第2回 | ナノ
※監視官夢主/捏造設定


 三係は激務に追われていた。
 事の発端は半月前。児童が相次いで誘拐される事件が起こった。その被疑者とおぼしき潜在犯の調査を二チームに別れて、別々の視点で捜査していたのだ。
 それが片付いたのが三日前。報告書を上げて諸々の雑務をこなし、ようやく平常に戻った。
 そして、念願とも云える休日を勝ち取れたのだが、多忙続きで碌に休んでいなかったこともあり、どんなふうに休日を過ごせばいいのか悩んでしまうのは仕方ないことだろう。
 わたしっていつからこんな仕事人間になったんだろ。そう独りごちてみるけれど、答えてくれるひとは誰もいない。
 ホロで内装を変えた部屋はとても静かだ。静寂は好ましいのにどこ落ち着かない。
 わたしは軽く息をついた。ホロを解除して、コス・デバイスで服を変えて身支度を整える。
 貴重な休日だけど部屋に閉じ籠っているのは性に合わないし、何故だか嫌だった。息が詰まるし、気が滅入ってしまいそうで。
 だったらと、三ヶ月ぶりに書店に行こうと思い立った。
 オートメーション化された現代で紙を媒体にした本は少なくなってきている。
 ほとんどが電子書籍になっているし、携帯端末で閲覧するほうが増えているのが現状だ。
 けれど、わたしは好んで紙の本を購入している。
 紙の感触を味わいながらの読書は格別だし、ページを捲る楽しさもある。
 簡単で便利な電子書籍は、確かに現代に適しているだろう。
 利便性を考えれば合理的だと云えるし、わざわざ書店に行かなくても端末ひとつで購入出来てしまうのだから便利だとも思う。
 わたしもそれを否定するつもりはない。必要があれば電子書籍を利用することもあるし。
 でも、本は紙でなくてはという考えはこれからも変わらないと思う。紙の触り心地、紙の匂い、本棚に並べたときの満足感。それらは電子書籍では感じられないものだ。
 わたしは胸を弾ませた。欲しい本がたくさんあるのだ。新刊を早く手にとりたい。
 そんな高揚した気持ちのまま、わたしは部屋を後にした。



 久しぶりの書店。本に囲まれた空間に安堵に似た心地よさが身体中に広がる。すうっと息を吸い込むと、本の香りが鼻腔をくすぐった。
 店内にはクラシックの音楽が流れていた。大きいわけでも小さいわけでもない音量のため不快感はまるでない。むしろ落ち着けるくらいだ。
 わたしは目的のコーナーに足を伸ばした。棚にはたくさんの本が並んでいる。目についた本を棚から抜いて表紙を眺める。それからようやっとページを捲るのだ。
 それを何度か繰り返した。欲しい本は決まっているけれど、それはそれで興味深い本には目を通しておきたかった。今度はいつ来れるか分からないからだ。
 本を棚に戻し、目ぼしい本を吟味していると、ポンポンと肩を叩かれた。
 本に集中していたせいか、思いっきりビクリと肩を揺らしてしまう。それを気恥ずかしく思いながらひとの気配のする後方を振り返った。
 そこには銀髪の青年がいた。端正な容姿に目を瞠る。美形だなあと内心で零した。
「久しぶりだね、なまえ」
「えっ、」
 すっとんきょうな声を上げてしまったのは不可抗力だ。
「…………」
 わたしは瞬時に思考を巡らせた。
 久しぶりということは、わたしと彼はどこかで会ったことがあるのだろう。しかし、覚えがない。
 職業柄、ひとの顔を覚えるのは得意だと自負している。だけど、彼のことは全く思い出せない。
 というか、こんな美形に会ったことがあるなら絶対に忘れないはずだ。そう思ってしまうくらい目の前の青年は綺麗だった。
「……あの……」
 呆然とするわたしに彼は苦笑を洩らした。やれやれと肩を竦めて、「僕だよ。槙島聖護」と告げてきた。
 聞き覚えはあった。遠い遠い昔の記憶の中に眠っていた懐かしい名前だ。
「も……もしかして、昔近所に住んでた……」
「うん」
「ええと……。久しぶり、だね」
 もちろん、驚いていた。物凄く驚いていた。
 幼馴染みの再会に心が震えたし、懐かしさと喜びをかんじた。
 けれど、愛想も何もないそんな言葉しか出てこなかった。
 ひとは驚くと、思考が一気に白くなるのだと初めて知った瞬間だった。



 本を五冊購入した。うち四冊は欲しかった本で、残りの一冊は彼のオススメだ。
 わたしたちは書店を後にし、今は書店近くの喫茶店にいる。
 時間帯のせいか、そこまで流行っていないのか、寂れた外見だからか、店内には僅かな客しか入っていない。
 けれども、出されたコーヒーはとても美味しいものだった。芳香も旨味も最高といえるだろう。これだけ美味しいのだから流行らないわけがない。やはり時間帯なのだろうと結論付けることにした。
 目の前の男、槙島聖護とは幼馴染みだ。彼の家族とわたしの家族は仲が良くて、それに倣うようにわたしと彼も幼い頃から一緒にいたように思う。近くに同年の子供がいなかったことも大きいだろうけど、それを抜きにしてもわたしたちの仲は誰の目から見ても良好だった。
 別れは突然だった。わたしの父の急な転勤と諸々の都合で引っ越さなくてはいけなくなったのだ。
 幼馴染みと離ればなれになるのは正直寂しかったし辛かった。ここにいたい、ずっとここにいたい。そう思わずにはいられなかった。
 けれど、またいつか会えるよ、そう彼に励まされたことでようやく決心がついた。
 確かに離ればなれになってしまうけど、離れていても電話もメールも出来るし、寂しくないと言ったら嘘になるけど連絡を取り合うことが出来るのは大きかった。寂しさが少しだけ緩和した瞬間だった。
 その直ぐあとだったと思う。彼の両親が不慮の事故で亡くなったのだ。彼は親戚の叔父の元に預けられたと聞いたのはずっと後のことだった。
 今まで彼と続けていた電話とメールは来なくなり、寂しい気持ちはあったけれど、彼も彼で大変なのだからと言い聞かせる他なかった。
 彼も身の回りが落ち着けば、連絡をくれるはず。そう思って何ヶ月も何年も待ってみたけど、結局連絡は来なかった。
 番号もメールアドレスも変わってしまっていたし、父の話によれば彼は叔父の元から去ったという話だ。
 それでも、希望は捨てきれなくて、すがるような思いで待ち続けたけれど、いつしか彼はわたしの中で思い出になってしまっていた。こうして再会するまでは。
 コーヒーをお代わりし、わたしと彼は一時間近く近況を語り合った。
 わたしが公安局に勤めていること、彼が投資家をしていること、互いの趣味や休日の過ごし方など、興味をそそられることから他愛ないことまで話した。
 時間はあっという間に過ぎていった。驚いたことはいくつもあったけれど、偶然とはいえ彼と会えたことは本当に嬉しかったし、近況を知れたことも元気そうなことも本当によかったと心から安堵した。
 彼はこのあと、人と会う約束があるらしい。名残惜しかったが、連絡先を交換し、その日は別れることにした。
「連絡するよ。今度は必ず」
「うん。待ってる」
 きっとこの日のことは忘れないだろう。そう思えるくらい素敵な一日だった。



 それから二ヶ月。
 再会したあの日、さっそく彼からメールが来た。都合さえ合えば、また会おう。そんな内容だった。
 わたしも彼も忙しい身のため頻繁にとはいかないけれど時間さえ合えば、食事に行ったり、書店に行ったり、お茶をしたりとあの頃のように一緒に過ごす時間は増えていった。本当に幸福な時間だった。
 そんなある日の午後。報告書をまとめながらファイルの整理と諸々の雑務を内心辟易しつつ淡々とこなしているときだった。
 先輩の監視官にそろそろ休憩にしたらと声をかけられた。
 時計を見ると昼休憩からだいぶ時間が経っていることに気付いた。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
「ゆっくりしてらっしゃい」
 集中していると時間というのはあっという間だ。わたしは先輩の言葉に甘えて休憩をとることにした。休憩所に行くと先客がいた。一係の常守さんである。
「みょうじさん、お疲れさまです。休憩ですか?」
「ええ。常守さんも?」
「はい。いい加減休めって宜野座さんに叱られちゃいました」
「そう」
 自販機に行き、小銭を投入口に入れる。微糖か無糖か迷ったけれど、体が糖分を欲しているような気がしたため微糖を選んだ。
「隣に座っても?」
「どうぞ」
 時間帯のせいかもしれないけど、休憩所にはわたしと常守さんのふたりだけだ。
 そういえば、常守さんと一緒になることってなかったかもと考える。どちらかというと宜野座くんと一緒になることが多いからだ。
 そんなことを思考しながらプルタブを空けて缶に口をつけた。コーヒーの香りが鼻腔をくすぐる。ほろ苦さとほのかな甘さが口の中に広がった。
「宜野座くんが心配するのも分かるかも。今の常守さん、すごく顔色が悪いもの」
「え……。そんなに顔に出てますか?」
「うん。疲れてますって顔に書いてある」
「あはは。そうですか……」
 横目で常守さんを見る。彼女は苦笑気味に笑っていた。缶を両手で握りながらそれをじっと見ている。その表情には疲労というよりも思い詰めているようなせんな色が滲んでいるように思えた。
「詳しくは知らないけど、こっちにも噂程度には届いてるの。……それが原因?」
「……その噂が何かは分かりませんけどたぶんそうなんだと思います。なかなか思うようにいかなくて」
「…………」
「今までの事件に関わっていた人物を探してるんです。余罪もいっぱいで」
「そう」
 一係も大変なようだ。予想するしかないが、行き詰まっているのだったら二係や三係にも何か回ってくるかもしれない。ほとんどは好奇心ではあるが、追っている自分の名前を聞くことにした。
「宜野座くんにはお世話になってるし、何か助けになることとか、わたしに出来ることもあると思うの。追っている人物の名前、参考程度に聞いてもいい?」
「もちろんです。名前は――」



 興味本意で聞くんじゃなかった。そう後悔してみても後の祭りである。
 はあ、と大きく息をついた。
 休憩所にはわたしひとりだけだ。常守さんは仕事に戻りますねと言って一係のオフィスに戻っていった。
 みょうじさんに話したら少しすっきりしました、と笑う彼女には好意しか見当たらない。憎めない子だなと思う。
 けれども、彼の名前を聞いたときは本当に動揺した。この一瞬だけは色相が濁ったのでないかと思ってしまったくらいだ。
「……聖護……」
 空になった缶を両手でギュッと握り締める。
 未だに心臓がどくどくと大きな音を響かせていた。耳の奥で警鐘のように鳴っている。まるで何かの合図のように。
 わたしはどうするべきだろう。告発するべきか、それとも――。
「っ……」
 脳裏に彼が過る。名前を呼ばれたような気がして、それに応えるように目を閉じた。



天は貴方からの逃亡をゆるさない

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