浮かび上がるいつかのゆめ  [ 7/39 ]




「お前、」

 梵さまが帰ってしまった後、ぼんやりとしていたら後ろから声をかけられた。今の今まで考えていたひとが、今ここにいた。
 露くんは相当不機嫌なようだ。初めての、あのときのように私を睨みつけている。

「梵天と仲良いみたいだな」
「……どうかしたの?」
「どうもしねえ」

 そう言って俯く露くんは、脆く壊れやすいなにかに見えた。すべてを拒否するような雰囲気を纏った今の彼に近づく術を私は知らない。
 ぽつり、と私の鼻に冷たいものが落ちてきた。雨が降り出す。あのときを再生し始める。

「だって、最初と同じ顔してる」
「俺はなにも変わってねえ。お前も、変わらない」
「なに言ってるの? 意味分かんない」
「俺にはお前が分からねえよ」

 縁側から降りて、露くんに近づく。露くんは顔をあげない。
 雨が遮るように、ただしとしとと降り続く。

「ねえ、」
「お前はいっつもそうだよな。にこにこ笑って、笑ってばっかで、」

 ようやく顔をあげた彼の視線が私を貫いた。軽蔑の色を宿したそれに胸がざわつく。自嘲するかのような声音で紡がれた露くんの言葉が私を抉った。
 ああ。とっくに拙い嘘は見抜かれていたのに。

「いつになったらそれ止めるんだよ。胸糞悪ぃ。仲良くなりてえとかいいながら、嘘吐くことしかしねえし。俺はお前なんか、大嫌いだ」

 崩れ落ちそうになる身体を必死で繋ぎ止めて、それでも苦しくて、言葉が頭の中をぐるぐる回る。彼を騙そうとしていたのは私なのに、どうしてこんなに悲しいんだろう。呼吸をするように嘘の笑いは浮かんでくる。それでも、露くんにはできるだけ嘘を吐きたくないと思っていたのに。嫌われるのが怖いから本当の気持ちを隠すなんて、誰もがしていることなのに。
 手を伸ばせば振り払われる。それが分かっているからなにも出来ない。

「人間はそうやって、俺たちを騙す。気を許したら負けなんだ。ろくなことにならねえ。梵天はどうかは知らねえが、俺は」
「梵さまは関係ない」
「関係あるだろ」
「関係ないよ。皆に嫌われたくないっていうのがそんなに駄目なことなの? 笑ってるほうが良いに決まってるじゃない。いっつも怒ってるようなひとに言われたくない」

 拳を握り締めた露くんが唇を噛んだ。殴りたいならそうすればいいのに。怒って、怒鳴って、もっと罵ってくれればいいのに。沢山の気持ちが溢れ出してしまいそうで、私は口をかたく閉じた。

「――お前言ってることと眼が真逆なんだよ。最初っからそうじゃねえか。自分が不快になるくらいなら言えばいいだろ! そういうとこがうぜえっつってんだ! なんだよその態度、」
「…………うるっさいなあ!」

 どろどろした気持ちが私を包む。もう止められない。知らない。言いたくて、言いたくなかった言葉が漏れていく。露くんが私を嫌いだというのなら、もう繕っている必要なんてないじゃない。

「じゃあ言わせてもらうけど! 私から見れば露くんのその態度の方がうざい! 露くんだって可哀想オーラ出してるくせに誰にもその理由は話さないし私が優しくしても平八さんのが仲良いままだし一回も私に笑ってくれないし! 嫌いだったら中途半端に優しくしないでよ! そういうことするからこっちだって踏み出せないし! 露くんほんっとう面倒くさい!」
「はあ!? んなの知らねえよ! つうかお前から話しかけてきたから答えてるだけで、俺には答える義務もなにも、」
「分かってるよ! だから言わなかったの! てかさ、未だになんでお前呼びなわけ!? それすっごい嫌いなんだけど!」
「そんなこと言わなきゃ分からねえだろ!」
「気づけよ馬鹿!」
「てかそもそもお前のその態度が悪いんだろうが! 友達になりたいだとか好きだとか馬鹿みてえなこと何回も言うくせに愛想笑いしかしねえし! 本音も出さない奴と誰が仲良くするか!」
「じゃあ今からなら仲良くしてくれるってこと!? なに、今から告白したら了承してくれるわけ!?」
「そういう話はしてねえだろ!」
「じゃあどういう話なのっ」

 もうわけが分からなくなって、私は露くんを睨みつけた。露くんだってまだ私を睨んでいる。けれど、その顔には少し赤らみがあった。それが少しだけ不思議で、怒鳴るのも忘れてじっと見つめてしまう。
 露くんが後ろに下がる。それを追いかけて、一歩進む。また下がる。追う。
 それを繰り返していくと、当然終わりが来てしまうわけで。ついに私は露くんを庭の端まで追い詰めた。傘を差していないから私たちはびしょ濡れになってしまっていた。

「……露くん、酷い顔だよ」
「お前のがぐしゃぐしゃだろ……」
「でも、好き」
「うるせえ……」

 彼は耐え切れなくなったのかとうとうしゃがみ込んでしまった。それを見下ろしながらなぜか私は安堵していた。
 雨はまだ、あがらないままだ。
(あのときの続きをしましょうよ。壊れたずぶ濡れの傘でも、私たちはきっと温まれるはずだから)



  
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