。彼らは口々に近藤の様子を尋ね、返答を聞くと同時に胸をなでおろす。変なところで息がぴったりであった。
「それより土方さん。……お話が」
「何だ?」
土方は山崎に言われるがまま、別の場所へと移動する。移動した先は空き部屋で、それでも入院患者を受け入れられるよう環境は整っていた。山崎は口を開く前に、まず部屋に設置されたテレビの電源を入れた。映ったのは、恐らく屯所の前であろう場所でレポートをする結野アナの姿だった。
「もうこんなに報道されてんのか……」
ぽつりと呟く彼の口元に、今は煙草はない。
「……先程、真選組の近藤勲局長が何者かに狙撃されるという事件が発生しました。警察では現在、その場に居合わせた女性に話を聞いているとのこと……」
「女性? その場に、誰かいたってのか?」
「ええ。そのことなんですが……」
山崎は続けた。
「その場にいた女性っていうのは、姉御のことなんです。どうやら局長、いつも通りストーカーをしていた時に撃たれたらしくて……」
その言葉を聞き、土方はばっと振り返って身を乗り出した。元々瞳孔が開きっぱなしの彼の目が更に見開かれ、「それじゃあ、まさか……」と不安そうな声が洩れる。だが山崎はきっぱりと、違うと言い放った。ほっとしたような、更に不安が増したような、そんな微妙な気持ちになった。
「姉御は拳銃らしきものは持っておらず、また犯人についても目撃したようです。しかし核心に迫ろうとすると、怯えきった様子で何も言わないそうで」
あの女が――彼は眉間にしわを寄せた。
「他の目撃者はいないのか?」
「今のところありません。場所が場所だっただけに……」
「そうか。……分かった。ご苦労だったな」
彼はテレビの電源を切ると、山崎の横をすり抜けるようにして部屋を出て行った。だが彼は、手術室とは真逆の、病院の出口の方へ向かっていく。「どこへ行くんですか?」と山崎が尋ねると、彼はポケットから携帯電話を取り出し、高々と掲げて示した。
ガチャリと受話器を置いた銀時のもとに、新八と神楽が駆け寄った。異変を察したのか、定春まで重い足音を響かせながら歩み寄ってくる。
「誰からだったんですか?」
新八が尋ねるが、銀時は口を真一文字に結んだまま開かない。細く鋭い目を伏せ、やがて少しの沈黙のあと意を決したように口を開いた。「……新八」その声はいつもより低く、何かよくないことが起こったことを悟らせる。ごくりと生唾を飲んだ新八は、静かに返事をした。
「……お前の姉貴が、その場にいたらしい」
「え……!? あ、姉上が!? なんで!」
「恐らくつけ回されてるときに事件が起こったんだろう。拳銃を持っていなかったうえ、犯人まで見たらしい。だが、あの女らしくねえ、ひどく怯えてる様子なんだと」
その後彼は、その連絡を土方から貰ったことも告げた。懸命なフォローのおかげで犯人ではないだろうということを知ってもなお、新八の不安が消えることはない。近藤が狙われた今、妙も目撃者として狙われているかもしれない。もしそれが近しい人だとしたら、彼のことも特定してしまうかもしれない。
「……どうしよう……」
弱気な言葉が、彼の口から洩れた。
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