私も、きっと  [ 21/39 ]



 着慣れない洋服なるものを着て、私と斑さまは夏目さまの家の周りをくるくる歩いていた。今日は少し風が強い。
 それでも初めてというのはこんなに楽しいものかと、足が軽くなった。そんなときだった。
 斑さまが立ち止まって、そのぷりちー(らしい)な瞳をこちらにじっと向けてきた。

「夏目のところでの生活はどうだ。慣れてきたか?」

 斑さまが優しく私に問う。どう答えたものか、と少し悩んでしまう。
 夏目さまは良い人だ。私を気味悪がったりしなかったし、妖相手にとても心を砕いていると思う。それは並の人間ができることではない。

「楽しいです。まだ難しい道具などはありますけれど、最近では少しずつ使い方も憶えてきましたし……」

 だからこうやって曖昧に答えることしかできない。私はずるいと思う。
 分かっている、のに。
 斑さまが聞いているのはそういうことではない。

 人間。私にも半分だけだけれど、その血が流れている。それでも私はその種族が好きになれなかった。どう足掻いたって怖いのだ。優しい顔をしていてもいつかは牙を向くとずっと教えられてきた。
 お母さまと、少しの妖怪しか居なかった私に下界を教えてくれた斑さま。私は斑さまが話す夏目さまの話大好きだった。けれど逆に、いつもはらはらしていた。
 こんなに入れ込んで大丈夫なのだろうか、と。
 裏切られたとき、彼はどうなってしまうのだろう。人間の寿命が来たときに彼はいつものように笑ってくれているだろうか。
 それだけが怖くて。

 そして夏目さまに私自身が出会った。その気弱そうな容姿に似合わない芯のある瞳に全てを見透かされた気持ちになった。一目で私が人間ではないことに気づき、私を受け入れた。
 夏目さまと暮らし始めた。多軌さまと仲良くなった。その優しさに触れるたび、やはり私は怖くなった。
 私はこの人たちに騙されたとき、裏切られたとき、気持ち悪いと拒絶されたとき――――果たして、人間を憎まずにいられるだろうかと。

「なまえ。人間は嫌いか」
「分かりません」
「夏目や多軌が憎いか」
「……分かりません」
「私がお前をここに連れてきたことを、恨んでいるか。会わなければ良かったと、後悔するか?」

 分からない。私には分からない。
 多軌さまは私のことを知っている。私の先祖たちが人間に虐げられてきたことを知っていて、なお優しくしてくれる。それは同情かもしれない。夏目さまだって、先日私の<蝶>を見てしまった。お父さまたちが私たち<蝶の娘>に残していったあの、力を。
 私ですらそれら全てを愛することなんてできないのに、どうして他人の夏目さまたちがそれを受け入れられる?
 そんな保障はどこにもないというのに、私は。

「嬉しいんです。夏目さまに優しくしてもらって、多軌さまとあんな風に笑えて。私は、すごくすごく、それが、好きでっ……! だから、壊したくない! このままずっと、いられたらって、思ってしまうんです。私がそんなことを願うなんていけないことなのに! 私のお母さまや、お父さまを思えばこんなこと、許されない、のに」

 二人とも妖払いに殺された。不浄なものだと殺されていった私の一族。
 ああ、出会わなければ良かった。私は夏目さまの話を聞いているときが一番幸せだったんだ。斑さまが語ってくれるその少年は、いつだってきらきら光っていた。人間が大好きで、誰よりも弱くて、強くて、妖も全部その腕に抱きしめて。そんな少年に、私は恋をしていた。

 出会わなければ。

「私は、そろそろ山に帰ろうと思います」
「それは、唐突だな」
「いいえ。だって私は、少しだけ山の外をみるだけのつもりでここに来たんですよ? 目的は果たしました。私はもう十分すぎる程に人と触れ合いました。私はやはり、ここに居るべきではない」

 気づいてしまった。所詮私は狭間の者なのだ。約束の日がきてしまえば、人間と妖のどちらかを選択しなければいけない。まだ私は迷っているというのに。
 こんなぐちゃぐちゃの気持ちで夏目さまの笑顔を曇らせるわけには行かない。
 それが私の――。

「だって私は、<蝶の娘>なんですから」

 私は精一杯の笑顔を見せたはずなのに、斑さまはとても悲しそうな顔をしていた。
(最後のお願いです)
(どうか、あの優しい人たちの前では私を何も知らない女の子にさせて下さい)



  
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