第2回 | ナノ
※死ネタ描写あり


 白いカップに注がれた紅茶の湯気が、吐き出された呼吸に合わせて揺蕩う。オートサーバーで作られた紅茶には茶葉特有の馨しい香りも無い。それでもなまえは紅茶が好きで、喫茶店ではよく頼んでいたように思う。狡噛が久方ぶりになまえと約束を取り付けそれを目にしたときは、カップに添えたなまえの手は知らず知らずの内に震えており、いつも熟れた赤のような色をした唇が段々と色を無くして青白くなっていく姿だった。「…冗談?」からかうような問い掛けの割に笑みはなく、掠れた声だけが喉奥を振り絞って出て来たような、か細く弱々しい声が周りのざわめきに溶けて消える。お巫山戯(ふざけ)で済ましたいのだろう、痛々しい揶揄が狡噛の耳朶に触れた。はっと短く息を詰めるなまえがカップの持ち手から指を離す。細く華奢で眞白な指が震えるのを気取られぬよう、もう片方の手でそっと支えている。ウッド調の暖かなブラウン系で装飾された店内には接客用ドローンがあちこちを動き回り、そこかしこは客で賑わっていた。だと言うにいっそ場違いな程、二人の間は切り取ったように静寂でうっそりとした空気に包まれている。甲高い笑い声が二人をすり抜ける。なまえの手が薬指にはめた指輪を不意になぞった。何の温度も持たない指輪が指に擦られて熱を孕み、冷たくなった指先にほんのりと暖かさが戻る。その仕草がなまえにとっての、精神安定剤のようなものだと悟った狡噛が鈍く光るシルバーリングから視線を外した。吐き捨てるような強さで哂いを吐く。「こんな下らない冗談を言うような男に見えるか?」なまえが俯きかけていた顔をぱっと上げた。口実のために頼んだ珈琲はとっくに冷め切っていたし、なまえも紅茶に口を付けることもなく、狡噛の顔(かんばせ)をじっと見つめている。いつの間にかカップも冷えて、湯気を吐き出さなくなっているのになまえは気付かない。
「もう一度言う、別れよう」
 予期せず、なまえの目が開き凍てついた。今度はもう嘘だと笑うことなく、呆然と今し方受けた言葉を受け止めようとしていた。それでも狡噛を詰る言葉やヒステリックに責め立てることはなかった。なまえの、狡噛を前にしてはにかみ笑い頬を薔薇に染めるいつもの表情が、今や只管(ひたすら)絶望したような表情(かお)に変わっていく。自らの言葉で崩れていくなまえを目の当たりにした狡噛は、直ぐにでも吐露しそうになる想いの端を喉咽の奥にぐっと押し留ませた。なまえにわからぬよう、小さく息を吐いた狡噛が僅かに焦燥感を滲ませた、酷くせき立てた声が口端からぼろぼろと落ちていく。最も大切だと自負している相手を傷付けて、尚且つちくちくとした止まない痛みは狡噛にも襲って来ていた。
「俺がいなくてもシビュラの相性診断で自分に合った相手を探せばいい、なまえの所にも見合いの話一つや二つ届いてるんだろ?」
 テーブルの下に隠した膝の上に置いた掌を握り締めて、我ながら随分な言葉だと内心嘲った。シビュラの空調というより、もっと別の何かから喉が異常に乾きを訴えて、がらがらと鳴った心地がする。だのにどうしても目の前のコーヒーを飲む気にはなれなかった。
「慎也さん、わたしは…」
 なまえの俄かに震えた唇が柔く開く。それがどうしてと、縋り付いて問う前に、狡噛は態とらしく音を立てて席を立った。泣きそうになるのを堪えるような、苦しげで痛みを湛えた顔をするなまえをこれ以上見れないと――否、自分のために狡噛は逃げたいと思ったのだ。己にこんな女々しいと言う所があったのも驚きだ。レシートを手に取りながら謝罪の言葉を何度か口にする。張り詰めていた息と共に罪悪感も吐き出してしまいたかった。喧しいと感じる程に周囲の笑い声は耳についたが、狡噛は瞬間息を無くしたかのように見えた。
「いやだ」
 まるで幼子のような手つきで狡噛の片腕に抱き縋ったなまえの手は、死人(しびと)のように冷たい。俯いている所為で前髪が隠した表情はわからぬが、恐らく泣いているのだろう。狡噛はその精巧な顔に似合わず眉を寄せた。いや、いやと首を横に振るなまえをこれから引き剥がさないといけないのだ。どうせなら、このまま――このまま抱き締めてしまいたいと思うのに。他の声に紛れてしまうような小ささで、そっと狡噛はなまえの名を囁いた。そしてなるたけ優しく、自身の腕に絡みついたなまえの指を解いていく。はらはらと静かに落とした涙が、革張りのソファーのホログラムを揺らす。落とされた指のやり所を目へと覆ったなまえがどうしてと呟く。
 三年も付き合っていた癖に、自分勝手で最低な男だと思ってくれればいい。本当は方法なんていくらでもあるのだ。事件のことは話せないが、個人の色相の濁りまで箝口令は強いてないのだから。何一つ己の掌から取り落とさぬよう、後戻りは出来ないかもしれない、次に会ったとき俺は潜在犯になっているかもしれないと、真実のまま伝えれば何もこんな凄惨な結果にはならなかっただろう。しかしそれでは事件に何の関係もないなまえを、何時しか巻き込んでしまうことになる。やがて潜在犯になるだろう男と関係を続けたって何よりなまえの周囲が許さない。その上、唯でさえ濁りの振れ幅が大きい――精神的ストレスに左右されやすいなまえが、狡噛と関わったことによって潜在犯になろうものなら。狡噛にとってそれが一番恐ろしかった。勿論それを前提にしたって、何より今の狡噛にはなまえのことより一番に優先すべきことがある。正確には、見つかってしまったが正しいのだが――結局、狡噛がこうなってしまった日から終わりは見えていたのだろう。大切なのはきっとこれからだって変わりはない、だからこそ今の内に突き放しておくのが、世間一般で言う正解なのだと割り切るべきなのだ。茫然とするなまえを置き去りにして、二人分の会計を済ませた狡噛が、同じ左手にある指輪をなまえがしていたように撫でる。シルバーの装飾のないシンプルなそれは、相も変わらず光に反射して煌めいていた。鈴が付いた扉を潜る、軽快な音の鳴るそれに些かの煩わしさを感じながらも、外観ホロで飾られた喫茶店から出る。どんよりと底まで落ちてきそうな曇天からは、地面を叩きつけるような霙(みぞれ)が狡噛を待ち受けていた。シビュラシステムで完璧に温度調節がされた暖かい店内から一転し、外では凍てつくような寒々しさの残る息が、白く靄となって肩をすり抜けていく。冬の名残だろう降りしきる霙が肩や髪を濡らしたとて、狡噛は厭わなかった。びちゃびちゃと溜まった水に突っ込んだ革靴が不愉快な音を立てる。…恨んでくれていいと思うのは身勝手だろうか。なまえの柔らかく笑んだ表情(かお)が、まるで滲みのように脳裏にこびり付いて消えない。しかし狡噛はそれを掻き消そうとはしなかった。はっと息を吐けばひとつ、白い靄が宙に浮く。

 あの喫茶店で大切なものは全て捨てた筈なのに、この揃いの指輪だけは外せないでいた。






 唐之杜から送られてきた逃走者の情報へ目を滑らせた狡噛が、不意に足を止める。
 「ハウンド三、聞いているのか?返事をしろ!」宜野座の苛立った声がデバイスを喚かせても、狡噛はその場を棒立ちのまま動けずにいた。執行官の適正が出た為に施設を出て、一系に戻って来てから早二ヶ月となる頃には、既に白い獄のような冷たさは疾うに過ぎ去って行き、初々しい緑の柔らかな匂いが鼻梁を擽る季節へと移り変わっている。暑さからではない嫌な汗がじんわりと背骨を追うのを感じながら、狡噛はデバイスに釘付けになっていた。
「なまえ」
 そこには、半年程前に別れた筈のなまえの名が確りと映し出されている――これではまるで――狡噛が意図せず唇を噛み締めた。「元々不安定だったみたいだけど、五ヶ月前頃から一気に悪化していったみたいね」唐之杜の落ち着いたしなやかな声がデバイスを通して聞こえても、狡噛は返事の一つすら返せない。なまえは狡噛にとって唯一の特別な人だ。あんなに酷い別れ方をした癖にそう公言するのは憚られるが、なまえにとってもうそうじゃなくとも狡噛はそう思っている。少なくとも、今だって気持ちは変わらないのだ。それが答えだろう。だからこそ信じられない――信じたくない気持ちで、狡噛は呆然とデバイスを眺めていた。「みょうじなまえが検知に引っかかり、係数を計ろうとした所逃走」宜野座の怒鳴り声が割り込んでくる。店の外側に付いた換気扇が、ごうごうと狡噛の耳を五月蝿く鳴らす。そこで我に返った狡噛が、声を張らして呼び掛けてくる宜野座に些かおざなりな了承を唱えて、無線を切った。もしも今宜野座が狡噛となまえの関係を知れば、直ぐにでも捜索から外させただろう。仕事に私情が介入することを嫌う宜野座なら、有無を言わさず狡噛を一系に戻した筈だ。そればかりは今の状況に感謝しなくてはならない。自分を落ち着かせる為に吐いた息は雑踏に呑まれていく。表通りの喧しい声が狡噛の思考を遮り通り過ぎる。瞬間、はっと息を詰めた狡噛が、宜野座に指定された場所より大きく外れた大通りの方へと走り出した。

 なまえのサイコパスが悪化し始めたのは、冬の冷たさが残る降りしきる霙の中。狡噛が巻き込まないようにとなまえを突き放した、あの日だ。

「クソ…っ!」
 パラライザーならまだ望みはある。失神はしても死にはしない、只それから施設に隔離されるだけであって生活には事欠かない。しかしもしもなまえの犯罪係数が既に手遅れだったら――だったら?俺はどうするのだろう。ドミネーターでなまえを殺すのか?それが職務なのだから。そこまで考えてふと、狡噛は足を止めた。狡噛がわざわざ人混みに紛れ、宜野座に見つからないように向かっている場所は確証がない、その上隠れるには適した場所ではない。なまえが必ずそこにいるとは限らないというのに、狡噛はその直感を疑いたくはなかった。恐らく自分の願望も半分は入っているだろうに思う。宜野座から送られてきた逃走経路や推測にもそれは書いていないのに、半ば決め付けていた自分に気付いて狡噛は哂った。先程から覆せない最悪の結末が頭にちらついてくるが、こんなときまでそんな妄想をしたくない。夜の帳が段々降りて星一つ見せない黒を連れてくる。狡噛は上げた視線を戻し、再度走り出した。

 ホログラムのかかっていない古びたベンチになまえは座っている。一見すると普通の小さな公園であるが、他で見かけるような華やかさはなかった。遊具が辛うじて新しい程度で、伸び続けている雑草や彼方此方に見える年季の入った傷から、人の手が入っていないことを伺わせる。公園へ足を踏み込んだ狡噛が、なまえの姿を一度目に止めると短く息を吐いた。
「なまえ」
 名前を呼んだ声色は図らずもあの頃と変わりはない。声に肩を震わせ、俯いていたなまえが顔を上げる。長い間走っていたからか、少しスーツを乱している狡噛を目にすると小さく名前を呟いた。
「…慎也さん」
 凡そ追われているとは到底思えない、穏やかな笑みを浮かべたなまえに狡噛は眉を顰める。「わたしを捕まえに来たの?」なまえの様子から見ても逃げ出す素振りどころか契機を窺っているようにも見えない。緩やかに足を止めた狡噛は問いに答えず、重々しく開いた口からは謝罪が飛び出た。
「慎也さん、謝ってばっかりね。あの頃と変わらない」
 責めの言葉が無いことがこんなにも辛いことだと狡噛は知らない。どうしてそんなに落ち着いていられるのか、なまえの心境がわからずにいた。三年も一緒にいて、少し離れただけで思考も把握出来ないなんてと狡噛は己の情けなさに苦々しい思いを噛み締める。なまえとてわかっている筈だ、狡噛がここへ何をしにきたことぐらい。なまえの犯罪係数が検知に引っかかり、出動を命じられた狡噛だが、もしも追う相手がわかっていたならもっと何か違ったのかもしれないと――意味の無い悔やみをするのはいつも狡噛だった。そもそも元はと言えばなまえのサイコパス悪化は狡噛が十中八九原因であろう。あの頃の判断を間違いだとは思わない。只狡噛からの影響力が本人が思っているよりずっと、大きかったということをわかっていなかったのが問題だったのだ。
「わたしね、わからなかったの。慎也さんが別れを切り出した理由が、全然思い付かなくて。三年も一緒にいたのにね」
 三年も一緒にいたのになまえのことをわかってやれなかったのは、自分の方だ。
「慎也さんは多分もう、何とも思ってないんだろうけど…。わたしはまだ好きで」
 持ち上がっていた口角がくしゃりと歪む。
「こんな、こんな形でも、こんな理由だとしても、慎也さんに会えたことが嬉しいの」
 馬鹿みたいでしょう?もうとっくに昏くなった夜の下でも、なまえの零した一粒だけはわかった。必死に笑おうとしても、後を追うように次から次へと雫が垂れ落ちて自然と泣き笑いになる。その表情を見た狡噛は動くことが出来なかった。ドミネーターを持つ手が、もう初夏も過ぎると言うのに冷えて感覚を失っていく感じがする。悪化がどのくらい重いものなのか、狡噛にはわからない。避け続けてきた疑問を目の当たりにして視界が閉ざされたような気持ちになる。
「慎也さん、いいよ。だってそれが仕事なんでしょう?」
 ドミネーターのグリップ部分を支える冷えた指先を、なまえの随分と痩せてしまった手が覆った。薬指に未だあの指輪が場所を取っているのを見て、堪らなくなる。握られた指から伝わる、なまえの体温が指先にじわりじわりと浸透していく。狡噛は誰にもわからぬよう歯を食いしばるとゆっくりドミネーターを持ち上げた。一縷の望みをかけて。どうか、頼む、失いたくないと突き放したのだから――ドミネーターの無情なまでに冷たい音声が狡噛の耳を劈いた。
「犯罪係数三〇八、執行対象です。セーフティ解除します。執行モード、リーサル、エリミネーター、慎重に照準を定め対象を排除して下さい」
 狡噛の表情の変化から何かを察してしまったらしい。なまえはひとつ深呼吸を残すとドミネーターを自分の額部分に押しつけた。今にも取り落としそうな狡噛の両腕を支えて。「大丈夫」なまえが笑う。
「この先生きていても、隣に貴方がいないなら、どうせ意味はないもの」
 気丈に振る舞うなまえとは相対的に狡噛は今すぐドミネーターを手放したい衝動に駆られた。無条件にパラライザーで済むと思い込んでいた希望は粉々に打ち砕かれ、なまえはエリミネーターで裁かれる始末となる。狡噛がやらなければもう直ぐで追い付くだろう宜野座が執行するだろう。それだけは嫌だと思うのに、手に力が入らない。叶うなら今すぐ抱き締めて、出来ることなら見逃したいと思うのに自分の立場がそれを許さない。狡噛に残された道は一つしかない。
「…あんたは死んでもいいっていうのか」
 徐に口を開いた狡噛が詰め寄る。死を匂わせる言葉に怯んでなまえが逃げ出してくれれば――「トリガーを引けば肉体が膨張し破裂して死ぬようになっている。それでも大丈夫だと言えるのか」焦燥感を滲ませた脅しにも似た言葉がなまえを貫いても、その意志は変わらないようだった。
「慎也さん」
 涙に濡れて月明かりに揺れる瞳が、真摯にこちらを見上げてくる。ドミネーターを支える手の薬指同士がぶつかり、お互い同じ指にはめた、揃いの指輪がかつんと軽い音を響かせた。
「最後に聞きたいことがあるの。慎也さんは」

 わたしのことを嫌いになって別れたの?

 違う、と口にしても本当は今もとは言えなかった。狡噛の答えを受けてなまえが笑う。あの頃と全く同じ、言ったことはないが一等好きだった、目尻が緩く下がった柔くて暖かな笑み。
「良かった」
 緩んだ目尻から今まで見た何物よりうつくしい涙が零れ落ちる。彼女の手と狡噛の指に負荷がかかったのは同時。

 宜野座が無線に対応しない狡噛の姿を探してやっと姿を目にした頃には、もう何もかも終わっていた。人気のない公園で一人佇む狡噛に向かいながら、宜野座は感情のまま声を荒げる。
「狡噛!何をやっていたんだ!?指示には従え!」
 ドミネーターを手に走る宜野座は何かに気づくとぎょっとして目を張り足を止めた。無言で振り返った狡噛は未だ嘗てない程血まみれで、ドミネーターまで真っ赤に染まっている。近付けば近付く程血の臭いは濃厚になり、宜野座が足元に違和感を感じた先に目をやると、革靴は血溜まりに突っ込んでいた。公園という遊具で揃う賑やかな場所には似つかわしくない光景である。
「狡噛…これは」
「遅かったな、ギノ。みょうじなまえの執行はちゃんと完了したぞ」
 説明を求める宜野座の声を遮った狡噛の声色に、異変を感じた宜野座がふとそちらを見やった。至って普通のように見えるが何かがおかしいように思う。暗がりの中狡噛の顔を視認した宜野座が瞬間、はっと息を詰めた。
 泣いているのだ。いや、正しくは涙は流していない。しかし顔に飛び散った血飛沫の数々が、涙のように狡噛の頬を汚して下顎まで垂れ、滴っている――思えば出動して少し経った頃から狡噛の様子は変だった。始めは逃走でも企てているのかと訝ったが、違う。もっと全く別の事で何かがあったのだろう。宜野座の預かり知らぬ所で。その目は少しも涙を見せることがないのに、これ程までに悲しくて苦しい目を宜野座は見たことがなかった。
「ギノ、きっと俺は間違っていたんだろうな」
 間違っていないと正当化することはいくらでも出来る。だがもしもあのとき別れを告げなければこんな結末には成り得なかった筈だ。理由も言わず突き放して恨まれていると思っていたのに、なまえは少しも狡噛に恨み言を吐かなかった。静かに現実を享受して、狡噛の手で狡噛に看取られて死んでいったなまえ。襤褸(ぼろ)と化したなまえの指から真赤に汚れた指輪を抜く。何も言えずにいる宜野座からは見えないよう、狡噛は後ろを向いた。公安局に戻ればきっともうこの場へ戻ることはないだろう。だからこれで最後だ。視界が滲み血が乾き始めても、宜野座から声をかけられるまで狡噛はそれを目に焼き付けていた。


 例えば、わたし達が夫婦という確固たる繋がりを持っていれば違ったのかな。貴方に会うのに一々理由を探しては逢瀬を重ねて、例え短い時間でもそれはそれで十分に幸せだった。でもそれだけじゃ駄目だったのかな。思い詰めて自分を追い込めばサイコパスが悪化するなんてわかっていた筈なのに、考え込んでしまうのは悪い癖だ。それでも、不安定な色相だとしても、貴方がいたからわたしは頑張れたの。怒りや恨みが一切ない訳じゃない、でも好きだからどうしても諦めることが出来なかった。二人が出会ったあの公園で待っていればいつか来てくれるかもなんて幻想を捨てきれずにいたけれど、神様って本当にいるのかもしれないね。貴方に会えるなら、貴方の隣にいれるならどんな理由でも良い。馬鹿で愚かな女だと笑ってくれていい、貴方がいるなら他に何も望まない。どれだけ縋ってもひとかけらさえ手に入らないなら、生きる術さえないのと同じこと。

 優しくて他の誰よりも愛おしげに細める目が好きだった、わたしを抱き締める逞しい腕が好きだった、低くちょっと掠れた声すら、愛していた。

 死にたかった訳じゃない、でも貴方は待ち続けていた馬鹿なわたしの所へ来てくれた。最後には貴方の気持ちを知ることが出来た。だからそれでもう十分なのだ。



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