おとまり壱  [ 15/39 ]



 じゃあ私用事があるから、といって陣を足で消す多軌に俺は苦笑しながら手を振った。
 にゃんこ先生が連れてきた半妖だというこの少女……先生が優しくしているんだ。悪い子ではないのだろう。だけど、あの違和感は消えなかった。首にある痣がどうにも奇妙で、俺はそこから眼がはなせずにいた。
 なので、近づいてきたその子に気づかなかった。

「あの、夏目さま? どうかなさいましたか?」
「うわあっ」

 これで二回目。情けないにも程がある。
 にゃんこ先生に視線をやるとにやにやと不気味に微笑んでいる。なんだか良くない雰囲気だ。

「夏目。なまえの言うとおりだ……そろそろ日も暮れる。はやく中に入れ」
「……分かったよ。ついてきて」
「あ、はい!」

 なまえはひょこひょこと小さい身体で俺の後ろをぴったり着いてきた。そうやっていると、まるで自分が親鳥にでもなったようでつい吹き出しそうになる。少し短めの髪の毛が動きに合わせて揺れて、非常に微笑ましい光景だ。
 なるべく静かに家の中へと入る。そのまま声をかけずに二階へと上がった。

「ここが俺の部屋。入って」

 襖を開けると、なまえは物珍しそうに部屋の中をぐるりと見回した。
 特に物を置いているわけではない。強いて言うならば、妖怪たちがよく訪ねてくるから不思議な空気になりつつあるということぐらいだろうか。にゃんこ先生は無言でそれを見ている。
 そういえば、少し暗くなっていた。時計を確認するともう六時前だった。
 今日は学校が早く終わって、それから宿題をしていて多軌に呼ばれて……。結果的に、遅くなってしまった。

 何気なしに部屋の明かりをつけた。

「夏目、耳を塞げ」
「は?」
「きゃあああああああ! な、なんですかっ? え、なに!? 斑さま、妖ですか!? なんなんですか!」

 なまえが頭を押さえてしゃがみこむ。その慌てた叫び声に、呆然と彼女を見ていることしか出来ない。
 にゃんこ先生が溜息をついて、また獣姿へと戻る。
 そしてなまえの傍にいくと、柔らかな身体で彼女を包み込んだ。

「落ち着け。ここは山じゃない。電気が通っているんだ」
「え、いくらなんでもそれで驚くことってないだろ」
「なんと摩訶不思議な……! でんき、とはなんなのですか?」

 しかしなまえは至って真剣な口調で先生へ問いかける。
 嘘だろう。いや、そんな電気ってなにって。
 そこで俺は思い出す。なまえは山奥で暮らしていて下山したことはないという。そして先生の「世間知らず」という言葉。
 もしかしたら俺たちの常識は彼女の中では常識ではない?

「そうだな……電気、なあ。夏目!」
「えーと、電気っていうのはね。雷は分かるかい? それを触ったりするとびりびりするだろう。それを利用して、部屋を明るくしているんだよ」
「雷!? そんな危ないものを人間は集めているのですか?」
「いや、そうじゃなくて。あくまでも例えなんだけど……それを作り出す能力も人間は持っているんだ」
「私が想像していたより、人間って恐ろしい生き物なんですね……!」

 自らの身体をひし、と抱きしめてなまえは半泣きで畳を見つめる。
 まさかこんなことを知らないとは。自分でも上手く説明できなくて、首を斜めに傾けて溜息をついた。

「それにこの家だってそうです。遠目からしかこのようなものは見たことがなかったのですが」
「そうなの?」
「人里に近づくな、と母様に言われていましたので」
「徐々に慣れていけば良い。ところで夏目、今日の晩飯はなんだ」
「たしか肉じゃがだけど……」

 なにやら不穏な気配がする。未だなまえを包み込んでいるにゃんこ先生を訝しげに睨む。

「後で、なまえの分も持ってこい。わたしはここで食べるからそれに合わせて、な」
「は!?」
「肉じゃがってなんですかー?」

 先生の首の毛を掴みながら俺に問いかける瞳には真剣さが宿っている。ああ、これは。
 俺は自分の残念な思考回路に絶望しながら、溜息を零した。結局俺はこういうものに弱いのだろう。他人のためになにかをしてやろうとか生ぬるいことばかり。
 でも止められないのだからしょうがない。

「分かったよ。なまえ、少しの間にゃんこ先生とここで待っていてくれ。なるべくはやく戻ってくるから」
「? はい」

 なまえは不思議そうに俺を見て、先生を見て、頷いた。
 この子は今初めてのことばかりで戸惑っている。よく考えてみれば当然だな。今まで人と関わらないでいたようだし、下山することも許されていなかったのだから。
 俺が色々教えてあげなくてはいけない。……にゃんこ先生ルールなんて間違っても覚えないようにしなければ。
 そう堅く決意して、俺は下へと下りていった。



  
- ナノ -