猫は餌をくれるひとがお好き  [ 4/39 ]



 今日の私は、いつもよりも少しばかり憂鬱な気分で座っていた。それというのも、久しぶりに会いにきた梵さまのせいである。彼はにやにや笑いながら私たちを見ている。
 そう、私たち。先日出会った少年が今、私の隣に座っている。沙門さんの家の近くにあるお茶屋さんで寛いでいたら、突然梵さまが露草さんを連れて現れて……今に至る。
 いつもは美味しいはずの熱い緑茶も味がしない。露草さんは苛々した様子で早速梵さまを睨んだ。

「おい、どういうことだ」
「何がだい?」
「分かってんだろ、とぼけんな! 俺は用事があるっつったから着いてきたんじゃねえか」
「そう睨むな。用事ならあるだろう、そこに」
「そこって言い方は良くないと思います」

 彼はこの状況を楽しんでいる。私が露草さんと仲良くなりたいのは事実だけれど、こんな場を設けてくれと頼んだ覚えはない。それに梵さまは自分でなんとかしろ、とか言っていたのではないだろうか。きっと彼のことだから、面白そうだという理由だけでこうしているのだろうけれど。
 露草さんは私の隣から梵さまの隣に移動しようとする。ここからすぐに逃げ出さない辺り、梵さまとはそういう関係を築き上げているのだと思う。
 ……本当は私が逃げ出したい。この前は平八さんの前だというのに、酷い口論を繰り広げてしまった。あんなことを言うつもりはなかったし、挑発だってしたくなかった。関係が悪化するのは分かっていながら、いつものように笑えなかった。ああもう、大失敗だ。

「おい露草。茶を飲んでいるときに立ち上がるなんて不躾だぞ」
「……ちっ」

 露草さんに謝りたいという気持ちはあるのだけれど、前回あれだけのことを言っておきながら今更謝るのはどうなのか。緑茶を飲んでもお饅頭を食べてみても、答えは出ない。下を向いてなるべく誰とも視線を合わさないようにしていると、ついに露草さんが痺れを切らしたのか大きく溜め息をついた。

「おい、お前」
「わ、私ですか」
「そうだよ。てめえ以外に誰が……あー、梵天もいるか。いや、そんなことはどうでもいい」

 顔を見ないで話をする、というのもあれなので恐る恐る露草さんの方へ顔を向ける。と、ばっちり視線がかち合ってしまってお互い気まずい雰囲気になる。眉間に皺を寄せたまま、露草さんがまた息を吐いた。

「お前この前俺に長々しく説教してなかったか? 挨拶もしねえなんて礼儀がなってないとかなんとかよ。自分のことは棚に上げてんのかよ」
「……こんにちは。その、この前は本当にすみませんでした!」
「は?」
「その、ほとんど初対面なのに酷いことばかり言ってしまって……。ちょっと言い過ぎました。ごめんなさい。ですから、その、」
「いや、そうじゃなくて……」
「ごめんなさい!」
「――これは傑作だねえ。はは、露草がこんなに間抜けな顔してるのは久しぶりに見たよ」

 梵さまの言葉にはっと我に返る。彼はぽかん、と口を開けて私を呆然と見つめている。いつもの眉の皺はなく、年相応のそれは綺麗な顔をしていた。先程までの鋭い視線は、ない。
 その顔に思わず笑みが零れる。

「笑うな! 梵天、お前もだ!」

 露草さんが真っ赤になりながら私と梵さまに怒鳴る。それすらも、面白い。きっと、このひとも私と同じ気持ちだったんだろう。前の雰囲気は最悪だった。それを払拭するために話しかけたに違いない。いや、そうであって欲しいと思う。
 離れていた距離を少しだけ詰める。もっと、このひとと話してみたかった。

「露草さん、私、実は初めて会ったときから貴方と話してみたかったんです。でも、貴方は私のこと全然見てくれないから……この前はいきなり怒ってしまって本当にすみませんでした」
「意味わかんねえ! つうかにやにやすんな! だああああああ、もう良い! 前のことは忘れてやる!」
「ありがとうございます!」
「なまえの勢いに負けたね」
「負けてねえ!」

 露草さんの顔は更に真っ赤になっていって、すごく可愛い。ああ、もう怒っていないみたいだ。
 あのときの態度から察するに、彼が人間が嫌いだというのは本当なんだと思う。けれど平八さんや鴇くんと仲が良いように、例外だっているんだ。きちんと話せば、私にも笑いかけてくれる日がくるかもしれない。
 そう考えると胸がほわり、と温かくなった。

「あんな必死に謝られても無視するような嫌な奴になる気はねえよ。話ぐらいなら、してやらないこともねえ」
「そこは完全に上から発言なんですね?」
「あ?」
「いえ、とっても嬉しいですよ! これからどうぞよろしくお願いしますね!」
「つうかよ、」

 露草さんが私を睨んで、視線をずらして、舌打ちをして。少し悩むような素振りを見せた後にそっぽを向いた。
 なんとなく照れ隠しなんだろうなあ、と推測する。

「敬語とか、さん付けとかいらねえ。どうせんなに歳も離れてねえんだし、気持ち悪いから止めろ」
「……良いんですか? なんか、仲良しみたいになっちゃいますけれど」
「仲良しじゃねえ! 慣れてねえから止めろって言ってるだけだ、勘違いすんな」
「じゃあ、露くんって呼んでも良いかな」
「……好きにしろ」

 まさかの提案に頬が緩む。どうしよう、すごく嬉しい。こんなに早く知り合いになれるなんて思ってもみなかった。露くんの気持ちも、性格もまだまだ分からないことが多いけれど、なんとか知り合いにはなれたのだ。
 いつか、このひとの悲しい顔の理由も分かるようになれれば良い。

 私がこの幸せに浸っていると、梵さまの空気を読まない声がお茶屋さんに響いた。

「良いことを教えてあげるよなまえ。君と会った日からずっと、変な女がいたってうるさかったんだよ。全く迷惑な話だろう? 毎日毎日あいつがうざい、うざいって。この間? 君たちが喧嘩した日からは酷いこと言ったって落ち込んでたしね……おい、露草? なんだい怖い顔して……」
「梵天、てめえ!」
「それじゃあねなまえ。またこの馬鹿がきたときは存分に楽しむといいよ」

 そういうと梵さまはひらりと身を翻して走り去ってしまった。
 それをすぐに追いかけた露くんは、ちらりと私を見てから同じように消えてしまった。
 ……ああ、胸が熱い。
(きっと最初から、だからあんな風になってしまったのね)




  
- ナノ -