あくしゅ  [ 14/39 ]



「はざま……?」
「ええ、そうです」

 多軌が驚いた表情でなまえを見つめる。
 狭間。人間と妖怪の間に生まれた子供。つまりは半妖ということだろう。けれど多軌の驚きようは尋常ではなかった。

「もしかして、あなた」
「ほう、お前は知っているのか」
「昔ちょっとだけ本で読んだことがあるの。私の先祖のものだから、信じていいものだと思う。その文献によると……」
「はい。思っているとおりです。私は<蝶の娘>なのですよ」

 聞きなれない言葉に戸惑う。なまえは少し困った顔をして、とつとつと説明をした。

「えーと、詳しくは言えないのですけども。昔私の先祖の娘が、名のある妖と恋に落ちたのです。そして、その妖が命を落としたときに先祖が引き継いだのが霊力のつまった蝶だった。その蝶を私たちの一族は代々受け継いでいるのですよ。一族の娘の首には蝶の痣がある……こんな風に」

 なまえが手をその白い首に当てると、じわじわと肌の下からインクが染み出すように何かが浮かび上がってきた。それは痣だった。紫色の蝶の痣だ。俺が最初にこの子を見て感じた首の違和感はこれだったらしい。どうやら自分の意思で隠せるようだ。
 多軌は複雑な面持ちでなまえを見た。
 んー、と唸るように頭を抱えると、ぱあっと笑顔になった。

「まあ可愛いからいいよね!」
「多、多軌……いいのか、それで……!?」

 大分深刻そうだったから何事かあるのかと思ったが、そうでもないらしい。
 それにしても半妖に会ったのは初めてだ。今まで霊力の強い人間には何人か会ったことがあったし、妖怪はざらだ。だけどその狭間となると初めてのことだった。
 なまえはそんな俺の視線に気付いてか、大きく首を横に振った。

「いえいえ! ただ妖の血が混じっているというだけで私個人になんらかの大きな力があるわけではないのですよ。特に普通の人間と変わらないのです」
「夏目。こいつの普通を普通だと思うなよ」
「どういうことだよ先生」

 獣姿のままで先生が怪訝な顔をする。

「まあその内分かるとは思うが……こいつ、世間知らずにも程があるぞ」
「あら、そうなの?」

 多軌がまたなまえにぎう、と抱きつく。なまえは固まりながらもそうなのかもしれません、とか細い声で答える。先生は元の狸のような招き猫に戻り、そんななまえの肩の上にのった。
 にゃんこ先生は大分太って体重が重いのにのられるなんて、可哀想に。

「こいつは普段山奥に住んでいるんだ。しかも、下山したのは今日が初めてだからな」
「……つかぬことを聞くけど、君って何歳? 半妖って人間と年齢は同じ数え方なのかな?」
「えーと、そうですね。ちょっと長生きですけど、数え方は同じだと思います。十四になりますね」
「一つ下かあ〜! やっぱり可愛い……っ」

 妹がいたらこんな感じなのかな、と頬をすり寄せて多軌が呟く。
 十四年間も、山の奥に暮らしていたとは驚きだ。しかも下りたことがないとなれば、それは確かに世間知らずにもなるだろう。その間食料や衣服はどうやって調達していたのだろうか。

「私が持っていったり、ヒノエの奴も構ってやっていたみたいだな」
「ヒノエが?」
「ヒノエは優しいです。色々と小物もくれて、申し訳ないくらいで……。斑さまにも、もちろん感謝していますよ」
「まあその分のお礼は今回のでチャラだ。それでだ夏目」

 にゃんこ先生は妙に真剣な顔をして(招き猫だから不気味だ)、俺を見据えた。そしてとんでもないことを言った。

「なまえをしばらくここに置いてはくれないか」

 しばし、沈黙。

「「えええええええええええええ!?」」
「えっ? じゃあなまえちゃんここに住むの? だったら私も遊びに来ようかな」
「お前もそろそろ世界を知るべきだろう? いつまでもそのままで閉じこもっていては教育上よろしくないからな」
「斑さま! 私、夏目さまを見にきただけじゃなかったんですか」

 なまえも今初めて聞かされたらしい。
 半泣きでにゃんこ先生にすがりつくように頭を振る。
 十四年間山で暮らして今ここにいるだけでも勇気が必要なのに、この家に住むにはどれだけの覚悟が必要になるのか。想像もつかなかった。俺からしてもそうだ。今までも何度か妖をこの家で匿ったことがある。だけどなまえは半分人間だ。妖怪とはわけが違う。
 確かににゃんこ先生の言うことは正しい。でもそれに手放しで同意することもできなかった。
 妖怪だったら藤原夫妻に見つかることはない。でも半妖なら? 見えてしまうかもしれない。

「なまえ、気配を消してその陣の外に出ろ」

 にゃんこ先生が小さく命令する。こくん、と頷いてなまえが外に出た。
 陣から一歩踏み出した足がぶれる。二歩、三歩と陣から出て行くたびになまえの姿は霞み、全身が出たときにはもう俺の視力では捕らえられないくらいになっていた。多軌も同じらしく、眼を開いてなまえがいた場所を見つめている。

「どういうことだ……?」
「えっと、こういうことです」

 鈴のなるような声がしたかと思うと、俺のすぐ隣にその小さな身体はあった。

「うわあっ」
「きゃ!」

 情けないことに声が出てしまった。
 申し訳なさそうに身を縮ませてなまえが謝る。彼女は悪くないが、これは一体どういうことなんだ。余裕の表情でこちらを見ている先生を睨むと、にやりとまた不気味に笑った。

「なまえは半妖だからな。狭間にいるから、その存在は妖よりも希薄で捕らえにくい。気配を消して隠れようと思えばなまえには簡単なことだ。現に夏目ですらその姿を見失う」
「影薄いだけですよ。人間の血も流れていますから、気配を消さなければ誰にでも見えますけどね」

 照れたようになまえは笑うが、成る程。確かに全く分からなかった。
 でも、これなら藤原夫妻に気づかれることもなさそうだ。

「どうだ、夏目。しばらくなまえを傍に置いてはみないか? なかなかに面白いことになると思うぞ」
「楽しいのは先生だろ……俺はいいけど、なまえ。君はどうだい? 少しでもこちらのことが知りたいのならここに残ればいい」
「良いのですか?」
「もちろんだよ。君はもう、俺の友人だからね」
「ともだち」

 多軌がその言葉に反応して、難しそうな顔を和らげる。

「そうよね。私ももうなまえちゃんの友達だから! 夏目くん、私も遊びに来ていいかな?」
「多軌さま、でしたか。ありがとうございます……夏目さま、お願いしてもよろしいでしょうか」
「ああ。じゃあ、これからしばらくよろしく」

 俺が差し出した手を両手で強く握ったその手は、とても小さくてまろやかな温かみを持っていた。
 これから、なまえはこの家に滞在することになる。



  
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