はざまのひと  [ 13/39 ]


 にゃんこ先生は、俺の隣にいない。
 いつもいつも用心棒だと言っているくせに、俺を守ることなんてときどきしかない(そりゃあピンチのときには一番頼りになるんだけれども!)。そして今日もまたにゃんこ先生は俺の用心棒をお休みして、自分の用事を優先させたのだった。
 俺に会わせたい人がいるとかなんとか。
 にゃんこ先生の知り合いなんてろくなもんじゃないだろう。
 でも会わせたい人って言っていたから気になる。にゃんこ先生の知り合いなのに妖怪じゃないなんてなんだかおかしかった。
 ……そして俺は、心優しい藤原夫妻にあてがわれた部屋で、静かに寝ていることにしたのだった。

「きゃーっ!」

 耳をつんざくような嬌声ともとれる悲鳴。
 なんだかんだで聞き覚えのある声に俺の身体は素早く反応した。部屋の窓から身を乗り出すようにして、外を確認する。
 またにゃんこ先生でも見つけたのか。
 俺の予想はある意味当たっていた。

「な、なにこの子ーっ! かわいい!」
「にゃーっ」
「………………!」

 なんだこれ。
 俺は外の風景を見て、カーテンを閉めた。自分を落ち着かせようと深呼吸する。
 もう一度。開いたカーテンの先にはやはり、先程と同じ光景が広がっていた。
 多軌がいるのはいつも通り。にゃんこ先生が多軌に捕まっているのもいつも通りだ。そこまでの予想は当たっていたのだが、一つだけ奇妙なものが混じっていた。
 陣だ。
 多軌が少し前、呪いをかけられる理由にもなった陣の上にその少女は立っていた。

「斑、さま……!」

 がたがたと怯えたようににゃんこ先生に助けを求める声は鈴のよう。
 色素の薄い、柔らかそうな髪の毛。可愛らしい顔立ちをしている。同い年か一つ下といったところか。現代にはいささか古風な美しい蝶柄の着物を着ている。それとよく似た薄紫色の瞳に桜色の頬を持った少女は、多軌ににゃんこ先生ごと抱きしめられていた。
 少女もにゃんこ先生を抱きしめているが、多軌の抱きしめ方は格が違うといったところか。逃がさない、わたしのもの。多軌の心の声が聞こえてきそうである。

「人の家の前でなにしてるんだよ」
「なつめっ」
「夏目くん!」

 にゃんこ先生の助かったという声と、多軌の見つかったという声が連続で聞こえてくる。
 多軌の拘束が驚きで緩んだのか、すかさずにゃんこ先生が腕から抜け出す。そしてどろん、と煙が出たかと思うとにゃんこ先生は獣の姿になった。少女の着物の襟首をしっかり口に挟んで素早く自分の隣に降ろした。
 まるで宝物を扱うかのような優しい動作だった。素早いが、荒々しいものではない。
 多軌はむくれた顔でこちらを見上げた。

「夏目くんも下りてきて! 夏目くんに用があるんだって、この子」
「俺に?」
「そうだ、お前だ夏目」

 もしかしてあの子がにゃんこ先生の用事なのだろうか。
 俺は面倒くさいと思いながらも外に出た。

「やっぱりかわいい……」
「だから頬をすり寄せるな、怖がっているだろう」

 関わりたくない。
 獣姿のままで多軌をたしなめる先生にすがりつく少女は明らかに怯えている。
 今回の多軌の趣味は悪いとは言わない。むしろ普通に可愛いんだと思う。でも、多軌のテンションはおかしいだろう。
 と、俺に気づいたのか、その少女が涙ぐんだ眼を地面から俺に映した。
 視線が交わった瞬間、どきりと心臓が跳ねた。

「あなたが夏目さまですか?」

 近くで聞こえる声にも、いちいち戸惑う。
 この子、人間じゃない?
 直感だったが、間違いではない気がした。

「え、う、うん…………俺が夏目だけど」
「斑さまにレイコさまのお孫さんだと聞きました。私、なまえと申します」
「レイコさんをしっているのか?」
「なにせこいつの祖母はレイコの友人だったからな」
「レイコさんの?」

 頷く先生は、昔を思い出しているようにも見えた。

「人間でレイコとあそこまで親しかったのはあいつだけだった」
「へえ。えーと、なまえ? 君……その、」

 言いにくい。
 人間ですか、だなんて初対面で気にすることじゃあないだろう。でも、なまえと名乗った少女が放つ雰囲気は独特だった。
 そこにいるはずなのに、そこにいないかのような感覚。気を抜くと眼の前なのに見失ってしまいそうだ。紫色のその瞳も相まって、普通の人間とは到底思えない。決定的な存在感の欠落だった。そして、首だ。
 白くて細い首に違和感を感じた。必死でなにかを押し殺しているような空気。
 なまえは俺の態度でなにかを察したのか、小さく微笑んだ。

「……私たちを一目で見抜いたのは夏目さまが二人目ですね」
「君は」
「はい。私は普通の人間ではありません。どちらかと言えば斑さまたちに近いんだと思います」

 にゃんこ先生が彼女の名前を呼ぶ。なまえは首を振って悲しげな表情でこう続けた。

「私は妖怪と人間の血を持つ狭間の存在。気軽になまえとお呼び下さいませ」

 深く頭を垂れたなまえを、多軌が驚いた表情で見つめていた。



  
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