すれ違い  [ 22/39 ]



 なまえが、戻ってきた。彼女はいつものように笑っていたから、俺も多軌と顔を見合わせて安心したのだった。
 俺はどうだろうか。変わらない俺でいるだろうか?

「おかえり、なまえ」
「楽しんできたー?」
「はい! とっても! 斑さまって色々な場所のこと知っているんですね。また見直しましたっ」
「ほほほ。もっと褒めるがよい!」
「斑さま格好良いー!」

 なんか馬鹿っぽいやりとりをしている二人(?)を見て、違和感を覚えた。なんだか、なまえの眼がはれているような気がする。化粧が気になって眼でも擦ったのかな。
 多軌はじゃあお化粧落とそうね、となまえの手を引いて二階へと上がっていった。多軌は俺に対して遠慮がなくなってきたよなあ、と苦笑する。最初のときは名前を呼んでしまってごめんなさいだとか言われていたというのに……。

「おい、夏目」

 俺も二人を追って中に入ろうとすると、にゃんこ先生が厳しい声で俺を呼び止めた。にゃんこの姿だというのに、その視線は鋭い。
 二人きりのときに何かあったのだろうか。妖が現れた、だとか。

「なまえのことだ。お前、小娘から話を聞いたんだろう」
「多軌からか? ああ。一応な」
「……どう思った? 嘘なんぞはいらん。お前の素直な感想を聞かせてくれ」
「それは」
「これからあの子が暮らしていく上で、それはとても大切なものになるだろうからな」

 にゃんこ先生は家の二階を見上げる。そこには多軌となまえがいた。二人とも楽しそうで、すごく、幸せそうだ。
 多分先生はなまえをとても大切に思っているんだと思う。友人帳を持っている俺と同じくらいに必要としている。俺はまだなまえ自身をよく分かっていない。ここに来てから一週間かそこらしか経っていないし、圧倒的に過ごした時間が少なかった。
 先生は、ずっと彼女を見てきた。この優しさは、まるで家族に対するそれのようだった。

 ならば俺も真摯に答えなければ失礼だろう。

「気持ち悪いとか、」
「…………」
「そういうことは全然思わなかったんだ。でも彼女はきっと――人間を憎んでいると思った。だってそうだろう? 俺だったもし、塔子さんや茂さんを同じように扱われたら嫌いになってしまう。なまえはそんな中で生きてきたんだ」
「ああ」
「なら、許せないと思う。でも、俺は教えてあげたいと思ったんだ」
「教える? 何をだ」
「人間は汚いよ。自分とは違うものを排除しようとする。でも、それでも俺は人が好きだ。少なくとも俺の周りに居る人たちはそんな人間じゃないって教えてあげたいんだよ。全員がそうじゃなくても、きっと」

 にゃんこ先生は驚いたような顔をして、俺を見上げた。
 それから視線を地面に落とし、そのままゆっくりと家へと歩き出した。俺もそれを急いで追いかける。

「そうか、そうか」
「な、なんだよ。俺は変なこといったか?」
「いや? なんともモヤシらしい答えだったぞ。……それが、お前の気持ちなのだろうな」

 いつになく陽気な声が気持ち悪い。なんだこれ、酔っ払った親父みたいな。
 俺たちはそのまま二階へと上がる。化粧を落とし、いつもの紫色の着物に着替えたなまえと多軌が俺たちを出迎えてくれた。

 なまえは笑っている。
 その笑顔の裏で、俺を嫌いだと思っているかもしれない。こんなに仲が良さそうにみえる多軌のことを罵っているかもしれないのだ。けれど、それを俺は否定する。俺が知っている彼女は世間知らずで、少し悲しい笑顔を見せる――普通の少女だったのだから。

「それじゃあ私はそろそろ帰るわね。なまえちゃん、また今度! 夏目くんはまた明日ねっ」
「はい。今日は本当にありがとうございました」
「また明日な」
「にゃんこちゃんもしばしのさよならーーーっ!」
「やめええええい首が絞まるわー!」

 多軌はそういって元気よく帰っていった。なまえは小さいながらもしっかりと手を振っている。
 俺は心の中で今日教えてもらったことを整理していた。
 <蝶の娘>と呼ばれているなまえ。人間と妖が恋をして生まれた狭間の子供たち。その希薄な存在は自分たちに優しくしてくれる妖を求め、その血を強くしていった。そして、決して人前には姿を見せずに山奥で静かに暮らしていた。何度も何度も同じように両親を妖払いに殺され、人間への憎しみを募らせていっただろうその娘たちは<蝶>を持っている。<蝶>は娘の身体に代々受け継がれていき、娘を愛した妖たちの形見のようなものだ。
 なまえは、何を思っているのだろう。
 少しでも彼女の苦しみを俺が理解してあげれたら、彼女は楽になるのだろうか。そんなことを思いながら、俺はなまえの頭を撫でることしかできなかった。

「……大丈夫、だよね。なまえちゃん……」

 多軌の呟きなんて、知らないまま。



  
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