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大好きな人に抱きしめられる瞬間というのはこの上ない幸せというものだけど、私にはひとつだけ慣れないことがある。ああほら、また。彼の広い胸に顔を押し付けるようにして抱きしめられるがままになっていたのに、キスを求められて、それから決まって唇が肩口へと下降していく。通った鼻筋がなだらかなラインをくすぐるように這わされて、狙いをつけて、柔い首筋に犬歯が刺さる。


「っ、」


思わず息を呑んで、びくりと背が跳ねると、気をよくしたかのように彼から吐息が漏れた。笑ったように、猛る欲を吐き出したように。肌に歯を立てられる鈍い痛みはどうやっても慣れることができないけれど、この漏れる吐息を聞くのは好きだった。ゾクソクと背筋を這い上るように興奮がやってきて、私も同じように息を漏らした。けれど場所を移動しながらも断続的に続く鈍い痛みについに我慢できなくなって、そのグレーの髪を掴んで彼の顔を肌から引き離す。


「ってーな、何すんだよ」

「それこっちの台詞!いたいってば!」


噛むのやめてっていつも言ってるでしょ、と憤慨したように言えば、一瞬呆けるものの、たいして気にした様子もなくにたりと笑う。噛まれるの好きだろ、と言われてもそれは全くの誤解で、ただアンタが噛むの好きなだけでしょ、と言い返してやりたくなった。けれどそれを言う前に気持ちよさそうにしてるなんて言われて二の句が継げなくなる。確かに蘭丸の吐息を感じるのも聞くのも好きだけど噛まれるのはすきじゃないし、そこまでドMになったつもりはない。


「アンタ噛むのは好きだけどその痛みは全然わかってないでしょ」


あ?と面倒そうな声にむかついて、一気に体重をかけて押し倒した。ソファーのスプリングが軋んで、何すんだよと怒った声が聞こえる。けど気にしてやらない。


「おんなじことして教えてあげる」


反論を聞く前に自身の唇で彼のそれを塞いで、それから徐々にその唇を頬へ首筋へ肩へと這わせて言った。軽いキスを落としていきながら、さてどこに喰らいついてやろうかと品定めをする。ふと思いついて、程よく引き締まった二の腕へと狙いを定めて、唇を押し当てた。舌を肌の感触を確かめるようにして滑らせ、内側の柔い部分にそっと吸い付く。引き締まった筋肉を感じるけれど、伸ばした腕、内側の肉というのは柔らかで、そのまま歯を立てて噛みついた。瞬間、普段嗅いでいる慣れた蘭丸の匂いがいっそう強くなった気がして、これならいくらでも歯を立てられそうと思った。気を抜くとそのまま食いちぎってしまいそうなほど、柔い感触と、舌でなぞるきめ細かな肌の感覚に酔いしれる。そっか、これは噛み癖がつくのもわかるかもしれない。男の蘭丸でさえこれだけ芳醇に感じるのだから、女の、しかもそれなりに肉付きがよろしいと自覚している私の身体ならば、それは余計に感じるだろうと思った。半ば陶酔したように肌を味わっていたら、痺れを切らしたらしい蘭丸が「いってーよ!!」と無理矢理私の頭を掴んで引きはがした。ちゅるん、と滑っていとも簡単に離れた唇に残った肌の感触が、少しだけ寂しい。


「痛ぇだろうが」

「わかった?私の気持ち」


首を傾げて問えば、返す言葉が見つからないようでふいと視線を逸らされた。でも私も蘭丸が噛みたがる気持ち分かっちゃったからおあいこかなぁ、なんて思いながら先程まで噛んでいた腕を見れば、見事な歯型がしっかりくっきり残っていた。しかも肉を引きこむように吸ってしまったもんだから、若干鬱血していて余計に痛々しい。半袖を着てなんとか隠れる位置、けれど仮にもアイドルの御肌にこの痕というのはやりすぎたかもしれない。


「どうすんだよこれ」

「やりすぎちゃった」

「やりすぎちゃった、じゃねーよ!見つかったらどうすんだ、暫く消えそうにねーぞ」

「なんとかして?私の愛の印だから」

「ふざけんな」


びしっと額にデコピンが一発。目の前がくらくらしそうなほど額の一点に痛みが集中して、涙目になりながら痛みをやわらげるように掌でさすった。ざまあみろと言いたげな口元がむかつく。


「だいたい、蘭丸だっていつも痕残してるじゃん!隠れるように洋服選ぶのだって大変なんだからね!」

「どうせ肌見せる相手は俺しかいねぇんだからいーだろ」

「私だってお洒落したいの!」

「夏だからって露出すれば洒落てると思うなよ馬鹿」


もう一発デコピンをくらいそうになって慌てて避ける。うっすらと気付いていたけれど、蘭丸の噛み癖は夏になると多いから、実をいうと独占欲の現れなのかもしれないと思った。肌を見せたくないから、隠させるように痕を残す。まるで子供みたいだ。そしてじゃれあって噛みつく様はまるで狼のようで、それならいっそ本能的に彼を求めてしまおうかと思って笑う。お気に入りの首筋に顔を埋めて、痕が付かないよう慎重に加減をしながらその脈打つ箇所に歯を立てる。それを合図にしたように世界がひっくり返って、今度は私が噛みつかれる番だった。



130617

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