第壱訓 潜入は地味に大胆に@


江戸の中心部から外れると、そこには人気のない、廃れた街並みがあった。空はひどく晴れているのに、そこはまるで夕立の前のように暗く冷たい。時折そのアスファルトを踏む影もあるが、大抵はゴミのようななりをした者や、禁じられているはずの刀を腰に差した者ばかりである。無論、一般人は誰もこんなところに近づこうとはしない。ここに立ち入れば生きて帰ってはこれない。そんな噂さえ流れるほどに、人々からは恐れられる場所であった。
そんな街に、珍しく人影があった。大きな笠を被り、くすんだ青色の袴を着、時折周りを気にしつつ歩く青年の姿だ。このどんよりとした雰囲気には少し不釣り合いな、とろんとした目をしている。男にしては少し細身で、後ろで髪を一つに結う姿は、女に見えなくもなかった。
男はとある細道の前で立ち止まり、周りを再び確認したあと、その中へと入っていった。周りの廃ビルの影になって、男の姿は闇に溶け込んでいくかのようだ。――彼の進む先にまた一つ、同じように笠を被った男が立っている。青年とは真逆の、いかにもな雰囲気を放っている男だ。

「鬼有れば」

唐突に、その男は口を開いた。間を置くことなく、そしてまた顔を上げることもなく、青年はそれに答える。

「天下有り。蝶々舞う頃、三味線の音鳴り響く」
「通れ」

機械的なやり取り。青年は当たり前のように扉を開いて中へ入っていくが、実は彼、こんなことをするのは今日が初めてである。表情こそ微動だにしないものの、心臓はバクバクと音を立て、内心死ぬほど緊張していた。

(……っぶねえ〜! 合っててよかった……)

心の中で息をついて、青年――山崎退は、灯りのないその建物の中を一人進む。
ここはあの超過激派攘夷浪士として有名な、高杉晋助率いる鬼兵隊のアジトである。真選組監察の山崎がなぜこんな場所にいるかというと、別に真選組から寝返ったわけではない。彼が攘夷派の連中に最も近づく為――すなわち、潜入捜査の為である。


一か月前。屯所内で書類を片付けていた彼のもとに、唐突に仕事が舞い込んできた。

「はあ!? 鬼兵隊に潜入捜査!?」
「あァ、そうだ。何でも江戸に帰ってきてるらしくてな」

任務を告げに来たのは、同じく屯所にいた副長の土方十四郎。山崎の仕事は大方彼からのものであり、副長である彼が直々に来るのはそう珍しいことではなかった。

「いくらなんでも、そりゃ無茶ですよ! 大体俺、あっちに顔バレてんですよ!?」
「あー……それも考えたんだがな。やっぱ鬼兵隊ともなると、お前にしか頼めねえってことになってよ」

鬼兵隊と言えば、攘夷派の中で最も危険とされるグループ。かつては真選組も奴らの策略にはまり、崩壊の危機を迎えたこともある。そんな奴らが江戸に帰ってきているということは、何かしらの行動を起こすに違いない。真選組側はすぐに対策を練るべく、つい先程まで幹部たちで緊急の会議を行っていたところだった。そんな中で山崎の潜入捜査任務は決定した。――その重大さを分かってほしいと、土方は言う。

「一か月で奴らへの潜入方法を見つけろ。そこは俺達も全面協力する。あとはあいつらの情報をひたすら流せ、いいな?」
「は、はあ……分かりました」

拒否権が無いのは元々分かっていたし、また最も潜入捜査の経験がある自分がやらなければならないというのも知っていた。半ば無理だとは思いつつも、土方におされるがまま、山崎はその話を承諾した。
そして、過激派への潜入にしては随分忙しい一か月という準備期間で、アジトを突き止め、合言葉を手に入れ、鬼兵隊を学んだ。また髪を少し伸ばし、後ろ髪を一つで結えるようにもした。


そして、覚悟を決めて今に至る。
大丈夫、俺ならできる。そう言い聞かせながら、コンクリート打ちっぱなしの薄暗い廊下を一人で突き進む。すると、やがて下へと延びる階段に差し掛かり、足元に気を付けながらそこを下りると、そこにはまた扉があった。向こうには人の気配がある。恐る恐るドアノブに手をかけ、ゆっくりと回した。

(物々しいな……)

景色を見てまず、そう思った。地上とはずいぶん違って、そこには多くの人間がいた。ただし、どれもこれも汚い着流しを着崩し、無駄に立派な刀を腰に携え、あちらこちらに傷跡の見えるような奴らだ。恐らくこの辺りにいるのは、鬼兵隊の中でも最下層の者達だろう。前に一度見たことのある――鬼兵隊の幹部、河上万斉は、ここの者とは違って綺麗な身なりをしていたのを覚えている。
山崎は扉を後ろ手に閉めながら、ちらりと自分の姿を確認した。自分の着物はずいぶん新しく、この空間の中では浮いてしまっている。これではこの中に溶け込み、内部を探るのは厳しいかもしれない。

(もう少し進めばそれなりの奴らがいるだろう……そこへ行こう)

門番をしていた男は、それほどまで汚い身なりではなかった。ということは、もう一段階上の奴らになら溶け込むことができるかもしれない。潜入する身としてはより多くの人の中に隠れたかったが、浮いてしまっては仕方がない。怪しまれないように注意しつつ、建物の中を再び進むことにした。何本か枝分かれしていたが、とりあえずは真っ直ぐに。


一方、真選組屯所では、山崎の出発により緊張が更に高まっていた。彼の連絡があり次第すぐに作戦を立てるため、特に土方はピリピリと神経質になっていた。そんな彼が一人で待つ副長室に、とある男がひょっこり現れる。一番隊隊長の沖田総悟だ。また土方を弄びに来たのかと思えば、実はそうではないらしい。

「土方さん。今さっきザキから連絡があって、潜入に成功したそうですぜ」

珍しく真面目な彼の報告に、土方はやや驚きつつも返答する。

「ほう、そうか。で、他に何か言ってたのか?」
「いや……何か切羽詰まった感じでしたねィ。まァ敵の本拠地で長々と話し込めるわけもありやせんでしょう」

話を聞く限り、山崎からの電話を取ったのは沖田らしい。少し不安な面もあるが、相手が鬼兵隊となれば彼もふざける余裕などないだろう。とりあえずは彼の言葉を信じて、土方は煙草の煙を吐き出した。

「そんじゃ、俺行くんで」
「あァ。引き続き頼む。寝てんじゃねーぞ」
「ハイハイ」

煙草の臭いに嫌悪感でも抱いたか、沖田は足早に副長室から出ていく。土方はそれを見届ける間もなく、いよいよ迫るであろう鬼兵隊との対峙に向けて、多くの資料と睨めっこしながら幾つかの作戦の続きを立て始めたのであった。


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