雨に濡れる猫がいる  [ 1/39 ]




 ざあざあと降る雨の中、ひとりの少年が立っていた。見たことのない、顔だと思う。わたしも最近この世界に来たばかりで、知り合いといえば数えられる程度しかいないのだけれど。
 その男の子は鴇くんよりも奇抜な髪色をしていた。緑色だ。彼がじっと見つめているそれによく似ている。
 彼の視線はひとの手によって荒らされたであろう、森に向かっていた。
 ここにも少しばかり慣れてきて、お使いを頼まれるほどになった。けれど、あんなひとを見たのは初めてだ。もしかしたら、危ないひとかもしれない。それでもそのひとを見過ごすのは、なんだか嫌な気がしたのだ。

「……あの、風邪を引いてしまいますよ」
「あ?」

 声をかけると、そのひとはくるりと振り返った。不機嫌だというのが一目で分かる。ああ、やはり、しくったなと内心舌打ちする。そんなこと億尾にも出さず、笑顔で振舞うのだけれど。

「ですから、風邪を引いてしまいます。そんなに何を熱心に見ていらっしゃるのですか」
「お前ら人間が枯らしたあいつらを見てんだよ。分かるだろ、さっきからじろじろ見てたんだから」
「そんなに見ていた覚えはありません」

 彼は値踏みするようにこちらを睨みつけた。変なひと。親切心で声をかけたのに、喧嘩腰になることはないじゃない。そのひとは鼻を鳴らして、わたしから視線を逸らした。
 それがなんだか苛ついて、わたしも些か乱暴な口調になってしまう。

「なんですか、その態度。初対面のひとを睨むなんて礼儀がなっていませんね」
「んだと? なことお前には関係ねえだろ。人間にとやかく言われたくないね」
「……人間?」

 なにかおかしい。先程から、彼はわたしを人間と呼ぶ。まるで自分は他の種であるかのようだ。
 彼はまた荒れた森を眺めながら、わたしの疑問に答えた。

「ああ、俺は妖怪なんだよ。お前らとはちげえんだ。分かったらとっとと帰れ」

 知るかそんなこと! と叫びそうになるのをぐっと堪える。現代にいた頃は妖怪なんて子供だましの、若しくは古い考えだと思っていたが、こちらの世界ではそうではないのだ。わたしの常識は通用しない。鴇くんだって、妖怪によって視力を片方奪われてしまったのだから。油断はできない。

 それでも謙る態度はしたくないし、おめおめと逃げるなんてもっての外だ。わたしはそのひとを正面から睨みつけた。

「わたしたちが枯らしたってどういう意味ですか」
「そのままの意味。お前らが家を建てるとか墨がなんとかって森を壊していくんだ。つうか、帰れっていっただろうが。そろそろ潰すぞ、お前」
「そういうことですか、ありがとうございます。あと、わたしはお前じゃなくてなまえです」
「……うっせえな。謝りもしねえのかよ。しかも名前名乗ってなにしてえんだよ、お前。意味わかんねえ」
「だってわたしがしたことじゃないですし。それとも、貴方はわたしの友人の視力を奪ったことを謝ってくれるんですか? 同じ、妖怪として」
「まじ意味わかんねえ。帰れよ」

 緑色の髪の毛は、華奢な身体は、尚も冷たい雨に打たれている。それなのに手負いの獣のようにこちらを睨みつけ、嫌悪感を剥き出しにする彼に興味が沸いた。むかつく。でも、面白いじゃない。
 わたしは自分を雨から守るために差していた傘をその少年に突き出した。ぎょっとした眼でこちらを見ながら、彼は意地悪く笑った。

「はあ? なんのつもりだよ。人間さまの施しはうけねえ。馬鹿にすんな、この偽善者が」
「貴方目立つんです。わたしみたいな偽善者に話しかけられたくなかったらそれでも差して精精目立たないようにしておいてください。あと、わたしの名前はなまえですから。貴方にはまた会う気がするので――どうぞ、覚えてくださいね」
「はっ」

 わたしは微笑みもせず、真っ直ぐ歩き出した。もう彼を振り返ることはしない。これ以上しつこく絡んでいたら本当に殺されるかもしれないし。

 歩きながら、わたしは肌に塗りつけた白粉が流れていくのを唯感じていた。

 翌朝、彼がいた森の小道に行ってみると、見るも無残に引き裂かれた雨傘が捨てられていた。
(かくて世界は廻りだす)



  
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