決めたことはひとつだった  [ 26/39 ]



 あの後ひとしきりにゃんこ先生を殴った。止めたのは、にゃんこ先生の悲鳴も何も聞こえなくなっていたときだった。
 かなり殴っていたらしく、何か相当先生はグロッキーになっている。俺のせいだとは分かっているけど、まだ怒りは収まりそうになかった。本当は美穂乃をぶん殴ってやりたいのだが、それは流石にできないし、これで良いんだと自分を納得させる。

「おい、にゃんこ。なまえの居場所知ってるだろ? 吐いてくれ」
「……」
「狸寝入りは通じないぞ? 分かってるんだからな」
「お前は本当にかわいくないな……」
「かわいかったら気持ち悪いだろ。で、どうなんだ」
「知ってお前はどうするつもりだ」
「ぶん殴り……いや、会いに行く」
「今不穏な言葉が聞こえたぞ夏目!」
「まあ良いじゃないか。教えてくれよ」
「ひとをあれだけ殴っておいてよくそんなことが言えたな! というかお前私は悪くないだろーっ!」

 確かにな。それもそうなんだけど、謝るのも癪なので俺はそれをスルーした。そんなことよりなまえのことだ。流石に俺も朝日が昇る時間に何かをしようとは思っていない。もちろん学校にも行く。その後会いに行くつもりだ。
 にゃんこ先生はいつものブサ猫の姿に戻り、とてとてと家の中に入っていった。俺もそれに続き、部屋に入ってからはああと溜息をつく。
 怒りで我を忘れてしまったが、本当に急すぎる。
 なまえは幸せそうに笑っていたし、俺も出来る限りのことはしてやったと思う。それなのにいきなり帰ってしまうなんておかしいじゃないか。まさか、多軌の話していたことと関係があるのだろうか。
 俺が彼女の中から出てきた<蝶>たちと話し、分かったことがある。<蝶>はなまえを愛している。人間を憎むことは全て一族を想っている証拠だ。自分だけが迫害されたんじゃなく、母も祖母もきっと娘も嫌われてしまう。その繰り返しで、妖払いに退治される度に願ったのは娘たちの笑顔。誰もが同じ願いを持ち、今度こそはと期待する。けれど自分たちを受け入れてくれるのは妖だけで、やがて彼女たちは諦めた。


「<蝶>は娘を守りたいだけなんだ。人間に裏切り続けられ、臆病になってしまった<蝶>は娘を守るために人間を憎む。元は同じだったはずなのに、どうしてこうなってしまったんだろう」
「……そうか、お前は分かったのか」
「<蝶>と話したんだ。なまえを嫌いになってくれと言っていた。嫌だと返したら、どこかに消えていったよ」
「そしてなまえは揺らいだのか。お前と今までのどちらを取るか」

 にゃんこ先生は俺の頭にのしかかり(重い)、ゆっくりとした口調で語る。俺はそれを静かに聞く。

「私は何度も<蝶>を見てきた。だが人間と結ばれた<蝶>はいなかった。なまえはいわば前例のない異端だ――――妖と子を成した、始まりの<蝶>のように。既に狭間の者としての血は薄く、なまえ自身も気づいていないだろうが、あいつはほとんど妖になっている」
「ああ」
「夏目とあの子が一緒にいれば立場が逆になり繰り返すだけだ。だから、諦めろ。そう言うつもりだったんだが、」
「言わせないよ」
「だろうな。お前はレイコに似て妙なところで頑固で困る」

 先生は苦笑しながら、俺の頭の上からひらりと降りた。
 なまえだって悩んだんだとは思う。今まで人間と話したことはなかったと彼女は言った。当然だ。ずっとずっと、繰り返し嫌われてきたのに自分から交流を深めようなんて思う奴はどこにもいない。俺だって、そうだった。温もりなんて要らないと思っていたかったんだ。だけど、一度触れてしまったら抜け出せはしないこともよく知っている。
 なまえにとって俺が、少しでも落ち着ける場所であったなら――俺は、これからもそうでありたいと思う。なまえが隣で笑ってくれていたら、それだけで幸せなんだと胸を張っていえる。
 だから、これは俺のわがままでしかない。

「なまえは俺が幸せにする。絶対に。だから、俺は<蝶>からなまえを奪うよ」
「お前今相当悪い顔してるぞ」
「そうか? にゃんこ先生の眼が悪いんだろ」
「ま、あいつは夏目を連れてくるなとは言わなかったしな。明日にでも迎えにいくんだろう? 私はもう、止めない」
「ありがとう。それと、ごめんなさい」
「もう慣れた」

 なまえが本当に人間が嫌いで俺の顔も見たくなくて多軌に向けた笑顔も嘘だったなら。
 そう考えて、俺は笑った。
 だったら好きになるわけないだろ。
 彼女が俺の隣にいるように、<蝶の娘>なんてものはぶっ壊してしまおう。とんだ独占欲だと俺は瞳を閉じた。

 最後の<蝶の娘>の命は、俺がもらう。



  
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