第2回 | ナノ
なまえ、誕生日はいつだ。そんなの知ってどうするんですか。いいから教えろ。佐々山さんは?俺のはいいから。八月十四日ですか?なんだそりゃ、なんの日だ。いえ、佐々山さんって、夏っぽいので。そうか?……三月だ。え?三月二十六日。……春ですか。似合わねーか?……はい、似合いません。
困って、わらってしまったわたしの頭を、佐々山さんはぐしゃぐしゃとなでる。目の前いっぱいに白いもやが広まり、煙草の煙に覆われた。春生まれだという彼は、夏の太陽のような笑顔で、いつも、わたしを見知らぬ世界に連れていく。手を、力強くにぎって。
佐々山さん。ん?……わたしは、冬生まれです。……そうか。……冬か。
いいな、なまえによく似合ってる。

目を覚ますと、無機質な天井が飛び込んできた。暗闇のなかにぽつりと灯っているデスクの上の明かり。ソファから身を起こすと、かけられていたジャケットがはらりと床に落ちる。数時間前、分析室で倒れてから記憶がない。きっと彼がここへ運んできてくれたんだろう。あの日からなぜか貧血気味になってしまって、鉄剤まで処方される始末になった。わたしの血が足りないのは、佐々山さんが不足した血液を吸いにきているからかも知れない。だとしたら、わたしは惜しみなく犠牲になってあげられるのに。でもきっと佐々山さんは言う。なまえ、お前は俺の分まで生きてくれよな。倒れた時に打ったのか、頭が痛い。狡噛さんの部屋は、湿っぽい煙草のにおいがした。
整理されているとは言い難い小さな部屋には、たくさんの資料が散乱していた。ファイル名をたしかめずとも、それがなんなのかはわかってしまう。わかってしまうわたしにも、あの人とおんなじように、佐々山さんはだれの代わりにもなれないのだ。

オフィスに戻ると、狡噛さんがひとり、パソコンと向き合って座っていた。わたしの方を一瞥して、彼は微笑む。口には愛煙の白い筒。
「お目覚めか」
「……すみませんでした」
「重くて苦労したぜ」
「痩せます」
「冗談だ。それ以上痩せたら骨になるぞ、なまえ」
こっちに来い、と狡噛さんは手招きをした。征陸さんのチェアを引っ張ってきて、隣に腰掛ける。液晶画面をのぞき込むと、そっちじゃない、と手を引かれた。
無抵抗で落ちる狡噛さんの腕のなか。
「なんでぶっ倒れたかわかるか」
「貧血です」
「寝不足だ」
隈がある、そう言って細長い手が瞼の上にふれた。おもわず目を閉じる。視界は暗闇になり、SPINELの苦い香りだけが頼りになった。
狡噛さんは、意地悪をしている。
「なまえ」
佐々山さんを忘れられないわたしに、彼の亡霊を見せようとしているのだ。
「狡噛さん……吸い過ぎです」
あふれた灰皿のなかに、いましがた吸い終わった殻を押し込み、狡噛さんはまた新しい煙草に火を点けた。デスクとその下に積まれるだけ積まれた青緑の箱たち。憎くて、憎くて、いとしくてしょうがない。山のようなカートンを足で蹴った。バラバラと崩れ落ち、何箱か遠くに飛んでいった。
「恋人の好物を蹴ってくれるなよ……」
あきれるようにわらう狡噛さん。ジリジリと筒の先端が燃える音が、耳鳴りのように鼓膜をゆらす。忘れたくなくて、思い出したくて、いつまでも「なまえ」と呼んで手をとって欲しくて、その願いを叶えてくれている、佐々山さんの面影は、でもどうしたって狡噛さんには重ならない。
「もう……吸わないで……」
「……いまさらやめられねぇよ」
燃え尽きそうなほど、胸がいっぱいになった三年。三年は、わたしも狡噛さんも、ちっとも変えてくれなかった。
「あんたらがつきあう前から、俺はずっとあんたがすきだった」
聞き飽きた。それは。違う、わたしはただ、名前を呼んで欲しい。わたしをバカにして、怒らせて、慰めて欲しい。ぎゅうっと抱きしめて欲しいのは、すべて、佐々山さんだけなのに。
「なまえ」
唇の上をなぞった舌が、ゆっくりと歯列を割って咥内に侵入する。頬をなでるやさしい愛撫と丁寧なキスの合間、うっすらと目を開けてみた。眉根にしわを寄せた狡噛さんが、しっかり噛みついている。疑いようのない事実。ごめんね、佐々山さん。永遠の夜にとけたあの人に、わたしはもう、届かない。



さみしいにおいの煙草

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -