わがまま  [ 27/39 ]



 昨日のことがあり、あまり眠れないまま俺は朝を迎えた。なまえが戻ってくるなんてことはなく、にゃんこ先生もさすがに疲れてしまったのかまだぐっすりと眠っていた。眼をこすりながら、今日のことを考える。
 あいつがいなくなるということが、こんなにも大きいことだなんて知らなかった。いつの間にかなまえは俺のかけがえのないひとになっていて、それは友人としてではなく、恋だということも――昨日自覚したばかりだったのに。彼女は俺に何も言わず、消えてしまった。こんなに焦ったのは、久しぶりだったかもしれない。昔の俺は何も持っていなかったけど、今は失くすことがこんなにも恐ろしい。
 とりあえず学校に行って、多軌に事情を話すことが先決だろう。なまえと多軌は仲が良く、俺の前で笑うのとは雰囲気が違ったように見えたから。多軌も、なまえを大切に思っている。
 俺は急いで支度をし、いつもより早く家を出た。

「ごめん、多軌さん呼んでくれるかな?」
「な、夏目くん!? 分かった、ちょっと待っててね!」

 学校に着いてすぐ多軌のクラスへ行き、近くにいた女子に頼んで呼んでもらう。数分の内に友達の輪から抜け出した多軌がこちらに向かって駆けてきた。

「おはよう、夏目くん。どうしたの? 会いにくるなんて珍しいね……何かあった?」
「ああ。ちょっとここではしにくい話なんだけど、抜けれる?」
「うん、大丈夫よ。それじゃあ中庭でも行こうか」
「ごめんな」
「良いの良いの。夏目くんのそんな顔見たら断れないし、ね」

 ひどいクマだよ、と多軌に指摘され俺は苦笑する。朝に顔を洗ったときにも思ったのだが、やはり目立つらしい。
 そうして無言のまま、二人で中庭まで来た。すう、と深呼吸をして多軌にまっすぐ向き直す。
 多軌も何かしら空気で読み取ったのか、真剣な顔をしていた。

「あの、な。驚かないで欲しいんだけど……昨日の夜、なまえが山へ帰った」
「なまえちゃんが?」
「ああ。俺に何も言わずに、にゃんこ先生に頼んで帰ったんだ」
「……そっか。そうだったんだ」
「驚かないんだな」

 動揺した様子のない多軌に眉をひそめる。あまりに落ち着いているので、まるで予測していたんじゃないかと思ってしまう程だ。多軌はそんな俺の様子に気づいたのか、手を振りながら眉を下げて見せた。

「多分、そうだろうなって思ってたの。なまえちゃん、最後に会ったとき雰囲気が違ったから。驚いてないわけじゃないんだけど……うん、やっぱり寂しいよね」
「それだけ、か?」
「どういう意味?」
「多軌はなまえと仲が良かっただろ? それだけで済むものなのかって思って……。ごめん、責めてるわけじゃないんだ。まだ頭の中が混乱してて」
「ううん。夏目くんはそれで良いと思う。だってなまえちゃんのこと好きなんでしょう? それなら仕方ないよ。私は確かになまえちゃんの友達だけど、なまえちゃんを苦しめてまでここに置いておきたいとは思わないから。夏目くんがしたいのはそういうことだよね」

 多軌の淡々とした言葉に、唖然とする。俺がなまえを好きなことに気づいていたということにも驚いたが、なまえを苦しめるという内容に引っかかった。多軌は微笑みながら、話し続ける。

「夏目くんはなまえちゃんを傍に置いていたいと思ってる、正解でしょ?」
「……ああ」
「でもそれはわがままだよ。夏目くんがそうしたいだけ。それは分かってるよね? なまえちゃんが夏目くんに何も言わずに出て行ったのは、伝えたら出て行けなくなることを分かっていたから。今の夏目くんはいつになく焦ってるから冷静な判断ができない。夏目くんがどうしてもそうしたいなら私に止める権利はないし、手伝ってあげたいとも思う。でもそれはね、すごく難しいことなんだよ」
「わが、まま」
「そう。なまえちゃんの意思を尊重しない酷いやり方だよ。だってなまえちゃんは<蝶の娘>なんだよ? 夏目くんがなまえちゃんを好きって思ったって、誰にも紹介できないし、一緒に暮らすのだって今までみたいに隠していかなきゃいけない。あの子は苦労するだろうし、夏目くんももどかしい思いをする。それでも一緒にいたいの? あの子以外を好きにならないって今ここで誓える? そうじゃなきゃ、……<蝶の娘>は壊せない。これは友達としての意見。そして、<蝶の娘>に関する文献を調べた上での、意見」

 その真剣な瞳に、俺はたじろいだ。好き、好きだと思っていたが、それだけじゃ駄目なんだ。
 なまえは人間でも妖怪でもなくて、戸籍なんてないだろう。俺ですら姿を見失うことがあるのに、他の子と同じように暮らしていくなんてできるわけがないのだ。その重大さに、気づいていなかった。多軌はなまえをよく知っている。多分、俺よりも。多軌も考えていたのかもしれない。なまえがここで暮らしていくために何が足りないのか、ずっと。
 この先どんなことがあるのかなんて分かるわけがない。もしかしたらなまえを悲しませたり、一緒にいなければ良かったと思うようなことがあるかもしれない。
 それでも、わがままでも俺は――。

「お願いだ、多軌。力を貸してくれ」
「ちょっと夏目くん。私の話、」
「聞いてた。その上で、頼む。多軌も必要なんだ。俺のわがままを突き通すには、多軌がいないと駄目なんだ。ここに残れば良いことが沢山あるって教えてやるんだからな」
「……それで後悔しないっていえる?」
「ああ。俺は、なまえが好きだから」

 自然と笑みが零れていた。今ならきちんと言える。俺は、なまえが傍にいないと駄目なんだ。あの危なっかしくて、素直で、世間知らずで、可愛いあの子の笑顔がないとどうしようもなく寂しいんだ。
 だから、なまえが嫌だっていっても、少しでも俺のことを想ってくれるなら。

「俺はなまえを連れ出すよ」
「それはなまえちゃん本人にいってよね」

 少し涙目の多軌のでこぴんは、すごく痛かった。
(さあ、始めよう)
(君は俺の隣にいるべきなんだ)



  
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