さようならをうたうよ  [ 24/39 ]




 自分のことが嫌だった。どうしようもないんだ、そう考えても解決するわけもない。私は人間ではないのだから。私が今まで、夏目さまのそばにいれたことが不思議なんだ。高望みなんてするんじゃない。私はもう十分に楽しんだ。それならもう、未練はないはずでしょう?
 夢から覚めて、瞳に光が差し込む。起き上がると、夏目さまの姿が眼に入った。安らかな顔をしている。
 ――――私は決して報われることのない、恋をしている。

「……斑さま、いるのでしょう? 出てきてください」
「何だ。気づかれていたのか」
「もちろんです。斑さまは確かに気配を消すのが得意でしょうけれど、私には及びませんよ」
「そうだったな」

 斑さまが窓からひらりと入ってくる。あの可愛らしいにゃんこの姿だけれど、ぴりりとした空気の中では笑うこともできない。この様子では、今さっきここに来たというわけではなさそうだ。斑さまは私の隣に座り、はぁ、と溜息をついた。

「どうした、眠れないのか?」
「いいえ。もう、私は満足したのです。ですから」
「つまり山に帰ると?」
「……はい。その通りです」

 心に決めたはずなのに、口に出した途端言葉が胸に重くのしかかってくる。今すぐそんなことはありません、私はずっとここにいますと叫んでしまいたい! 私はまだ夏目さまの隣にいたい。しかし、私が人間ではないという事実は変わらないのだ。斑さまの瞳は優しいけれど、なにかを悟ったような顔をしていた。斑さまはいつもそうだ。何も言わなくても私のいいたいことを分かってくれて、先へ先へと導いてくれる。私はそんな斑さまにいない父の姿を見て、甘えていた。

「夏目が嫌いか? 違うな。お前はそうではなく、夏目を好いている」
「否定は、しません」
「<蝶>であることに引け目を感じているということか。夏目はそんなことを気にしてはいない」

 そうなんだろうな、と私は眼を伏せた。夏目さまのことはよく斑さまからずっと聞いていたのだ。妖にも人間にも分け隔てなく与えて与えられて、そうやって生きてきた。私にはできない生き方だ。心のどこかで人間を憎んでしまいそうになる私がいる。続いてきた流れを断ち切ることは難しい。妖を愛せ、人間を憎め。私の頭の中には<蝶>がいる。彼女たちの無念を忘れることなんてできない。
 それになにより私は怖い。いつかきっと夏目さまとの違いを見せつけられて、嫌われてしまうのだから。

「では、送ろうか」
「え?」
「……元居た場所に送ろうといっているんだ。お前が望むのならばそれで良い。夏目には私が上手く口ぞえしといてやろう」
「斑さまは……反対すると思っていました。夏目さまに挨拶をしろとか、そういうことをきちんとしなければと思っていたのですが」
「そうしてほしいのか?」

 びくり、と身体がはねた。やっぱり見透かされている。私はずるい生き物だから、斑さまに引き止めて欲しいと思った。
 意識がどんどん冴えてくる。怖い。怖い。怖い。今すぐにここから離れなければいけない。そうでなければ私は彼らに迷惑をかけてしまうことになる。
 大きく息を吸って、夏目さまと多軌さまを想った。人間と妖、どっちつかずの私に二人はとても優しくしてくれた。ありがとうございます。そう呟いて、私は銀色の毛を風になびかせる斑さまの背中に乗った。

「行きましょう。よろしくお願いします」
「ああ」

 楽しかった。
 多軌さまに抱きしめられて、初めて人間の温もりを感じた。夏目さまに頭を撫でられて、柔らかい喜びを知った。誰かの愛がこもったご飯を食べて、お風呂に入って、夏目さまの隣で一緒に寝た。多軌さまの洋服を貸してもらい、斑さまと散歩をして。
 まるで人間みたいじゃないか!
 泣きたくなる喜劇に、私は別れを告げる。月に照らされる人間の居場所は手が届かないからか、とても美しく見えた。



  
- ナノ -