第2回 | ナノ
『たすけてー。
 おしろのまどからめしつかいはさけびましたが、だれもたすけにきてはくれません。
 それもそのはず。めしつかいは、おひめさまのためにはたらかなければなりません。せかいでいちばんうつくしいおひめさまのためなら、めしつかいのことばなどだれもきいてはくれないのです。
 それはそれはうつくしいまっしろなおしろにとじこめられためしつかいは、なみだをながしながらまどをしめようとします。
 がさがさ。
 めしつかいはおおきなおとにきがついておしろのそとをのぞきます。すると、まっくらなもりからまっくろなかいぶつがあらわれたではないですか。めしつかいはおどろいてしりもちをついてしまいました。
 どうしてないているの。
 まっくろのからだがめしつかいにちかづきます。めしつかいはまっくろのかいぶつをみてぶるぶるとふるえました。
 まっくろのかいぶつは、おおきくてふといつめがのびたてをめしつかいにだしました。めしつかいはおそろしくてうごくことができません。
 たすけにきたよ。
 まっくろのかいぶつはめしつかいにてをだしたままうごきませんでした。
 めしつかいは、おそるおそるまっくろのかいぶつのてにじぶんのてをのせました。すると、めしつかいはまたおどろいてしまいました。あたたかいてがめしつかいのてをやさしくにぎってくれたのです。
 めしつかいはしりもちはつきませんでした。そのかわり、まっくろのかいぶつをみてうれしそうにわらいました。』



 看護ドローンが搬送するストレッチャーには、土気色の顔をした幼児十四人が横たわっている。肺を膨らませて規則的に呼吸をしているが、それ以外の身体的な運動は一切機能していないかのように動くことはない。看護ドローンは淡々と救急車へと搬送し、その周りを警護ドローンが赤のランプを照らして警戒する素振りを見せている。
 征陸は鑑識ドローンの細かな動きを横目にコンクリートに映し出された映像を見ていた。時折首を傾げながら顎を摘むようにして撫でている。
 ある晩から突然行なわれるようになった、コンクリートをスクリーンとしたアニメ上映会は都内に住む幼児を対象としていた事が捜査開始と共に明らかになっている。薄暗い路地裏に忘れさられたかのように取り付けられたスキャナーには、身なりが整えられた幼児が足取り確かに横切って行くのが複数確認されたのを期に事件は発覚した。なぜ幼児のみが親元を離れて単独で行動できたのか、なぜ迷い子ではなく目的を持っているような足取りをしていたのか。公安局はその問題を真っ先に取り上げたのだが、シビュラシステムが問題視したのは毎年算出される各年齢層の精神的な数値を例年よりも大幅に上回った事だった。
 二世紀前に作られたセピア色という死語がよく似合う映像は、ホログラムを持たない廃棄区画によく合っていた。
 油や濁った水で妖しく輝くコンクリートに映し出されるぎこちない動きの登場人物は、大袈裟な声色で緩慢に台詞を喋っている。
 出処不明のアニメ映画。過去の映像作品リストにもないそれは、現代に生きる幼児を喜ばせるにはあまりにもお粗末な仕上がりだった。
「なんていうか、気味悪いよな」
 縢が後頭部に手を当てて仰いだ。目をそらしても耳に流れてくる音に意識が集中する。スクリーン上では、すす汚れた少女が刺のように毛を尖らせた手に触れて微笑んでいる。
 征陸は鼻から重い息を出して後頭部を掻いた。明日には広まるであろう今回の事件をどのようなかたちで隠し通すのか、他人事だと思ってスクリーンから目を離す。小さな鑑識が摘んでいるのは大量の吸い殻と繊維が残った葉の燃えかすの数々だ。
 年長者の男は、明日のニュース番組は見る価値はあると思いながら真横のみょうじを見る。みょうじはスクリーンをじっと見つめて動かなかった。瞬きをする時間も勿体無いのではないかと感じるほど瞼の動作が少ない。
「嬢さん」
 呼びかけに応じたみょうじの顔を見て征陸は僅かに驚いた。そして瞬きが最低限に抑えられていた訳を知る。
「一旦戻るぞ」
「分かりました」
 はっきりとした口調だが、しきりにスクリーンを気にしていたのは征陸の目から見ても明らかだった。
 子どもたちはきっとこんな目では映像は見ていなかったのだろう、征陸はふと視線を下げてしまうほどの悲しい気持ちになった。人前で泣くことを忘れてしまった征陸には、みょうじの目の意味を理解することは出来なかった。
 みょうじは黒のスーツで両目を擦った。スーツには薄く塗られたファンデーションのみが取れていた。
 征陸の後についていくみょうじは一度だけ後ろを振り返る。暗く濡れた路地にはスクリーンの古ぼけた映像が光っていた。
『どこへいくの、かいぶつさん。
 どこへでもいこう、おじょうさん。
 まっくろのかいぶつとめしつかいはてをつないでもりをはしります。めしつかいはうれしくて、いつのまにかおどっていました。
 まっくろのかいぶつはめしつかいといっしょにおどります。きのうえのとりたちはいっしょにうたいます。
 めしつかいとまっくろのかいぶつはいつまでもおどりつづけました。』



 事件は呆気無いほどに素早く解決した。
 自分自身のサイコパス数値を信じることが出来ない人間の犯行、幼いころの体験が自身の色相を濁らせたのではないか、それを確かめるために不特定多数の子どもを使い実験した。呆気無くもあり、有無を言わせぬほどの身勝手な動機は一係の面々を呆れさせた。
「バカも大概にしろよな、ご丁寧に自作のアニメまで作っちゃって」
 縢が大袈裟に溜息を付いて自席でふんぞり返る。視界の端に映る映像には、斑に汚れた灰色のずきんを被る少女が両手で顔を覆っていた。映像の中で最も白く彩られた長方形の縁の中で定期的に首を振っている。
「なんだってこんなもん作ったんだよ」
「深い意味でもあるのかね」
 征陸は注意深く映像を観察するが、何も得られなかった。犯人は自分の頭の中に描かれた紙芝居を映像にしただけで物語に深い意味は無いと目を虚ろにして呟いていた。その言葉が征陸の観察力を低下させる。
「なまえちゃんはどう? 何か感じた?」
 縢の後ろに立って征陸と共に映像を見ていたみょうじは言葉に詰まった。返事は返せるのだが、それを口にしていいのか。返答の中にはみょうじの私的な感情が混じっていた。それが事件と何ら関係のないこと感情であったのが口を閉ざすのに拍車をかけていた。
「別に、何も」
「だよな」
 縢は面倒くさそうに欠伸をして席に置いてある携帯ゲーム機を立ち上げた。波打つように電源が入れられた画面には、本物を映したような架空の大自然が画面いっぱいに広がる。
 みょうじは古い映像をじっと見つめた。保護された幼児たちが口を揃えて「つまらない」と評したそのアニメは、現代人のみょうじでさえもつまらないと感じていた。
 だが、なぜだか続きが気になって仕方ない。みょうじは早く結末が知りたくて体が疼く。子どもよりも子どもらしく、我慢がきかないような気がしていた。
 ずきんを被った少女は白い枠を覗くように顔を上げる。枠の外にはどこまでも続くような黒い森が広がっていた。少女の体が揺れる。後ろを振り向くと、頬がはちきれそうなほど膨れ上がり、体も風船のように膨らませて揺れている背広を着た男が立っていた。毛の少ない頭の上には白いもやがかかっている。その演出がなくとも、男が怒っているのは顔を見ればよく分かった。指を刺されて部屋から出て行った男を見送り、少女は足元に落ちていたほうきを取る。それを胸に抱いて俯くと、少女は暗い部屋から出て行った。少女の歩く廊下は目に染みるほど白く輝いている。白い廊下には、黒く針のように尖った毛をもつ大男が一体だけ飾られていた。



 みょうじは公安局イメージキャラクターがのったコーヒーカップを片手に持ってバルコニーに立っていた。夕日は僅かにぼやけて感傷的な演出をしている。だが、高層ビルが生えた都内には、その気持ちにさせてくれる余地はない。
 手すりに肘を置いて下を見ると、社用車が何台も連なって出て行くのが見えた。保護された幼児たちのサイコパス数値の回復の余地がみられた為、一般医療施設へと輸送されることとなっていた。
 ふと、みょうじは顔を手で覆って泣いてみようかと考えてみる。そうすれば、影しかもたらしてくれないビル群を抜けて、どこか遠くへと連れて行ってくれるのではないか。誰とは言わなくても不可能な思いは捨てきれない。みょうじを連れて遠くへ逃げてくれるかいぶつはみょうじと同じ城の中に入れられている。そのことは誰よりも彼女自身が知っていた。
「何してるんだ」
 みょうじはカップの中のコーヒーを揺らした。歪んだ顔を水面に映しながら振り向くと、狡噛はボタンを掛けていないスーツを風に揺らしながら歩いてくる。影の隙間から漏れる夕日の光をスーツに映すと、黒いスーツはくすんで見えた。
「ちょっと休憩です」
「シフト明けで連勤だったよな」
 労いの言葉はなかった。だが、みょうじの持つコーヒーを揺らすには十分だった。
「あの映像のこと考えていたんです」
「映像? ああ、あれか。志恩の解析も鑑識も異常はなかったそうだな」
「まあそうですね。犯人が意味もなく作ったっていうくらいですから」
 みょうじと狡噛は最後の社用車を見送る。一台につき二人乗せられたその車は大切そうにゆっくりと走り去っていった。
「あのアニメ、子どもが見るにはつまらないですから」
「その割には幼児対象に作られていた」
「犯人にとっては、言い聞かせるような口調であればそれが幼児向けの映像なんでしょう」
 コーヒーを飲んでみたが、冷たくなったそれは苦味を増していた。隣に立つ狡噛の煙草の匂いがコーヒーをより苦くさせている。そして、咽るほど甘くもさせていた。
「狡噛さんはあのアニメに意味はあると思いますか?」
「俺にはわからん」
 興味が薄れているのか、素っ気なく返事をする狡噛にみょうじは薄い笑みを漏らす。興味を持ってしまっている者と全く興味のない者が話を続けるには限界だった。
 互いはそこから離れようとしない。興味は一つだけではないからだ。
「あのめしつかいは嬉しかったでしょうね」
「まだその話か、まあそうだろうな。城の外を出られだんだろうから」
 みょうじは、狡噛とはこの話に関しての意見は一切合わないのだと確信した。
「でも最終的には城に連れ戻されただろ」
「そうでしたね。いつも通り、お姫様の為に働くんでしょう」
 可哀想なめしつかい、可哀想なまっくろのかいぶつ。二つの登場人物を嘆くようで、みょうじははっきりと二つの同情心に優劣をつけた。可哀想で愚かなまっくろのかいぶつ。
「私も森の中で誰か一緒に踊ってくれる人を探したいです」
「ここから逃してくれる奴をか」
「はい」
 城の中でもいい、一緒に笑って喜んで、共に生きることが楽しいと、そう思ってくれるのなら城の外でなくとも構わない。
 みょうじは顔に手を覆って泣いてみる考えをもう一度胸に秘める。もしかしたら手をとってくれるのではないか。白い枠の中で命じられて働かなければならない隣にいるかいぶつが。
 そう考えて咄嗟に我に返る。みょうじは誰かを思うと自分自身に甘い考えがよぎる癖があると思い込んでいた。だから、今の発想は甘くて幼稚だったと己を恥じた。
「戻ります」
 カップに残ったコーヒーを仰いでビル群に背を向ける。日没まで照明が付けられない暗い廊下に向かって歩くと、後ろから自分の足音よりも回数の少ない靴音が聞こえてきた。
 視界が暗くなっていくのを感じながらみょうじはもう一度あの映像を思い出した。だが、既に解決済みの事件資料についていつまでも考えているわけにはいかない事はよく分かっていた。だが、記憶に流れてくるのはぎこちなく動くアニメの映像だった。
 みょうじはやはり自分の甘さを自覚して笑った。読み聞かせのように物語は上手く進まない。手を差し伸べてくれるかいぶつも、自由に踊ってくれるかいぶつもいない。それが当たり前だと慣れてしまったみょうじは、寂しさを拭うことなどしなかった。
 後ろから聞こえる靴音が胸を苦しくさせる。無駄だと思う気持ちや行為が自分をより慌ただしくも活発に行動させてくれる。それが今のみょうじには何よりも心苦しかった。
 終わらせるつもりはない思いは、硬質な靴音を持つ人間に打ち明けるつもりはない。それが懸命な判断だとしても、こんな気持ちにさせた責任を取って欲しいと思う気持ちは捨てきれない。
 みょうじは後ろを歩く狡噛を振り返る。狡噛はバルコニーから廊下へ続く僅かな段差に足を踏み入れるところだった。
 手を出せば自分よりも大きな手が覆ってくれるのだろうか。だが、みょうじは手を出すことはしなかった。最後の足掻きだと言わんばかりに忘れられない映像が記憶に流れていく。何が幸せだったのか、何が喜ばしいことなのか、苦しいばかりの思いに終止符を打ってくれる目の前の人間を無意識に求めていた。

『まっくろのかいぶつはめしつかいをみてわらいました。くちからみえるおおきなはにめしつかいはびっくりしました。
 どうしたの。
 とてもうれしいんだよ。
 めしつかいはわけをたずねました。まっくろのかいぶつははずかしそうにからだをちいさくさせます。
 ぼくは、おじょうさんのことがすきなんだ。ずっとまえから。
 めしつかいはおどろいてめをおおきくひらきました。まっくろのかいぶつはめしつかいのかおをみることができません。
 とつぜん、おおきなおとがしました。まっくろのかいぶつはあっというまにたおれてしまいます。
 めしつかいはあわててまっくろのかいぶつをたすけようとします。まっくろのかいぶつはめをあけることはありませんでした。いつまでも、うれしそうにわらったままでした。』



望みもせず望まれもせぬこの恋を

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